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見知らぬ人同士がいがみ合う"今"の世界

何やら新しい世界があるという。彼曰く、そこでは見知らぬ人同士が自由にやり取りし、互いに有益な情報を交換し合っているらしい。「その世界には私でも入れるの?」と聞くと、彼は「もちろん、簡単な登録手続きで誰でも入れるよ。」と答えた。「知らない人に自分を晒すみたいでなんだか心配だなぁ。」と言うと、彼は「大丈夫、そこでは別の自分として振る舞うことができるんだ。」と私の消しきれない不安を和らげた。確かに、お得な情報が自分の知らないところで出回っている、そう聞いただけで、人間誰しも興味が湧くものである。私は恐る恐るその世界に入ることにした。

いざその世界に入ってみると、そこには物知りな人や自分と同じ悩みを抱えている人、面白い人、本当にいろんな人がいた。こんな世界があるならわざわざ一人で思い悩むこともない。両親や友人に話せないことも、ここでは誰かが親身になって聞いてくれる。なんて便利で楽しい世界なんだろうと思い、私は彼と同じようにこの世界のことを周りの人たちに広めることにした。ここでは知っている人同士でも繋がることができる。気づけばここが私たちの情報交流の場となった。

しばらくしているうちに、なんだか辺りが騒がしくなってきた。この世界で目立とうとする人、ストレスを発散しようとする人が増えてきたのだ。そんな人たちの欲や妬み、不満が嫌でも目に刺さってくる。誰かの経験や知識、ユーモアに溢れ、住人が自由気ままに触れ合う世界はどこにいったのか。私たちが頼りにしていた世界はいつからかヘイトで埋め尽くされた世界に変貌し、ついにはこの世界で様々な事件が起こるようになった。

私はここ数年、この世界から距離をとっている。距離をとっていてもこの世界で起きる悪事が自然と伝わってくるほどに、今では事態が悪化している。かつて見知らぬ人同士がいがみ合う世界と言えば、国益を巡る戦争か、宗派や民族を巡る紛争くらいで、当然それは望むべき世界ではなかったが、そこには確かに対立する目的や信念が存在した。しかし、この世界ではどうだろう。何の目的も信念もなしにただ人が傷つけられている。

そんな状況にもかかわらず、この世界の住人は今なお増え続け、現実の人たちはこのことについて何の議論もしないままいじめを見過ごすかのように傍観している。ソーシャルディスタンスを考えるのもいいが、これを機にバーチャルディスタンスについても考え直すべきと思うのは私だけだろうか。

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