「稽留流産」人生の中の’まさか’

noteを始めます。
ずっと、人生を履歴書のように書いてみたいなと思っていましたが、登録だけしてはや3年。今回は妊活と流産を経験してこの経過や経験を綴っておきたいなと思い、改めて始めます。


「稽留流産」を経験して

現在

初めまして^^自己紹介は改めて別の投稿であげようと思っていますので簡単に。2023年現在42歳(2022年に17歳年上の旦那様と再婚、2022年6月の入籍と同時に化学流産を経験。2023年6月より自然周期での体外受精開始)

ちょうど1週間前の10月27日に「稽留流産」の診断を受け、10月29日流産手術を行いました。心身はリカバーしてきて母体は元気です。

「稽留流産」という診断結果が出るまで

4回目の採卵で初めて胚盤胞まで進み、凍結できた受精卵でした。初めての移植、順調にHCGが上がり胎嚢も確認できて、「ああよかった!!」と思ったのも束の間。6週目でも胎芽が確認できず。
ネットで検索しては、「7週目で確認できました!」「8週目で確認できました!」「成長はそれぞれだから大丈夫」という記事を見つけ出して安心しようと必死でした。
でも6週目の段階で「うーん、来週見えなければ稽留流産だね。」と先生から言われていたので、最後の1週間は「お腹にいるってことを楽しもう」という気持ちに持っていこうとするのが精一杯で、その次の7週と2Dayの診察日が早く来てほしいような、まだまだ先延ばしにしておきたいような複雑な心境で過ごしました。
次の診察日の前日は、願掛けも兼ねて「絵本」を買いに行っていました。お腹に向かって絵本を読んで、一緒にこの世界で絵本をたくさん読もうね。と話しかけて眠った最後の夜です。
7週と2日目での内診、胎嚢は順調に育ちホルモン値も着々と上がっている状態でしたが。「胎芽が無いね」という結果。
その後の診察室で「残念だけど稽留流産ですね。結構しっかりと子宮にいるから、自然排出は結構かかると思います。あと、自然に流れた時の出血もかなり多くなる可能性が高いから、手術の方を薦めるけど、どうしますか?」悲しむ間も無く、手術の有無を聞かれたので、初めてのことだしわからなさすぎて「お任せします、手術の方が良いなら手術を希望します。」と泣く間もなく答える自分にびっくり。

さらにびっくりだったのは、まさかの診断を受けてから明後日手術。
そんなに急速に進むと思っていなかったので、心の準備とかする間も無く手術日を迎えました。現実逃避したかったので、旦那さんと軽井沢のセカンドハウスに1泊だけ帰って自然の中で癒されつつトンボ帰りで手術日となりました。

手術当日

前日の夜20時以降は食事禁止(夕飯も消化に良いお粥などのみ)。朝起きてからは、水分摂取もなしです。
手術については、軽ーくYouTubeで体験談を話されている人の動画を見たのと、流産手術を経験したことのある友人に軽くメッセージして聞いていた程度でした。

朝7時半頃には病院に入り、そこから少しの間待合室で、その病院での流産手術を検索してしまったのがいけなかったT T。私が読んだブログの方は、要約すると「あり得ないほど痛かった」と。私が通っている病院は基本的な処置は全て局所麻酔(採卵)で母体の負担を少なくというところですが、まさかの流産手術も局所麻酔らしいと、その時初めて知るT T。
友人たちは全員が、「全身麻酔で目覚めたら終わってたよー」と言っていたので、軽く考えていたのに。

前処置

まぁそれでも、待ったなしで時間はやってきます。
まずは、子宮口を広げるために処置用のタンポンのようなもの?を入れていきます。最初なかなか入らなかったようで、入れる瞬間は痛みが走りましたが、まぁ我慢できない痛みではありませんでした。
でも、なぜかそこから、酸欠になりそうなほど呼吸が浅く早くなって、上半身の冷や汗が止まらない。(挿入から5分程度は、このままの姿勢で安静にしててと、あの婦人科特有の椅子の上で待ち。ちなみに隣の個室でも同じく流産手術を受ける方が前処置を受けていました。勝手に心の友化w)

尋常じゃない冷や汗と酸欠になりそうな状態に「え?!何事」と焦っていたら、手も震え出してしまってだいぶビビりました。呼吸がしんどい状態だったので、声も出せずT T。(今振り返ると、多分、恐ろしいブログを読んでしまった精神的なものかなぁと思います。)数分経って、看護師さんが声かけに来てくれた時に「大丈夫ですか?汗すごいですね?!」と気づいてくれて。「ちょっと呼吸がしずらくて、手が震えているのでしばらく横になりたいです。」と伝えることができました。
そこから、奥の部屋のベッドで横にならせてもらい(ごめんなさい個室だったのでマスクをずらして呼吸優先させてもらいました)。15分くらいで落ち着きました。

その後、手術室近くの待機室でまた横になって、筋肉注射と点滴を受けつつ自分の手術の順番を待ちます。この点滴も曲者でした。というのも、朝から何も食べていない&さっき冷や汗を書いてカラダが冷えている状態だったため、血管が見えにくくなってしまい、右を刺してNG、左も血管を探り探りで進めるしかなく、ストレスマックス状態。(看護師さんたちはめちゃくちゃ良くしてくださいました。)

いざ手術

ドキドキしながら、「採卵」と「移植」で使用した手術室へ。マジでドキドキでした、「いつ激痛が来るんだ?!」と常に思いながら。
局所麻酔は全く痛くない。
かちゃかちゃと金属器具の音と、何かしら下半身で行われている感覚。軽い痛みはありましたが意外と平気。
あっという間に「折り返しですよ。」という看護師さんの一言。
嬉しい!!!けど、まだ折り返しという恐怖w
吸引の音と器具の音が繰り返し行われ、なんとなく痛い。という状態が何度か来ましたが、これも意外と平気。
ただ、精神的に疲れがすごかったです「いつもっと痛くなるんだ!!出血は大丈夫なのか!!」という恐怖心。
でも、結局猛烈な痛みなどはなく終了。(今回摘出した胎嚢は遺伝子検査に出しました。)
手術台からは車椅子に乗って、待機室へ。
1時間ほど横になって安静状態。(この時旦那君と友人たちとLINEで「マジで怖かったT T」連絡島くる)生理痛のような痛みがたまにある程度で、これも平気でした。
1時間後にトイレに歩いていけるか?と、止血で入っていたガーゼを取り出して出血状態を確認してから報告。(大した出血はありませんでした)

内診をして、診察をして、抗生物質や術後の注意事項についての説明を受けて終了。(診察室での会話はマジで3秒「まぁ今回はしょうがないね!次回は11月7日に来てね」で終わりました。清々しいくらいあっさりしていて拍子抜けw)

帰宅

コロナの関係もあり、旦那さんは病院には来れなかったので、会計のタイミングくらいに車で近くに来てもらっていました。会計後に合流だったんですが、なぜか、会計が終了していつものエレベーターホールに出た途端涙が溢れました。自分でもどの感情が強かったのかはわからないけど、お腹にいたベビちゃんがいないという寂しさと悲しさ、手術が怖かったという恐怖感からの解放、まだ諦めないと決めているけど先の見えない妊活への不安、4回の採卵と移植までの間でも自分の仕事を減らしたり調整したりと大変だったのに、という気持ち。ぐちゃぐちゃと溢れ出て、エレベーターホールからエントランスまでは涙が出てしょうがありませんでした。

でも、旦那さんの顔を見たら、「よっし、頑張るか^^」という気持ちになって、涙も引いていきました。二人でランチと夕飯の買い物をしてから車で帰りました。

流産手術から1週間経った気持ち

感情を殺さないで過ごした1週間

私がこの期間で意識したのは、悲しいものは悲しいので感情を隠さないで出す。泣きたいなら泣く。というシンプルなものでした。
特に、友人たちや仲の良いクライアントさんたちには、「聞いてーー悲しい!!」とLINEや電話や実際に会って、話を聞いてもらってました。(今月はその予定で会う人がまだまだいるw)

旦那さんにも「悲しい」「怖い」「不安」でも「頑張りたい」という、本当に素直な気持ちを出しつつ。この2ヶ月近く安静にしたり不安の中で体を動かすことを制限してきたことへの鬱憤がすごかったw。この感情については、また別途書きたいと思います。(妊活時のアルアルなんじゃないかな?)

結論的には、まだ諦めずにやるぞー^^という気持ちになっていること。(流産を告げられた時点から決めていましたが)
まだ、悲しいとか不安という気持ちはもちろんあるけど(これは無くなることはないでしょう)、めっちゃ元気w。

実際は、「胎芽が見えない」という不安な日々の方がしんどかったです。白髪も出たしT T。(ストレスが一番卵子には良くないのでどうにかしたかったけどしょうがない)
白黒はっきりしたこと、ずっと不安を体の中に溜めている状態から解放されたことの方が、流産という事実よりも大きかったと思います。
「拭いきれない不安な日々」、「考えてもしょうがない!!と思おうとする日々」この期間が本当にしんどかったなぁという私の稽留流産でした。

まさか、私が。
まさか、このタイミングで。
人生のいろんな坂がある中で、この「まさか」が起きるとは。

移植時も移植後もホルモン剤等は使わなかったので、自力で妊娠を継続できる力はあるっていうことがわかった稽留流産でもあり。40代と50代の「受精卵の遺伝子」をより良い状態に持っていかないと!ということがわかった稽留流産でもあり。とりあえず、卵子のエイジングケアも兼ねて、白髪が黒く回復するようにこのストレスをケアしていこうと思います。

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