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20年前の給料日に社員に書いた手紙

2024年3月16日に想う事


今から20年前の2004年の7月。
東京の御徒町に初めて直営店を出した月の給料日に
社員にあてて書いた手紙です。

※ちなみにこのお店が今の天王洲アイルのお店に繋がっています。
この時のスタッフが、今YouTubeを担当する飯田君と開発担当の井上君です。

ファクトリーギアは2000年に設立していますが、30代の高野倉が一人で
始めた小さな会社でした。


1996年ごろのファクトリーギア創業柏店の写真。

資本力のない会社が多店舗運営をするためにFC店という形を取り、この時も自社の発信力(当時は雑誌での発信でしたが)を使った店舗ブランド力とファクトリーギアを中心に多くの工具メーカーと共に創る「DEEN」の販売権を生かし、フランチャイズという形でビジネスに結び付けていたのです。

いま、読み返すと、この時からブランドの創り方について相当意識的に
現場に発信していますね。

ついつい人頼りになりがちなブランディングをブランドを生み出す
のは現場の1人1人の仕事なんだということを語っています。

パートの女性を社員に登用に、それを全スタッフで後押ししようと
発信しているのも、今風です。

20年前。まだまだ青い高野倉ですが、今に続く事をしていましたね。

では20年前にタイムスリップ

※FGRとはファクトリーギアを法人化した時に作った会社の名前です。
現在はファクトリーギア株式会社に変わっています。

20年前の手紙

2004年6月度お疲れさまでした。

7月3日。FGRにとって、初の直営店舗がオープンしました。
オープンにあたっては本店のスタッフはじめ沢山の人たちの暖かい応援を頂き心から感謝しています。
ありがとう!

僕はファクトリーギアは接客業だと思っています。
人と人との触れ合いで、目の前にしたお客様との触れ合いで
色々な事を感じ、色々な楽しさ、辛さ、悲しさを味わい、
そしてそのすべてから、仕事を創っていきたいと思っています。

だからこそ、今回、FGRは直営でお店を運営することにしました。

全部で8か所もの販売拠点を持つようになった今、もう一度現場で、
実際にお店で感じることを大事にしていきたいと思っています。
そうして、今回又、あらためて強く感じたことがあります。

ファクトリーギアは本店のその形でもなく、高野倉でもなく、
みなさんそのものだということです。

お客さんにしてみれば、
高野倉という人間がファクトリーギアなのではなく、
本店の外観がファクトリーギアなのではなく、

目の前で自分自身に接客してくれる人そのものが
ファクトリーギアなのです。

つまり、『うちの会社はね・・・。』と、いうのは自分を含めた
ファクトリーギア全部であり、お客さんを前にした時は、
まさにあなた自身が100%ファクトリーギアなのです。

そうして、そうやって接客して積み重ねていくみんなのすべてが
渦となってファクトリーギアの評価を創っていくのです。

そうして、その渦はその創られた渦のクオリティー
によって、僕たちがやりたいと思う事が出来る環境が出来る場合もあるし
逆に出来なくなってしまう場合もあるのです。

ひとつひとつの言葉、ひとつひとつの仕事、小さな事に見えるかも
しれないその事が、実は僕たちの未来にとって、とても重要な事
なのだと僕は思うのです。

そうして、どんな時でも、どんな環境の中でも決して動じない
揺ぎ無い大きくて暖かい心を持って生きてゆきたいと思うし、
皆さんも仕事の中で自分自身を研鑽していって欲しいと僕は思います。


FGRのMさんが、今月から社員になりました。
今まで子育ての中でも決して妥協することなく仕事をし続けきて、
今ではファクトリーギアグループの中ではなくてはならない存在と
なりました。

今までもMさんは社員だからとか、そうじゃないから、という事で
仕事に対する姿勢が違っていたという事はありませんでしたが、
これからはより一層、僕たちファクトリーギアの進化発展を支える
重要なスタッフになってくれると思っています。

みなさんも、しっかりと、Mさんチェックをうけられるような、
そんな責任ある仕事を任せられる重要なスタッフになってくださいね。

さて、いよいよバーゲン、フェスタの月です。
日頃の仕事を通じて鍛えてきた能力が最高に試されるときであり、
又、最高に自分自身の能力をランクアップさせるチャンスの季節です。

暑い季節ですからしっかりと体調管理して、この興奮月間を堪能して、
すっきり気持ちのイイ夏にしましょう!

では!2004年7月5日(ちょっと遅くなってごめんなさい!) 高野倉匡人


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