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卒業制作という1年間

今までいくつか、卒業制作とか、制作についてのnoteを書いていたのですが、卒業制作の制作自体を振り返ることをしていなかったなと思ったので、書きます。これは大きな反省文でもあります。よろしければ、この未熟な私がどう卒業制作に向き合っていたのかをご覧いただければ嬉しいです。
今までのnoteはこちら。

決めたこと

卒業制作に向き合うにあたって、私が心の中で決めたことが3つありました。

・毎日学校に行く
・毎日手を動かし、スタディもちゃんとやる
・卒業制作に対して金を惜しまない(そのお金はほぼ全部自分で出すこと)

前二つを設定したのは、どちらにも似たような思いが根底にありました。パンデミックの影響で思うように学校に行けなかったこと、学校に行けるようになった頃には単位を取り終わっていてまた学校に行こうとしなかったこと、家が遠いことを言い訳に効率のいい学校生活を送っていたこと、でした。
一番最後のは、卒業制作に向けて3年生のときにバイトをしまくってめっちゃお金を貯めたからもういいやとなった、というのもあります(本当は奨学金の支払いのためにお金を貯めておくつもりが卒業制作で見事に使い切りました。完)
ちなみに使った金額をこの前計算しました。

きっかけのきっかけ

私にはめっちゃ得意な技法を持ち合わせているとか、どうしてもこれがやりたいんだというものがなかったのです(今もあまりないです)。そんな時、3年後期のデザイン論という授業の中で、「大学の近くにある府中市美術館で今授業で紹介した内容を汲むような展示やってるから見るといいですよ(意訳)」って教授がおっしゃっていたのでその帰りに展示を見に行ったのです(展示に行くことへのフットワークが異常に軽い)。
それが『アーツ・アンド・クラフツとデザイン』という展示でした。

私はここでメイ・モリスの刺繍パネルという作品を見ました。お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、メイはウィリアム・モリスの次女です。メイはウィリアム・モリスが立ち上げたモリス商会で刺繍作家としても活動していました。メイが手で刺繍をした大きなパネルを見て、私は素直にこう思いました。
「昔の人が手でできたことを今どうして機械でやっているんだろうか、人が手でやってはいけないのだろうか」

ウィリアム・モリスについて調べる

展示を見たあと、漠然と、卒業制作で取り上げることがモリスのことや刺繍のことになりそうだなと思いながら、少しずつ、モリスがやったこと、メイの刺繍について調べていました。そして3年生が終わった1月ごろから、本格的にモリスがやったことについて調べて考察をするようになりました。
たまたま博士課程にいる友達がいたので、基礎研究をどうやってやるのかを教わりながら、一緒に研究をしてもらいました。Special thanks…
ポートフォリオサイトに記載された参考文献は全部読みました(全てを載せてはいないのですが)。論文、今ある書籍、Webサイトもぽちぽちと見つつ、たくさんモリスやアーツ・アンド・クラフツについて調べていきました。

刺繍は趣味

そこからテーマが立ち上がって、制作へ入っていった、というところは割愛します。
これは自分への戒めみたいなものでもありますが、その時たまたま趣味で刺繍をしていました。ネットの知識でできるステッチを増やしたりモチーフを刺繍してみたり。独学だけれど楽しいかも、と思っていました。
そして刺繍をするということと、卒業制作のテーマがほぼ同じような時期に被りました。多分、これがよくなかった。もっと視野を広げて、「工芸と工業のグラデーション」に対してどういうアウトプットをするべきだったのか、一度捨ててでも考え直す必要があったのだと思います。
あくまで刺繍は趣味の一つで、制作の手段の一つでしかない、ということをずっと覚えておかなければいけません。
ただ、その時の私には刺繍しかなかったので、刺繍をしていました。毎日刺繍を続けていたら、刺繍をするたびに、もはや一針繍うごとに自分の技術が上がっていたのがよくわかりました。そして、絶え間なくスタディをし続けること、すなわち自分の刺繍の技術が人に見せられるくらいのものになることを目標として、前期は毎日いろいろな刺繍をしていました。

一番最初はアゲハでした。枠を使わないという暴挙によって布がしわしわ。

この頃もまだまだサテンステッチが下手で、今もあまりうまくできないロングアンドショートステッチにも挑戦してみた。

一番大きいのはサザンカでした。全部サテンステッチなので面で光って綺麗でした。

全てのスタディはこちらからご覧ください。思っていたより数が少ないですねぇ…

そしてそこから本制作につながっていきます。
刺繍は手段、というのは卒業制作の中でもずっと意識していたことでもありましたが、振り返ってみると、刺繍を続けていけば続けていくほど、どんどん自分の手から制作が離れていくような感覚が、後半にはありました。刺繍はとても時間のかかる作業です。誰よりも手を動かさなければ他の人と同じ土俵にすら立つことができない。だから後戻りができない、ここで終わりにして違う方向に行こうとするには私の本制作の始めが遅かった。進むしかない中で、これでよかったのか、常に自問自答しながら刺繍をしている時間は苦でしかなかったです。手を動かすことは楽しいけれど、何かが違うような気がする、そんな弱い自分でしかなかった。結果として、教授にとってはテーマはいいのにそれが伝わりにくいアウトプットだった、と見られて終わったのだと思います。

これから

卒業制作展の期間中は本当にいろいろな人から温かい言葉をたくさんいただいて、とても幸せでした。でもずっと心の中では悔しくて、毎日毎日反省をしていました。

そして、いろいろなことを学んだ1年間でした。
だから、これから先はもっともっとやらなきゃいけない、制作をし続けなければいけないんだ、と強く思いました。その中で、この卒業制作のテーマをずっと考え続けていこうと思うようにもなりました。私にとっては大きすぎるテーマかもしれないけれど、この先工業製品を作る側になる、携わる身としても、このテーマを見つけられたことが大きな成果でもありました。

ゼミの教授から、毎日学校へ行って制作をしていた私のことを「ペースメーカー」と呼ばれてちょっと面白かったです。常にペースを保って制作し続けることの先に何があるのか、私が作りたいもの見たいものはそこにあるのかもしれません。

これからも、私のことをよろしくお願いします。

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