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部活、途中で引退しました。

私は小学生の時にサッカーを始め、中学ではクラブチームに所属し、高校もサッカー部に入部してサッカーを続けました。

自己紹介のnoteでも触れましたが、私は中学生の時に手術していることに加え、実は高校1年生の入部直後にも半月板の手術をしました。

高校サッカーというと冬の風物詩とも言われる全国高校サッカー選手権大会があります。私は大学受験のために、この選手権の予選に臨む前に引退をしたのですが、今でもこの引退が心残りです。今回のnoteでは部活を途中引退したことを振り返り今思うことについて書き綴ります。

待ち受ける大学入試

高校3年生になると、そのほとんどの人に待ち受けているのが大学入試です。私が通っていた高校は1学年400名近くいる大学付属の私立高校です。通常の大学入試とは別に、付属校だけが受ける大学入試(統一試験と呼んでんいたので、以下統一試験とします)が存在します。その統一試験の時期は秋なので、センター試験の時期より前に大半の生徒の進路が決まります。

一方、私が所属していたサッカー部は、当時1年生から3年生を合わせて90人近い部員のいる、過去に選手権出場も果したことのある部です。その中で私は前述したように入学直後に手術したことでなかなか思うように練習もできず、怪我から復帰してもまた怪我をして、の繰り返しで万年Bチームでした。

2年生から3年生に上がる春に、ようやくトップチーム(いわゆるAチーム)に入ることができました。私のそう長くないサッカー人生の中で、この時の練習や試合が一番楽しかったです。全国大会に名を馳せるような高校との練習試合にも出させてもらいました。「俺、サッカーやってるな」という実感を噛み締めながら、まさに部活に打ち込んでいましたね。本当に楽しく時間でした。が、手術の影響もあり、そう長く続かず、インター杯予選が始まる前にはBチームに戻ってしまいました。

そこから、チーム自体は熾烈な予選を勝ち上がり、本戦に出場することとなりました。一方の私はと言うと、チームが勝ち上がること自体はとても嬉しく思っていましたが、同時に同級生のパフォーマンスをスタンドから見ていて、自分がここに食い込んでいくのはもう難しいのではという諦めモードになっていたように思います。

決断→後悔

インターハイの本戦が始まる夏休み前に監督と面談があります。私のサッカー部では恒例行事的なものになっていましたが、この面談で選手権まで続けるのか、途中引退するのかを伝えねばなりませんでした。そこで私が選んだのは「途中引退」でした。もちろんサッカー自体好きですし、もっとみんなとサッカーしたかったのですが、自分の身体の状態や目指すもの(スポーツ関係仕事に就くこと)があったため、勉強に専念するという理由から途中引退をする意思を伝えました。

監督は私にマネージャーとして残る手段もあることを提案してくれました。これにはかなり悩みましたが、ここは潔く退いた方が良いと当時の私なりに考え、引退することを改めて伝えました。最後は監督も私の意見尊重してくれました。

こうして統一試験に向けて勉強に専念することにしたのですが、模試を受けてもなかなか思うような結果が出ず悶々とし日々を過ごしていたように思います。結果的には統一試験でそれなりの偏差値が出たので志望する大学に進学することがきましました。ことを同じくして、サッカー部の方はと言うと、激戦区と言われる予選を勝ち抜き、全国大会出場を決めたのです。決勝の試合も観に行ってました。本当に嬉しかったですが、「辞めていなければ」という後悔の方が強かったです。正直今でも心残りです。

一生の仲間

私の代はその前後や最近の世代を見ても人数が少ない方でした。また高校からサッカー始めた人もいたような希な代です。さらに、ひとつ上の代の試合に何人も出ていたような上手い人ばかりでしたが、上手い下手関係無しに本当に仲が良い代だと思います。そんな彼らとは一生付き合おうとある時から決めました。何か頼まれることがあれば協力するし、結婚式に呼ばれれば出席して、と、私なりに彼らに対してできることをしようという思いを持ってこれまで過ごしてきました。おそらくこれからも彼らとは死ぬまで付き合うでしょう。高校サッカーは途中引退しましたが、一生の仲間ができたことは私にとってかけがえのこととなりました。

皆さんはどんな高校生活送りましたか。どんな仲間と出会いましたか。

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