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小学生とスマホってどう扱えばいいの?

子供がスマートフォンと一体化し始めました。

弊息子もおかげさまで小学3年生になり、放っておけば何時間でもYoutubeやロブロックスの世界に没頭してしまうように。

そんな様を見かねて「YouTube観る以外に何かやりたいことないの?」と本人に聞いてみても「うーん…」と返答に困る始末。いや、もうこれ親としては危機感しかないやつ。

それに加えて、最近気になっているのがショート動画で踊り狂う10~20代の若い子たち。正直、「自分の子供がこれやり始めたらイヤだなぁ」ってのもあります(笑)

SNSに入れ込む10代の子供達の成れの果てっていったいどうなるんだろう?

そんな社会心理的な興味も相まって、『子供とスマートフォンの付き合わせ方』というのが、最近、自分の中でどんどんホットなテーマになりつつあります。

そんなモヤモヤを抱えて訪れた本屋で、ドンピシャな本に出会いました。

これからスマホ世代に突入する子供を持つ親的には、色々と金言が尽きない本書なのですが、その中の一つ。

『孤独の効用』について言及されている部分が非常に良かったです。

<孤立>は、注意を分散させず、一つのことに集中する力に対して、<孤独>は自分自身と対話する力に関わってきます。

第3章 常時接続で失われた<孤独>ー<孤独>の喪失 自分自身と過ごせない状態

ああ、これだ。

おっさんが言いたかったのはこれですよ。

親との距離が開き、さぁ自分を形成しようという時期に、学校から帰ってもゲームでオンライン接続し、ピロンピロンSNSの通知の山にさらされ、永久に出てくるショート動画の波に乗っていたら、自分と向き合うもへったくれもありゃしないですよ。

私はこの未来が訪れるのがとても怖いのです。

本来であれば、10代の時期に退屈と向き合うことで自己との対話が始まる。

つまり、孤独の過ごし方を学ぶ準備期間なのに、それをスマホが土足でズケズケと我が子の成長の機会を妨げて、『寂しさ』に弱い人間に仕立て上げてしまうというのは絶対に賛同できない。

だってその結果どうなるかといえば、

  • 自分一人では何をしたらいいかが決められない

  • 衝撃的な出来事に遭遇した時にうまく飲み込めない

  • 寂しさに負けて、誰彼かまわず一緒にいたいというようなメンヘラ気質になる

こういった豆腐メンタルの20代として、社会人生活をスタートさせる羽目になってしまう…これはアカン!親としてはなんとしてでも避けたい未来。

「いくらなんでも話を飛躍させすぎでは…?」と思われる向きもあるかもわかりませんが、実はこれには私の苦い過去の経験も加味されています。

自分が10代の頃といえば、スマホなんかないにも関わらず、退屈を嫌い、孤独な時間を持たずに、とにかく友達と騒いでいたい、遊びの輪の中に一度でも加われないことはこの上ない損失だ!と言わんばかりの勢いで、自転車で駆けずり回っていました。それはそれは楽しい10代を送っていたように思います。

しかしその結果、20代に入り、周りが次々と就職して社会に組み込まれていったことで友達付き合いが失われ始めると、

「あの頃一緒にいたアイツらは絵に描いたような社会人生活を始めているのに自分ときたら…」

そういったコンプレックスを抱え、思い悩んだ時期が年単位で続いて、とても辛かった事を今でも覚えています。

自分との向き合い方がわからないのと同時に、仕事をしなければいけない年頃ですから、社会との向き合い方もよくわからなくて、二重に大変でした。

(そこでなんとか、もう一人の自分と対話するということが始められたように思います。)

友達に囲まれて、小中高とずっとみんなの人気者な我が子。親なら誰もがその姿を見たいと願いますが、実はそれって本人の将来的な人格形成にはあまりプラスにならないのかもしれません。

大人になってしっかりした『芯』のようなものを持っている人って、バックグラウンドを探ってみるとけっこう悲惨な10代を送っている人の方が多い気がします。

おそらく、その頃にたっぷりと、『繋がらない自由』を享受し、自分の中にもう一人の自分を産み育てる事をした結果、「何が起きてももう一人の自分と相談できる」状態を手に入れられたんだと思います。

なんでもかんでも取り上げる親にはなりたくないものの、この『スマートフォン』と『SNS』に関しては子育てを非常に難しくしているのも事実。

これに関しては今後も向き合い続け、子供との衝突に備えねばなぁ、と思う今日この頃です。


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