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映画『ちょっと思い出しただけ』〜ムービースターにはならないけれど〜


映画『ちょっと思い出しただけ』。

好きなポイントが多すぎてまとまらないため、印象に残った点をひたすら羅列していこうと思う。
(ネタバレも含まれるため未見の方はご注意ください)

○松居大悟×ジム・ジャームッシュ

演出と脚本を務めたのは、松居大悟監督。
映画の原作となったのは、本作の主題歌でもあるクリープハイプの《ナイトオンザプラネット》。
尾崎世界観がこの楽曲制作にあたり着想を得たのが、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』である。

松居大悟監督の『くれなずめ』は、最高だった。男達のバカ騒ぎに若干引きつつ、訳も分からないまま彼らのノリに巻きこまれ、あちこちへ感情を揺さぶられ、気づいたら泣いていた強烈な映画体験であった。
くれなずめで主演を務めた成田凌も今作にチラッと出演しており、思わずニヤリとしてしまった。

『くれなずめ』のレビューはこちら↓


そしてジム・ジャームッシュ監督といえば『パターソン』だ。こちらは"何も起こらない"映画だった。淡々と繰り返される、とるに足らない、でも愛おしくほろ苦い日常。心の底からほかほかと温まると同時に、人間の深い悲しみもじんわりと感じ取り、忘れられない作品となった。
パターソンに出演している永瀬正敏も私の大好きな俳優で、今作にもミステリアスな役どころとして強い印象を残す。

『パターソン』のレビューはこちら↓


結果として、この2人の監督のコラボともいえる今作は素晴らしかった。

松居監督の、演劇的でありながらどこまでも自然な目線と台詞回し。映像の色彩の鮮やかさと繊細なカット。
ジャームッシュ監督の、固定された空間の中で繰り広げられる役者同士の静かで熱い応酬。小道具に隠された豊かな意図。

それぞれ1作ずつしか観ていない素人の意見ではあるが、国境を越えた感性の融合に感動をおぼえた。

○池松壮亮×伊藤沙莉

そこに、長い芸歴を経て今ものすごい勢いで映画界のスターに上り詰めようとする、池松くんと沙莉ちゃんという最強タッグが加わる。
特に同い年の沙莉ちゃんは『女王の教室』から好きだったのもあって勝手に親近感を持っており、近年ラブストーリーで活躍する姿を見てこれまた勝手に感慨深くなっていたところだった。

2人とも、これまで演じてきた役柄のイメージも含め、決して「バチバチにオーラがある美男美女」でもなければ「見るからにエモいサブカルカップル」でもない。
いい意味でどこにでもいる、私達のすぐ隣にいる人物を生きるのが本当に上手い役者さんだと思う。

池松くんの少し伸びて上がる柔らかい語尾や、眉を下げておでこをしわくちゃにして笑う仕草は照生の優しさと頼りなさをよく出していた。あまりにも普通の男で、でも舞台に立つ者としての色気とプライドにうっかり恋に落ちてしまいそうな絶妙なラインを見事に表現していた。

沙莉ちゃん演じる葉は、見方によってはかなりめんどくさい女子だ。しかしそう感じさせない沙莉ちゃんの明るく豪快な笑い方や彼女の唯一無二の武器であるハスキーボイスによって、一切嫌味のない、自立しながらもかわいらしいところのある女性として成立していた。

○「定点観測」から炙り出されるもの

今作は、ある男女の6年間を同じ1日で現在から過去に向かって振り返っていく構成となっている。

この"逆再生ラブストーリー"の手法は、『The Last 5 Years』など様々な映画で登場し、同じく伊藤沙莉が主演の『ボクたちはみんな大人になれなかった』でも同様だという(まだ観てないけど)。

物語が進むにつれ"今が全て"とばかりに恋を謳歌する2人を目の当たりにする観客は、彼らの結末を冒頭ですでに知らされているため切なくてたまらない。

原作となる映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、冒頭に世界各地の時間を表した複数の時計が登場し、同時刻に様々な場所で繰り広げられるタクシー車内のドラマをオムニバス形式で描いたものだ。
この映画では「タクシーの中」での定点観測が行われたが、今作は「7月26日」という1日を繰り返す。 
同じように蒸し暑い朝、代わり映えのしない部屋で1日が始まる。しかしよく見るとクッションが変わっていたり、物が増えたり無くなったり、部屋の主である照生のルーティンが微妙に違っていたりする。
その1年の間に何があったのか、観客は想像しながら朝を迎え続ける、という不思議な楽しみ方ができる。

○「コロナ世界」の哀愁

映画は2021年夏の東京から始まる。
コロナ禍の最中、東京オリンピックが静かに行われている。静まり返った街中に、黒く無機質な箱に見えるジャパンタクシーが走る。
乗客が運転席の葉に話しかけるのは、コロナで乗客が減ったかどうかとか、失業したからタクシー運転手に転職したのかとか、またライブが中止になったとかいう話題だ。

元ダンサーの照生は、今は舞台の照明係として働く。慣れた手つきで消毒と検温をして控室に入り、マスクをして間隔を空けて座る観客の後ろから明かりを照らす。少し前までは照明としての仕事もゼロに等しいか、無観客配信ライブのみだったであろう。

わざとらしくなく、ごく当たり前のコロナ禍の生活が映画の中で描かれることは珍しい。特に主人公2人の職業がもろに打撃を受ける業種であることで、「コロナ世界」のリアルさが浮き彫りになる。
エンタメとして非常に考えさせられるオープニングだ。


ここでは特に、日常風景にありふれていながら意外とミステリアスな面も多い、タクシーの運転手という仕事にフォーカスしてみたい。

「この仕事は楽しいか」と乗客から問われた葉が、「どこかへ行きたいけどどこへ行けばいいか分からないじゃないですか。行き先をお客さんが決めてくれるから、色々なところへ連れて行ってもらえる」と話していたのが印象的だった。コロナ前からこの仕事を好んで続けている彼女らしい答えだ。

また、映画なので非現実的ではあるが、タクシーで夜のドライブデートに繰り出すというのは最高にロマンチックだ。私服でタクシーを運転する女性と助手席に座る男性、というポスターのインパクトはすごかった。
この少しだけファンタジックな世界観が、2人の何気ない日常を一気にドラマチックにしていく。

○「運転する女」の色気

さらに、一般的に運転手=男、ダンサー=女というステレオタイプもある中、あえてそれを逆にしたというのが面白い。パンフレットの中で監督は、伊藤沙莉ちゃんがヒロインなら女性を運転手にしても成立すると考え、性別を入れ替えたと話している。

私は個人的に、映画の中で「運転する女性」の色気が大好きだ。バックミラーからちらりと後部座席の乗客を見やる視線、サイドミラーを確認する流し目、ハンドルを握る細い指、街の明かりに照らされる横顔など、美しいなと感じる瞬間が多い。

それは例えば最近なら『ドライブ・マイ・カー』の三浦透子がまず浮かぶし、この映画の原作となった『ナイト・オン・ザ・プラネット』のウィノナ・ライダーだってゾッとするほど綺麗だ。

今回の沙莉ちゃんもめちゃくちゃかわいい。乗客を乗せている時の緊張感のある表情、キッと口を結んで前を見つめながらも泣きそうに揺れる瞳、助手席に恋人を乗せているときのいたずらっぽい笑い、どれも本当に魅力的だった。

○「高円寺」というキャラクター

主な舞台として、高円寺が多用される。
照生が働く劇場の座・高円寺は杉並区がNPOに委託して運営しており、私が大学のゼミの研究で職員の方に取材させていただいた場所だった。知名度を問わずかなりとがった多様な演劇やダンスを上演し、内装も個性的でとてもアーティスティックな感性を持った珍しい劇場だと思う。
JRで高円寺に停車した時に窓から見える外壁もワクワクするような、高円寺のシンボルのひとつである。


そして、なんといっても路上ライブをする尾崎世界観の歌に乗せて2人が楽しそうに踊る、高円寺ガード下だ。

いつも薄暗く湿っぽい通りで、昼間はひっそりとしている。
しかし、でこぼことしたまだら模様の地面の上に立ち並んでいる渋い居酒屋が、夕方になった途端店の外に簡素な椅子と机を放り出し、深夜までそこかしこで賑やかな大宴会が開かれるという異世界なのだ。

私は学生時代に所属していたNPOの事務所に向かうため、毎日のようにここを通っていた。深夜まで打ち合わせをした後に仲間とガード下の行きつけ店「馬力」で飲んだりもした、いわば青春の通りだ。
まさかあの場所がこんなにドラマチックな舞台になるなんて、懐かしさと謎の小っ恥ずかしさで胸がいっぱいになった。

○別れた後に残るのは


2人の会話の中で私が最も胸が締め付けられたのが、ケーキを食べながら映画を観た後、照生が「来年の今日プロポーズしようかな」と呟き、お互い照れて戯れ合う"最も幸せな瞬間"と、そのちょうど1年後の別れの場面だ。

2人を引き離した原因は、皮肉にも"最も幸せな瞬間"にすでに語られていた。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観ながら、葉は照生に、映画は字幕派か吹替派かと尋ねる。

照生「字幕だなぁ。役者の口から出る言葉をそのまま聞けるしね」
葉「何で言葉っていっぱいあるんだろうね」
照生「え?」
葉「だって皆同じ言葉だったら、簡単に通じるじゃん」
照生「でも言葉が通じても心が通じるわけじゃないと思うし、言わなくても分かることもあるし…」
葉「いや言わなきゃわかんないでしょ」


1年後ダンサーとして致命的な怪我を負い失意の照生を心配しつつ、彼を迎えに来た葉は執拗に「どんなあなたでも一緒にいられる自信がある」と繰り返す。

はじめにこのシーンを観た時、その言葉は彼女なりに不器用にも彼を励まそうとして空回っているように聞こえた。しかし葉は、2週間も連絡をよこさない照生に諦めを感じつつも、必死に1年前の約束を思い出させようとしていたのではないかと、後になって気づく。

ところがそんな思いも虚しく、別れはいつでもあっけない。そして二度と元には戻らない。

変わらずそこにあるのは、思わずケーキを買ってしまうくらい忘れられない彼の誕生日だとか、
2人で育てていた時より大きくなった猫だとか、
観葉植物やラジオ体操、
もう当たり前になりすぎて、染みついて、相手と自分が混ざりきった習慣や生活の残り香だ。

それまで世界は2人だけのものだった。片割れがいなくなり、絶望の中でふと顔を上げると、街を行く人々の何気ない会話がやけに耳に飛び込んでくる。

皆それぞれ幸せそうで、それぞれの人生を生きていて、世界は2人だけなんかではなかったこと、自分は孤独になったことを思い知らされる。照生が1人、力なくホールケーキを頬張るシーンが強く印象に残った。



最後に、クリープハイプの歌詞で好きな一節を。

"久しぶりに観てみたけどなんか違って
それでちょっと思い出しただけ"


人生は長くて、色々なことがあって、無敵に思えた若い時代は終わって、経験が増えた代わりに驚きは減った。

一番大切な人が変わって、自分はいつの間にかママになっている。昔は涙を流した映画を久しぶりに観たらそれほど感激できない自分が寂しくて、それで懐かしくなってあの時の一瞬の煌めきをほんの少し、本当にちょっと、思い出しただけ。

今更戻りたいとは思わないし、ノスタルジーに浸るつもりもないけれど、そっと心の奥にしまってたまに取り出して眺めてみたりしたい、小さくて大切な記憶。

この映画も、そんな記憶のひとつとしてこっそり心の引き出しに加えたいと思った。

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