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#002コンプレックスを強みに変えて、唯一無二のキャリアを築く—ハープ奏者堀米綾さんインタビュー

 昨年公開された映画「すずめの戸締まり」に、大ヒットを記録した「天気の子」そしてこの冬NETFLIXの日本ドラマではおそらく一番の話題作となった「初恋」―これらすべての作品に参加しているハープ奏者がいる。堀米綾(ほりごめあや)さんだ。

 映画やドラマのBGMやサントラを劇伴(げきばん)といい、生演奏をレコーディングして制作されることが今でも多い。同じ映像でも違う音楽を流すと俳優の感情が全く違って見えるといわれるほど、劇伴は作品の世界観を決定づける大切な要素だ。

 一般的なハープ奏者のイメージは、クラシックの演奏会で見かける、ロングドレスを纏った優雅な、それでいてちょっとミステリアスな存在ではないだろうか。
 堀米さんは、そんなイメージとはちょっと違っている。冒頭のような数々の話題作の劇判に参加するほか、菊池成孔氏率いる「ペペ・トルメント・アスカラール」のメンバーとして、レコーディングの他に青山ブルーノートなどの名門会場でのライブにも出演する。自身が企画するライブも、メンバーのオリジナル曲でセットリストを組んだり、会場選びにこだわることも多い。またダンスとのコラボレーションでの公演など、音楽の枠を超えた活動にも精力的に取り組んでいる。

 今年公開予定の映画作品(それも、きっと多くの人が楽しみにしているであろう期待作だ)の録音にも参加したという堀米さん。
これだけの活躍をしながら、今のフィールドを築くまでには実は大きな葛藤や劣等感があったという。堀米さんが歩んできた道のりと、音楽活動に対する想いを聞いた。

「落ちこぼれ」だったという高校時代

 堀米さんは11歳からハープを始めた。芸高(東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校)そして東京藝術大学器楽科へと進学した、一見すればとても華やかなキャリアだ。しかし、堀米さんにとってとくに芸高時代は、必ずしも楽しいことばかりではなかったという。
「芸高に受かったときはすごく嬉しかったんです。でも、入学してみたら全国からすごくレベルの高い子たちが集まっていて、みんな輝いて見えました。高校生なのに、一人暮らししながら通ってくる精鋭も多くいて。もちろん演奏の実力も高く、聴いている音楽も正統派クラシックという人が多くて、焦りました。実は私は元々ポップスや洋楽が好きで、いわゆるクラシック音楽というのをあまり聴いてこなかったんです。だからとにかく全然ついていけなくって。芸高では3年間ソルフェージュの授業があるんですけど、毎回ビリ。(笑)聴音も苦手だし、完全に落ちこぼれだったんです」

大学進学と、奏法の模索で広がった世界

 堀米さんは芸高での生活の中で、自分は演奏家に向いていないと感じ、音大に進学するつもりはなかったという。しかし「せっかくここまで来たんだから」という親の勧めで半ば渋々受験したところ、見事東京藝術大学に合格した。
 「最初は渋々だったけれど、この受験に落ちたら完全にハープをやめるつもりで、自分に出来るかぎりの最大限の努力をしました。
それで大学に進学してみたら、良いほうに流れが変わりました。音楽だけじゃなく美術学部の人たちとの横のつながりもできて、風通しが良くなった感じがしました。学べる音楽のジャンルも広がって、民族音楽の授業なんかもあって。大学に進学していろいろなタイプの人に出会うことで『私、大丈夫かも。ここなら浮いてない』って(笑)思えるようになったんです。」

 大学進学と同じ頃、堀米さんがそれまで師事していた桑島すみれ氏が退官し、新たに木村茉莉氏の下で指導を受けることになった。これもまた、転機になったと堀米さんは話す。
「桑島先生も木村先生も素晴らしいハープ奏者ですが、演奏や指導のスタイルが実は結構違うんです。なので、木村先生に師事するようになった当初は、桑島先生とのテクニックの違いに葛藤がありました。でも、練習を重ねていくうちに、二人の先生に教わったことをどちらもおろそかにすることなく、うまく自分の中で融合した形に落とし込むことができたんです。この経験は、今も私のテクニックや演奏をする上で、周りに左右されない核となる部分になっていると思います。そしてその頃から、ハープを弾くことが楽しくなってきました。」

菊地成孔氏、そして世界のハーピストとの出会い

 大学時代を通して少しずつ演奏に対して前向きになれてきた堀米さんは、それでもまだ、プロのハーピストになるつもりはなかった。卒業が近づくと、一般企業への就職活動もした。でも当時は就職氷河期。うまく就職先は見つからなかった。
 それで、卒業後しばらく堀米さんは平日に音楽事務所でのアルバイトと音楽教室での講師業を掛け持ちし、週末に結婚式やオーケストラでの演奏をする生活をしていた。
 数年そんな生活が続き、これからどうしていこうかと、悶々としていたという頃に、堀米さんに2度目の転機が訪れる。

 「2005年から菊地成孔さんのプロジェクトに参加し始めたことです。菊池成孔とぺペ・トルメント・アスカラールですね。これは元々、菊地さんのソロアルバムが出たのがきっかけで。アルバムの音を再現できるバンドを、ということで結成されたんです。菊地さんの事務所の方がメンバーを探しているのを知った友人が『綾ちゃんやってみる?』と声をかけてくれたのが始まりでした。これは、本当に幸運なご縁だったと思います。」
 菊地成孔さんの音楽性を再現するには、恐らくは日本で正統派とされているクラシックの作法以外のものも志向しているプレイヤーであり、音楽だけの世界に閉じこもらず柔軟に感性を開いている堀米さんが適任だろうと、巡り巡って声がかかったのだろう。
 しかし、参加当初は苦労もあったという。所謂クラシックの演奏は、基本的には五線譜の楽譜が読めればよい。しかし、ペペ・トルメント・アスカラールで要求されるのはコードでの演奏だ。
 「最初は本当に大変でした。ほんとはあまりわからないのに『コード読めます!』って言って。(笑)だから当初はメンバーの皆さんにご迷惑もかけちゃったんですけど」と話す堀米さんは、でも、「ここぞというチャンスは背伸びしても掴みに行くべき」と力強く頷く。

 活動の流れを後押しする出来事もあった。2007年にソルトレイクシティで開かれた「JazzPopHarpfestival」に参加したことだった。
「ペペ・トルメント・アスカラールでの活動は始めていましたが、当時はまだ自分の音楽の方向性に迷いが残っていて。そんな時にフェスティバルの存在を知って、友人を誘って行ってみたんです。広い大学を貸し切ってやるようなイベントで、いくつかレクチャーを受けたり、参加者の演奏を聴いたりして。それまで日本のハープの世界しか知らなかったので、驚きました。ジャズやボサノヴァを演奏する人もいれば、弾き語りをする人もいて。プロもアマチュアも関係なくて、みんなそれぞれに自分の音楽を極めていました。それを見て、私も私のやりたい音楽を、日本の枠にとらわれずにやっていこうと思いました。気持ち的には、ここが大きな分岐点だったと思います」

 ペペ・トルメント・アスカラールで活動のフィールドを得たことと、フェスティバルで得た手ごたえで、堀米さんのキャリアは大きく開けた。自身の演奏活動の合間には、好きなアーティストのライブにも積極的に通うようになった。好きだと感じる音楽のエッセンスを取り込んだり、人とのつながりを得る機会もあったが、この頃、何よりも「マインドが変わった」と堀米さんは話す。

仕事を広げるのは「人とのご縁」

 2020年に15周年を迎えたペペ・トルメント・アスカラール。堀米さんは数少ない初期メンバーとして、今も活動を続けている。
 ペペでの出会いが新たな活動にも繋がっている。堀米さんの参加するユニット「間を奏でる」は、ピアノの林正樹さんとの繋がりで始まった活動だ。現在の劇伴の仕事も、バンドメンバーから声がかかったものも多い。
 堀米さんが参加する作品には、いわゆる典型的なクラシック音楽よりも、演奏者の個性が出るものが多い。それゆえに、堀米さんは新しい音楽を演奏するとき、心がけていることがある。
 「レコーディングの場合、最初に与えられる譜面って、案外シンプルなものだったりするんです。例えばハープだったら、グリッサンド(音を区切ることなく、隙間なく流れるように音を上げ下げする演奏技法のこと。)だけとか。でも、現場の空気が許すときは、こんなこともできますよっていう提案をできるだけするようにしています。もちろん、与えられた譜面を正確に弾く技術は大前提です。でも、せっかく人の繋がりで広げていただいている仕事だから、自分の能力を最大限にして提供できる状態で応えていきたいですし、提案ができるプレイヤーなんだと認識してもらうことは、次に繋げて行くうえでも大事だと思っています。」

母になることで得た新境地

 堀米さんは、現在は2人の男の子を育てながら、演奏活動に励んでいる。
子育てに追われる中でこれだけの演奏活動を維持するのは並大抵のことではないはずだ。しかし、堀米さんは育児は必ずしも仕事を制限する要素ではない、とほほ笑む。
「自分が母になってみることで、それまでには経験したことのない感情をたくさん勉強させてもらっていると思っています。すごく、肝も据わりました。それに、外に出て行って楽器を演奏する仕事は、メイクしたり身だしなみを整えて人に会うことでもあるので、仕事があることで家庭での自分とバランスを取れている感じもします。そして何よりも、それまでみたいに自分のエネルギーを全て仕事に注ぐことができなくなった分、結果的に本当にやりたい仕事だけが残りました。今は数個のプロジェクトに集中して取り組むことができていて、充実感はかえって高まりました。」

 4月3日からNHKで放送開始した今シーズンの朝ドラ「らんまん」にも参加している堀米さん。ぜひ、この春はドラマの音楽にも耳を澄ませてみてほしい。BGMだと思っていた音楽が、今までとは違って聴こえてきて、一層ドラマが楽しめるはず。

いつも素敵ないでたちの堀米さん。柔らかい物腰でお話を聞かせていただいた。そのキャラクター故か、映画「飛んで埼玉」では、宝塚メイクをして学園のハープ奏者として出演を果たしたという逸話もある。2021年からは、インターネットラジオステーションOTTAVA (オッターヴァ)でのプレゼンターも務めている。

堀米綾プロフィール
東京都出身。11歳よりハープをはじめる。
東京藝術大学器楽科ハープ専攻卒業。 2002年同声会新人賞を受賞。 
在学中、イタリア/シエナ・キジアーナ音楽院夏期マスタークラス修了。 

現在「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」「アンサンブル東風」ピアニスト林正樹氏率いる「間を奏でる」オカリナと小型ハープ2台による「ゴシキヒワ」「Rosco Motion Orchestra」等にメンバーとして参加。 
またサクソフォンや二十五絃箏とのDUOシリーズを継続して開催。 これらのユニットやソロ、オーケストラ等で全国各地で演奏、複数のアルバムを発表している。
また、全国の小中学校音楽鑑賞会でハープを含む室内楽を紹介している。 

レコーディング分野では、映画「「すずめの戸締り」「天気の子」、連続テレビ小説「らんまん」、Netfrixドラマ「初恋」「岸辺露伴は動かない」、オリンピック2020東京大会開会式・閉会式、他多数参加。映画「翔んで埼玉」ではハープ奏者として出演。

チェリスト溝口肇氏のベスト盤「the origin of HAJIME MIZOGUCHI」では「世界の車窓から」を溝口氏とのデュオで収録。RADWIMPS野田洋次郎氏のソロアルバム「p.y.l」では、ハープアレンジと演奏を担当。
2022年タップダンサー熊谷和徳氏のオーチャードホール公演に、バンドメンバーとして出演する等、多岐にわたる。
様々なアーティストと積極的に共演を重ね、ハープの新たな可能性を探求している。


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