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時間にも“住所”を与えたい

物の住所、つまり定位置を定めておくとあとがラクだ。探し物をする際にもムダな時間が減るし、つねに片付ける習慣ができるために部屋がスッキリとした印象になる。

お金も、給料が入った段階で、先に貯金として一定額をまわしておくほうがいい。逆に、「余裕ができたら貯金をしよう」と思ってできている人を僕は見たことがない。

話は変わるが、忙しい、時間がない、そうやって最近の僕は、本当にやるべきことが目に見えていなかった気がする。同時に、本当はやらなくてもいいことを頑張ってやろうとしていた。

いざ、資格!転職!noteも毎日投稿!とひとりでやんやと騒いでいるうちに、「あれ、これ1日でやるのムリやん」となった。

そのあとに、改めて整理をして気がつけたのがよかった。いまの僕がやるべきことは、転職をきちんときめて、1日でもはやく建築のプロとなること・文章で発信をすること・歴史や京都の勉強をすること・大切な人たちとのんびり丁寧に暮らすことだけ。このなかで優先順位をしっかりときめたうえで、ここにつながらないことには、1秒も1円も費やしたくない、というぐらいの熱量で日々動いている(たぶん)。

だが、いや、待てよ、と。

文章で発信することを目標としているのなら、noteで毎日書くことを続けるべきでは?とじぶんでも思って悩んでいた。というか、シンプルにこうして書くことが好きなので書きたい、けどどうすれば、と考えていた。

だから、つぎは「時間にも住所を与えよう」という結論に至った。というか、冒頭の「物やお金」のことを考えたときに、「それって時間も同じだよな」と思ったのだ。

たとえば、noteにかんしては、ネタは“つねに”考える脳みそをつくる。そして、とくに平日は、いざ書く時間は“1日1時間”だけとしたい。それもまとめて書くのもいいけれど、“スキマ時間”にコツコツと書き進めていき、溜まってきたから投稿するか、ぐらいでも十分に書きつづけられる気がする。時間にもちゃんと居場所をつくってあげたい。

いまこの瞬間、今日やりたいことに本気で取り組むためにも、僕はやっぱりこれからも、ハマっては飽きてを繰り返していくのだと思う。そして、ただ闇雲にハマるよりも、時間を味方にして有意義な1日を過ごしたいなと思った次第。

というわけで、あと1週間ぐらいで28歳になります。

ドラマやアニメを観ているときに、いわゆる「大人」とされる人物が、だんだんと歳下であることも増えてきました。死ぬときに後悔のないよう、全力でみっちりと生き抜きたいです。

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