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繊細なままでいて

「このきもちを忘れないうちに」

noteを書いていると、そうじぶんの心に語りかける瞬間が多くなる。人前に出すような取り繕った理由ならいくらでも思いつく。だけど今日は、そのときに感じている本当のきもちを探ってみたい。

出会いと愛着。

「鴨川を走ったりしはるんやったら、タイヤは太いほうが安心やねえ」

僕がいまのクロスバイクを購入するとき、いかにも地元のサイクルショップに就職しましたみたいな、僕よりもひとつふたつ歳上ぐらいの茶髪の男性店員さんからそう助言された。

実際に当時の僕は、通勤で毎日のように鴨川の左岸を走っていた。ちなみに、鴨川の上流(北)をのぞんで、右側が左岸で、左側が右岸という。これは、「天子南面す」の一言で伝わるかと思う。

僕のクロスバイクには、カゴこそないが、車体を自立させるためのスタンドがついているし、鍵もわりとゴツめだし、道に迷わないようにスマホをハンドルのあたりに取り付けて確認ができる固定板も設置してある。1グラムでも軽くして走りたい、そう願う本格派の自転車乗りから見たら、僕のクロスバイクは素人そのものではあると思う。

おまけに、夏は蒸れるし、髪がくずれるからという理由で、ヘルメットだって法律で義務化される最後の日まで被りたくない。

スポーツバイクが、泣いて呆れる。でも、それでいいのだ。

出会いと憧れ。

そんなある日の晴れた朝。

仕事の日だったのだが、その日はなぜだか気分が高揚していて、いつもよりもスピードを出しながら京都のまちなかをまるで針で縦横に縫うように走っていた。

すると僕の右手側から、非常に軽快なペダルの動きで、サーっと一瞬で僕を置いてけぼりにした自転車があった。僕はそのとき、「よし、ついていこう」と思った。ハァハァ言いながら、僕は追いつき、そして、ふたつの車体が赤信号のまえで停まった。僕のクロスバイクがその自転車のすぐ真後ろについている格好となったとき、視線はなにかに誘導されるようにその自転車へ向いた。すると、

「タイヤ、ほっっそーー」と、心のなかで叫んでしまった。

それはタイヤというより、黒い紐のようにしか見えなかった。同時に、「こんな親指の爪ぐらいの太さしかないタイヤで、あんなに軽やかに走っていたのか」と感心した。

つぎは、その人の全身をくまなく観察してみた。服装はジージャンを羽織り、下はカーキのチノパンだった。足元には、右足首にバンドを巻いていた。裾がチェーンにからまらないための工夫だろう。靴は、わりとゴツめのリーボックだった。ちょっと主張がつよすぎて、僕の好みではなかったものの、確実にペダルを踏み込めるいい靴だと思った。

おしゃれをしつつも、それでいて自転車の運転をじゃましない、まち乗りスポーツファッションの究極態にすら見えた。

繊細なままでいて。

さて、長々と。

エッセイだから、こんな話をつらつらと書ける。

知らない人が、知らない人をかっこいいと思った話だなんて、これを読んでくれている方が、どういうきもちになるのかなんて、想像すらもしていない。このnoteを伸ばしたい、そう本気で願うのならば、他にも書き方はあるのだろう。

だけど僕は、それよりも「あれ、いいな」「この人、かっこいい」そうやってじぶんの心が繊細なままでいてくれることを願う。そうじぶんに語りかけることで、僕の1日は走り出す。

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