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ミニマルですね、書く人は

久々に毎日noteで書くことを始めて、「このままずっと楽しく書きつづけたいなぁ」という希望と、「大丈夫かなぁ?つづくかなぁ?」という不安が入り混じって、妙にふくざつな気分でこの記事をいま書きはじめている。

毎日投稿を再開して、今日でぶじに1週間が経った。

思うことは、やはり毎日書くことを自らに課していないときと比べて、「これぐらいは書くほどでもないか」と下書きにすらならないような些細な体験こそが、大切なんだと改めて気がついた。書くことは生きることだ。まるで荒野でえものを探す猛禽類のような目で、細かく世間を見るようになってきた、大げさに言えば。

これまでの歩み。

ホーム画面に固定しているプロフィール記事には、僕がこれまでにnoteで歩んできた道のりをいちおう記録している。他人からしたらどうでもいい情報であることはわかっているのだが、初期の頃から飽きずにずっとつづけている。

2023年7月14日。

どうやらこの日で、一旦毎日書くことを諦めているようで。それから約8か月がすぎ、僕はふたたび書きはじめている。意地ではない。もちろん強制されているわけでもない。

しいて言うならば、これまでの気持ちを発散するかのようにたくさん書きたい、ただそれだけである。

たくさん書くのか、それとも。

とはいえ、毎日書くこととたくさん書くことはちがう。

昨年の年末頃には、「千文字でシンプルに書くこと」にこだわっていた。しかし、ふたたび、書くことをおのれの使命とさだめた僕は、その気持ちに呼応するかのように、直近の記事は「1500文字、1600文字…」と日に日に書く量が増えてきている。いつか「毎日5000文字」ぐらい書けるようになるのだとしたら、それはそれですごいのだけれど、素人の僕が書くそんなに長い記事は、読者の胃もたれをまねくだけなのでぜひとも避けたい。

冗談はさておき、書く文量を減らしたいのは本気で考えていて。

「削りたい、でも削るところがない…」と毎日じぶんの記事を読み返しながら、投稿するまさに直前まで悩んだりしている。そもそも、書きたいから書いているのに、なぜ削らなければならないのか。

もちろんそれは、記事はただ長いだけでは意味がなく、冗長な文章では読まれないから。僕じしんも、記事のひとつひとつが、「作品」なんだと思いながら書いている。

だから、よく考え、必要な文字だけを刻んでいくことを意識して書く。たくさん書きたい気持ちと、いい記事にしたい、そんなふたつのポジティブな感情のはざまで揺れ動きながら書いている。

とはいえ僕は、ひかくてき後者、つまり「いい記事にしたい」ほうの感情を優先したいと思っている。書く人みんながそうとは限らないけれど、賢い人ほど多くを語らないように、大きい犬ほどムダに吠えないように、極力僕は、多くを書かずにミニマルな記事を目指していきたい。

書くこととミニマリズムは、相性がいいのだ。

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