幹事というもの
僕が、とある東京の大学を卒業してから、もう5年の月日がながれた。いま思えば、「親のお金で4年間学べる」なんて夢のような話だけれど、もうその貴重な時間と経験はもどらない。
そんな儚い学生生活のなかで、とりわけ親しくしていたわけでもないものの、とはいえ、通算すればけっして短くない時間を過ごしていたのが、学部のゼミナール、通称「ゼミ」であった。
卒業してから5年も経てば、当然、大なり小なり人それぞれに変化があるはず。仕事で役職に就いている人もいるかもしれないし、僕のようにすでに東京を離れている人も多いのかもしれない。なにせ、当時の彼彼女らとはまったく連絡をとっていないのでわからない。
ただ、聞いた話によると、そのゼミの担当だった教員が、当時は准教授という肩書きだったが、僕が卒業した3年後ぐらいに関西のとある私立大学に異動になったらしい。
急な呼びかけ。
なぜこんな話を書く気になったのかというと、理由がある。
3月がはやくも過ぎ去ろうとしているある日のこと。当時のゼミのライングループが急に動き出し、「またみんなで集まりたい!」という話になった。発言主は、その担当教員である。
僕は、対面でもWEB上でも、所属するコミュニティにおける基本スタンスは、「傍観者」だ。仕事などにおいてはさすがにそればかりではないものの、こういうプライベートにかんする集まりでは今回もその例にもれずに、ただその成り行きをだまって見守っていた。
見ていると、
「つい先日、卒業式がありました。今年の卒業生は、私(その担当教員)が関西の大学ではじめて持ったゼミ生たちです。それで、これまでのことを懐かしく思い、急にみなさんを誘いたくなりました」
という流れのようだった。
最適解をもとめて。
僕がその集まりに行くかどうかは、一旦、置いておいて。
とりあえず整理すると、その教員の教え子たちは、東京と関西の大学にそれぞれ通っていた人たちで、同じ大学の同期とその先輩後輩のあいだは面識があるが、もちろん他大学では知るよしもない。
さて、
いったいどこで集まるのが最適なのだろうか。
幹事としての役割。
僕も学生時代は、たまに幹事的なポジションを経験した。社会人になってからは、入社当時は当然、打ち上げや現場事務所でピザなどをたのむときにいちばん下っ端の僕が準備や対応などをすることが多かった。
そういう経験から書くと、幹事は「みんなの予定の調整」がいちばん苦労する作業なのだと思う。仕事終わりの飲み会なんかであれば、「いつ出られます?」「予約は19時からですからね!」ぐらいで済むばあいが多い。
それが、全国エリアで、しかも(僕のように)来るのか来ないのかわからないような人が多くいて、なによりも全員の顔と名前すら一致しない状況なのだ。ただでさえ大変な日程調整なのに、今回はそれにくわえて「場所」を確定して、「店」を決めなければならない。並大抵の労力ではないはずだ。とくに社会人ともなれば、それを勤務時間以外のうちにやらなければならない、当たり前だが。
口で言うのは簡単だけれど。
卒業式で懐古して、「またみんなで飲みたい!」はいいのだけれど。それを当時から活発だった数人の学生にまとめてさせるのは、なかなか酷だと思う。本人がどう感じているのかは知らないが。
せめて、東京か大阪、場所だけでも教員の手で決めてあげてほしい。ひとりの傍観者として、そう願うばかりだ。
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