夢を持ちなさいと言われる君へ

小学生の頃よく、あなたの夢はなんですか?そう尋ねられた。私は夢など何もなかった。何も望まなかった。何も考える気力が湧かなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 20歳になった今、寝て起きてご飯を食べてタバコ吸って、また寝ての繰り返しの毎日。たまにアルバイトに行ったり、飲みにも行くけれど将来が何も見えない生活だ。ふと思う、私は夢など何もないことに。

そう何もないのだ私には。

失うものもなければ、守るものなど当然ない。今私が部屋で自殺をしところで、よくニュースでやっている高齢者の孤独死問題、それと私はなんら変わりはないのだ。私から数日連絡がなかったところで誰も連絡してくれる人はいないし、ましてや部屋に訪ねてくれる優しい友達もいるのだろうか。

 夢が私にはなかった。そもそも自発的な感情を私は持ち合わせていなかったのだろう。

 私は中立的な意見をみんなに差し伸べて、先生が思い描いた優等生に勝手になっていたのだ。誰かが喧嘩したり言い合いになる原理がわからなかった。他人のこと興味なんて当然ないし、自分のことだって興味なんてなかった。だから、大人たちの目にはとても達観している子、という完全なる像が出来上がってしまった。

 仲良い友達も何人か居たが、その関係性に女の子はよく名前をつけたがったのを覚えている。今日は仲良くなった記念日だねだとか、一生親友宣言、そんなもの年が経つにつれてなくなるのに決まってるのに。

 友達は、水泳でオリンピック出場したいだとか、ピアニスト、ダンサー、警察官になりたいだとか散々呟いていた。そんなもの今だけで叶うはずがない。

 散々と言ってもいいほど冷め切った小学生だった私は夢など考えたことがなかった。でも、早く大人になりたいという気持ちが心の奥底にあった。早く大人になって自由の身になりたい。誰にも頼らず、どうか私だけの力で生きていきたいと、そう願う小学生だ。

 小学校高学年になれば、早く中学生になりたいと、中学生になれば早く高校生になってアルバイトをしたいと、高校生になれば早く成人して家を借りて一人暮らしをして名義も親に頼らず自分だけのものになると胸をときめかせていた。

 そんなものは偶像だ。当時の私にそう伝えたい。しかし、何故だろうか。20歳になってそれを分かった今、まだ年齢という呪縛に囚われている。年が経っても変わるものなど何もないのに。

 だから私は夢という存在はとても大事だと思う。

 夢を追い求める姿、それは耐え難く素晴らしい。追い求めるその姿こそに意味があり、変えが効かない唯一無二のあなたであるはずだ。

 だからこそ、人生に失望する前に夢を持ち合わせていれば将来あなたの強みや心の友達になれるのではないか。私はそう思う。
 
 夢がないことの方が多いと思うけれど、夢を持つことはそんなに悪いことではないだろう。

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