見出し画像

インスタグラムからリア友を抹消してみた

私は昨年末、インスタグラムのアカウントを削除した。

毎日起きて携帯を手に取る。まず開くのは、インスタグラム。そしてTwitter、LINE。着替えてトイレに行き歯を磨いて朝食の準備をする。朝食べた食事を携帯のアプリに入力する。そしてYouTubeで音楽を流しながら身支度をする。携帯アプリでバスの時刻表を確認し、家族に「行ってきますLINE」をする。バスの中では携帯の漫画アプリでお気に入りのコミックを読みながらSpotifyで音楽を聴く。そしてたまに友達にLINEメッセージを返す。

ここまで書いて、まだ1日が始まったばかりだとういうのに何回携帯を見てるんだ私は、と我に返った。いや、何回とかの話ではない。携帯をどこにでも持ち歩き、肌身離さず持っていて、何をするにも携帯アプリがないと行動できないのだ。
それだけではない。娯楽までもが携帯に支配されているという現実だ。

ある日のこと。私は何を隠そう、SnowMan好き岩本推しのオタクなのだが、昨年末のSnowMan年越し生配信の岩本ハイライトをいそいそ作っていた。(動画をスクショする作業のこと)すると、何枚目かの画像をスクショした瞬間、恐ろしいポップアップが出てきた。

え?そんなに?と思って確認したら1万枚以上の写真が私の携帯に保存されていた。そりゃ容量限界になるわけだ。

この写真たちに思いを馳せてみた。2013年からあるこの1万枚以上の写真たち、見返したことがあっただろうか。いや、撮って数日は見返すことだって、、あったか?ない。個人差はあると思うが、少なくとも私はない。

ではなぜ写真をバシャバシャ撮るのだろうか。私は考えた。考えて、恐ろしい事実に気がついた。ここで書くのも憚れる、が書く。私が写真を撮る行動原理は正直言って、インスタにアップするためだ。

この1万枚の写真たちのほぼ全てインスタにアップするために撮ったものだ。思い出じゃん!という声もあるだろう。もちろんそれもある。だが、思い出なんだったら見返すことをしていたはずだ。私の場合、それはほぼなかったと言っていいだろう。私の脳内は、こうだ。

こんな承認欲求とは無縁な顔をしておきながら、心の中は承認欲求の塊である。そういえば最近、目が痛いしいつもぼーっとしていることが多い。携帯のロック画面を開いて自然と指がインスタの方にいく。そもそも、何もないのにロック画面を開くことも多かった。

ジムに行く時も、筋トレがしたいより、インスタに写真載せるか、と考えていくことが多かった。本来、自分は何がしたいのか。完全に、SNSに生活や考えが支配されていた。このままだとだめだ。人間らしい自分を取り戻さねば。

私は、過去の写真をとりあえず5千枚消した。消す前は、本当にいいのか?と怯えていたけど、思い切って消したらなんてことはない。特に問題ない。いつだって思い出は心にある。

次に、インスタのアカウントを消した。私の場合、このどうしようもない承認欲求は友達に向けてのものが大半だった。ここにいてこんな生活をしているよ、こんなことをしたよ、見て見て!こんなものを買ったよ!などだ。インスタでアップしたところで、人に見せたとことで何にもならないのに。
私はインスタもXもしているが、Xは主にオタク活動や仕事などで使っていたため特に承認欲求の捌け口にはなっていない。そもそもリア友とそこまで繋がっていない。なのでそのままにしておいた。

そして私は、インスタグラムからリア友を抹消してみた。

アカウント削除した今現在、特になくても困らないことに気がついた。削除するまでは謎の不安感があった。有事の際(この出来事は能登で起こった地震の前だ)など手っ取り早く友達の状況など知れる便利さがあったのも事実だからだ。でも、心配は杞憂に終わった。有事の際はLINEという便利なツールで各々連絡が取れる(実際、LINEで生存確認できた)。

インスタのアカウントを削除したいま、生活は劇的に変化した、訳ではない。特にいつもと変わらず、朝起きて朝食を摂り準備をしてバスに乗りカフェで仕事をする。ひと段落ついたらジムで体を鍛えて帰宅する。いつもの私の日常だ。

変わったことはひとつだけ。
私の行動は、私がしたいから行っているということだ。そこに雑念がなくなった。目の前の物事に、集中できるようになった

本を読む時間も増えた。今までは本を開いてもいつの間にかインスタを見ていてストーリーにこの本をあげようとか考えて、とにかく集中して読めなかった。今は、時間をかけてじっくり楽しんで読書することができている。

私は、インスタをしている人が悪だ、インスタは悪だ、など全く思っていない。むしろ便利なツールだと今でも思っている。ただ、私個人にはいい影響を及ぼさない、それだけだ。

インスタを辞めたことで総合的に携帯を見る時間が減って、なんとなくだが夜もぐっすり眠れている(これに関しては、筋トレに集中できるようになったからという私の中の諸説もある)。
自ずとデバイスデトックスにも繋がって、世の中や自分自身について向き合い考える時間も増えた。そしてこうして集中してnoteを書いたり、読んだ本の内容について感じたことをXで書いたりできるようになったわけだ。

そんな私の2024年の目標は、1ヶ月に2冊本を読むこと。その第一歩目を今、踏み出した。


おわり


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?