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第2章 認知の歪みと「知識は力なり」| なぜあなたは騙されてしまうのか

・「4つのイドラ」とは何か

 フランシス・ベーコン(1561~1626)は法学者や政治家として活動する傍ら、人類を幸福に導くことを目標とする哲学者として様々な書籍を残しました。その代表作が『ノヴム・オルガヌム』という書籍です。この中でベーコンは、偏見や先入観など、人間が有する誤った見方の原因を「イドラ」と呼称しています。ベーコンは同書において、イドラを「種族のイドラ」「洞窟のイドラ」「市場のイドラ」「劇場のイドラ」の4種類に分けて説明を行っています。

・種族のイドラ

 第1の「種族のイドラ」は、人類が共通で有する誤った見方のことです。この点についてベーコンは、人間の知性は表面に凹凸のある鏡であり、物事がもつ本来の姿に自分の性質を交え、着色して映し出す、と述べています[1]。

 実際、人間が物事を捉える場合に、本来の姿と異なるように知覚する例が多く知られています。例えば、有名なのが「錯視」と呼ばれる現象です。錯視とは、物事を視認する際に本来の姿と異なるように認識する現象です[2]。錯視が起こるメカニズムについては様々な説が提唱されていますが、立命館大学の北岡明佳らの研究では、図形が動いているような錯視が起こる静止画をサルに見せる実験で、本来動く物体を視認したときにのみ活動する「MT野ニューロン」の活動が確認されました[3]。要するに、この実験が指し示すのは、錯視は脳の勘違いによって起こるということです。ここでは錯視の一例として、特に有名な「ミュラー・リヤー錯視」を提示します。


一般に上の図形の方が真ん中の棒が長く見えるが、両端のV字を取り除くと、真ん中の棒は上下とも同じ長さになる。


 この図において、両端に内向きのV字が付いた線分に比べ、両端に外向きのV字が付いた線分の方が長く見えると思いますが、どちらの線分も実際には同じ長さなのです。この例からも分かる通り、我々の感覚は決して物事をありのままに捉えるわけではありません。我々は、ややもすれば人間の能力を過大に評価しがちですが、所詮は「表面に凹凸のある鏡」でしかないのです。したがって、事象の本質を理解しようとする態度は、自身が見聞きしたものが全てであるという傲慢なものではなく、むしろ自身の感覚をも信頼しきらない、極めて謙虚かつ真摯なものである必要があるのです。

・洞窟のイドラ

 第2の「洞窟のイドラ」は、ある個人が有する誤った見方のことで、その個人特有の性質や受けた教育、読んだ書物、尊敬する人物などによるものです[1]。

 例えば、人間の赤ちゃんは生後6か月の段階ではサルをはじめ様々なカテゴリーの動物の顔を識別することができますが、生後9か月になると(通常の赤ちゃんのように、人間に囲まれて育った場合は)人間以外の顔を識別できなくなります[4]。これには「臨界期」という概念が大きく関係しています。人間を含む多くの生物では、発生の過程において神経細胞が過剰に作られ、神経細胞が死ぬことによって除去されることがあります。この細胞の産生と除去があいまって起こる過程を「神経回路網の再構築」と呼びますが、ある時期を過ぎると神経回路網の再構築が行われなくなり、特定の行動を起こすための神経回路が形成できなくなります。この時期の境界が臨界期であり、感覚機能の獲得などと関連付けて多くの研究がなされています[5]。人間が通常どれがどのサルの顔であるかを判別できないのは、多くの人間がサルに囲まれた環境で生育しないからなのです。また、臨界期は絶対音感や英語のLとRの聞き分けなどにも関係すると言われており、教育分野においても非常に高い関心が寄せられています。このように、趣味趣向や思想はもとより、ある個人が可能な行動も多くが周囲の環境に規定されます。

 その一方で、周囲の環境により形成された個人の性質は、時に偏見や先入観を生み、重大な誤りの原因ともなり得ます。例えば、一般にメガネをかけている細身の人は知的にみられることが多いですが、メガネをかけた細身の知的でない者も当然存在するでしょう。このように、あるカテゴリーに典型的なイメージのことを「プロトタイプ」と呼びます[6]。「リンゴ」という単語を見た時、「赤い」「丸い」「シャリシャリとした食感」「甘い」などのイメージが想起されるのも、我々が生活の中で接したリンゴに共通するイメージからプロトタイプが形成されていることによります。

 ただ、ある事象のプロトタイプを形成する過程が適当でない場合、その事象の実態に即したプロトタイプが形成されない恐れがあります。それどころか、その事象に一般的でない目立つ部分だけがピックアップされ、それをあたかも代表例かのように思いこむ可能性すらあります。この思い込みを基にして勝手な推測や断定を行うことを、心理学的には「代表性ヒューリスティック」と呼びます[7]。代表性ヒューリスティックが関与する例として有名なのが、「リンダ問題」と呼ばれる問題です。この問題はリンダという女性の人物像を推測してもらう問題なのですが、最初に提示される人物描写は次の通りです。


リンダは31歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心をもっていた。また、核兵器反対運動にも参加したことがある。



 この描写が提示された後、被験者はリンダの人物像として妥当な選択肢から順に数字を書くことを求められます。その選択肢には「リンダは小学校の先生である」「リンダは書店員で、ヨガを習っている」などの文面が並ぶ中、「リンダは銀行員である」と「リンダは銀行員で、フェミニスト運動の活動家でもある」という2つの選択肢が登場します。「銀行員」よりも「銀行員で、かつフェミニスト運動の活動家」の方が限定的なため、後者の方が前者と比べ確率が低くなるのは自明です。しかし、最初に提示された人物描写に書かれた「差別や社会正義の問題に強い関心をもっていた」や「核兵器反対運動にも参加したことがある」という特殊な性質によりリンダの代表的なイメージが歪み、「銀行員かつフェミニスト運動の活動家」の方があり得ると考えた被験者の方が多くなったのです[6]。つまり、一般的でない≒目立つ部分にリンダという女性のイメージを支配され、多くの人物が彼女の人格について合理的でない判断を下したのです[8]。

 このように、我々が抱くイメージは我々を取り巻く環境から抽出した、時に不完全でもあり得るものなのです。したがって、ある事象に対して適切な判断を下すためには、我々のイメージが果たして妥当なものであるか、ということを考慮する必要があるのです。

・市場のイドラ

 第3の「市場のイドラ」は、社会生活や他者との交流により生じる誤った見方のことです。このイドラについてベーコンは「人間は会話によって社会的に結合されるが、言葉は庶民の理解することから〔事物に〕付けられる。したがって言葉の悪しくかつ不適当な定め方は、驚くべき仕方で知性の妨げをする」、すなわち人間同士の交流の中で言葉の意味が不適切に決定されたり使用されたりすることで誤った見方が生じる、と説明しています[9]。したがって、このイドラには第1章で述べた「豊川信用金庫事件」のような噂やデマが含まれます。改めて確認すると、このイドラを防ぐための手立ては、他者に情報を伝える前に自分の情報や確信と照合することと、メディアや公的機関およびそれに準ずる組織などを利用して事実確認を行うことの2点です。

・劇場のイドラ

 最後の「劇場のイドラ」は、哲学における様々な学説や誤った法則が人間の心に入り込むことによって生じる誤った見方のことです[9]。これには思想家の学説や理論のほか、権威や伝統を疑いなく信じる姿勢も含まれます[10]。

 『ノヴム・オルガヌム』が発表された1620年といえば、日本では江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠の治世で、イギリスではメイフラワー号がアメリカに向けてプリマスを出港した年です。そのような時代において、学問といえば哲学と神学が主で、その他も政治学や論理学など学問領域が少数に限られている時代であり、現在では主流の学問となっている科学や数学も「自然哲学」という哲学の一領域に包括されていました。こうした背景を踏まえると、劇場のイドラを生じさせる原因は哲学だけでなく、現代において「学問」と呼称されるもの全体であると考えるのが妥当でしょう。また、1620年には十分発達していなかった新聞や、そもそも存在すらしていなかったテレビなど、専門家らによって学説等が語られる情報媒体を「劇場」に加えてもよいでしょう。

 劇場のイドラを生じさせる要因が学問全体にあるとすると、我々の想像以上に「劇場」が乱立していることがわかります。例えば、「○○大学△△学部教授」や「□□博士」といった肩書きをもつ人物が発言する場面が挙げられます。COVID-19の流行下ではワイドショーや報道番組に専門家として医学博士が登場する場面が多々見受けられましたが、中には信憑性を疑うような意見を述べる者も散見されました。医学論文や公的機関からの発表を基にして発言している場合を除き、発言のもっともらしさに依らず、発言者個人の意見であれば信用性はさほど高くありません。それというのも、専門家自身が洞窟のイドラにより正確な判断ができない可能性があるからです。

 実際、しばしばデータの妥当性を考える際に「エビデンスピラミッド」という考え方が用いられるのですが、このピラミッドでも専門家の意見は症例報告、すなわちたった1人の患者の症例よりも信頼性が低いと評価されています[11]。確かに、医療の現場では「経験的治療」という治療方法が実践されることがあります。しかし、経験的治療とは医師の経験に基づく治療という意味ではなく、細菌感染症などにおいて早急な治療が必要な場合、想定される原因を全てカバーできる薬剤を投与する治療方法(ただし、想定される原因を遥かに超える範囲をカバーする抗菌薬の投与は、薬剤耐性菌の出現を促すため危険視されています)を指します[12]。また、ある程度は経験によって医療を行う必要もありますが、それも医学的根拠に立脚した上で付随的に行われるものです。したがって、いくら専門家といえども、根拠を提示していない限りは信憑性がたった1つのサンプルにも劣るため、メディアでの発言をそのまま受容する行為は推奨されないのです(当然ではありますが、大半の医療機関における治療行為は医学的根拠に則って実施されており、医師の助言に従っていただきたいと思います)。

 専門家の意見ですら信用に値しないのですから、専門家でない者の意見はなおさら当てになりません。ワイドショーをはじめ、報道系のテレビ番組ではコメンテーターと称して芸能人や門外漢が出演することが多いですが、私はそのようなシステムに危機感を抱いています。芸能人や門外漢の場合は専門家と異なり、取り上げられている話題に関する説明を求められることはなく、個人的な意見を求められることが大半です。ただ、テレビという公共の場で意見を述べた場合、その意見があたかも国民の声であるかのように受け取られかねません。これを利用すれば、テレビ局が世論を誘導することも十分に可能です。テレビ局による印象操作と言うと陰謀論ではないかと思われそうですが、これは決して陰謀論ではありません。

・テレビ朝日と偏向報道―椿事件

 1993年の衆議院解散に伴う衆議院議員総選挙において、獲得議席が過半数を割ったことで自民党は野党に転落し、日本新党の細川護熙を内閣総理大臣とする非自民連立政権が誕生しました。1955年に自民党が結成されて以来守り続けてきた与党の座を奪取された、いわゆる「五五年体制」の崩壊です。この自民党の下野について、総選挙後の同年10月13日、産経新聞がマスメディアの信頼を揺るがす報道を行いました。同紙の朝刊には、「非自民政権誕生を意図し報道 総選挙 テレビ朝日局長発言」という見出しが躍ったのです。以下に、当該記事より内容を引用します(一部、伏字があります)。

テレビ朝日(全国朝日放送、I社長)の椿貞良取締役報道局長が、「政治とテレビ」をテーマにした日本民間放送連盟(民放連)の会合で、先の総選挙報道について、「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」「開票速報の間違いは予測ミスで、誤報ではない」などと発言、「〝公正であること〟をタブーとして、積極的に挑戦する」と強調していたことが、十二日までに明らかになった。(中略)別の出席者は、「幸い自民党の梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長は悪人顔をしており、二人をツーショットで撮り、報道するだけで、視聴者に悪だくみをする悪代官という印象を与え、自民党守旧派のイメージダウンになった」「その点、羽田氏(外相)は誠実さを感じさせるし、細川氏(首相)はノーブル、武村氏(官房長官)はムーミンのパパのキャラクターで、非自民グループを応援するのに好条件がそろっていた」と聞いている。

出典:「産経新聞」朝刊 1993年10月13日付

 要約すると、テレビ朝日の報道局長が総選挙に際し、同局の番組で「自民は悪、非自民は味方」という印象を視聴者に与えるような報道を行うよう指示し、思惑通りになったというスクープがなされたのです。このスクープにより産経新聞は1994年度の新聞協会賞を受賞した一方、テレビ朝日は放送法に違反する報道を行ったとして国会でも問題となり、偏向報道の指示を行ったとされる椿貞良が衆議院に証人喚問される事態に発展しました[13]。この一連の事件は「椿事件」と呼ばれ、報道の信頼性を議論する際にしばしば話題に上ります。

 このように、マスメディアが必ずしも公正な報道を行っているとは限らず、我々の印象を操作することも十分にあり得るのです。したがって、ワイドショーなどを視聴して「この芸能人も言っているのだから」と同調するのは非常に危険な態度であるといえます。我々は、誤った見方に陥らないよう、劇場で脚本家の筋書き通りに演じられる物語を観覧席から傍観せず、あたかも事実のように振る舞う虚構に疑いの目を注ぐ必要があるのです。

・世界的な名ゼリフ—「知識は力なり」


 さて、ベーコンは我々の認知にひずみを与える「イドラ」として以上の四点を立項しましたが、彼は『ノヴム・オルガヌム』の中で世界的に有名な言葉を残しています。それが「知識は力なり」です。この言葉を同書から正確に引用すると「人間の知識と力とはひとつに合一する」なのですが、いずれも同質の意味であり、先述の簡略化した言辞が定着しています[14]。ただ、ベーコンがどのような意図で述べたのかという点については、その重要性に反して触れられる頻度が低いように思われます。ここで、当該箇所を引用することとします。

 人間の知識と力とはひとつに合一する、原因を知らなくては結果を生ぜしめないから。というのは自然とは、これに従うことによらなくては征服されないからである。そして〔知的な〕考察において原因にあたるものは、〔実地の〕作業ではルールにあたる。

※ここでいう「実地」とは、知的な考察と対概念をなす実践・行為・作業のこと。
出典:F・ベーコン 著、桂 寿一 訳、『ノヴム・オルガヌム(新機関)』、岩波文庫、1980、p.70

 これはつまり、何かしらの原因が存在して自然のふるまいという結果が生じるのであり、観察により原因を発見して知識とし、それを利用することで思い通りの結果を産み出すことができるという意味です。

 ベーコンが同書を著した時代と異なり、現代においては分業化が進んでおり、化学については化学者が、物理学については物理学者が、というように一分野に特化した専門家により研究が進められています。ただ、事象を念入りに観察し、得られたデータから結果を導く、という現代における研究の流れはベーコンの主張と何ら変化はありません。そして、やはりベーコンの主張と同様に、専門家によって導出された知識を力へと変換し、人類は環境をデザインしてきました。その結果が、東京スカイツリーや明石海峡大橋などの巨大構造物であったり、人工知能やバーチャルリアリティーなどの先進技術であったりするのです。『ノヴム・オルガヌム』という著書が400年以上読み続けられている所以は、揺るぎない真理(と現在のところは信じられているもの)が明示されていることにあるのでしょう。

 さて、知識を力に変換する場面は、決して東京スカイツリーや人工知能のような壮大な事物に限りません。視点をミクロに移せば、実に我々の生活に根差した部分にも存在します。ゆで卵を作る際に、水の状態から茹でることでひび割れを防ぎ、転がしながら茹でることで黄身が中心に来るようにする、というのも知識を力に変換する一例です。知識はゆで卵作りのような極めて生活に密着した行為にも関与するということは、逆に言えば、持ち合わせる知識が不足していれば身近な場所で害を被る可能性もあるのです。庭に生えているイヌサフランやスズランなどの有毒植物を行者ニンニクと誤認して食せば、最悪の場合は死に至ります。電子レンジでアルミホイルやステンレス食器など金属製品を温めれば火花が散り、最悪の場合は火災となり自身の、集合住宅であればその棟の住人までも、生命を危機に晒しかねません。このように、身近な場面でも無知が有害となり得るので、人生を通して知識不足により悪影響を受ける機会は計り知れません。

・「間違った知識」という言葉の違和感


 ここで改めて、「知識」という単語の意味を確認しておくことにします。三省堂国語辞典には、「そのものごとを全体的に理解するため、頭に入れておくべき情報。また、その物事についての全体的な理解」とあります[15]。つまり、知識とは事物を理解するための情報のことなのです。

 時折、「間違った知識」などという言葉を耳にしますが、私はこの用法を疑問視しています。個人的な意見に過ぎませんが、「知識」(心理学的には「宣言的知識」)というのはその時代において正しいと信じられているものであり、そもそも事実に合致しないものは事物の理解につながらず、知識と呼ぶに相応しくないのではないでしょうか。

 私は一端のクイズプレイヤーとして、後輩に対して知識との向き合い方を教示することがあります。その際、頻繁に口にするのが「知識に対して謙虚であれ」ということです。言うまでもないことですが、サヴァン症候群でもない限り、人間の記憶は我々が思っている以上に曖昧です。

 例えば、車と歩行者の交通事故を描いたスライドを被験者に見せる実験で、実際には緑色の車が事故を起こしたにもかかわらず「走り去った青い車にはスキーラックが載せられていましたか?」と質問をすると、被験者は事故を起こした車が青色であると誤って記憶する傾向がみられました[16]。このように、我々が正しく記憶していると思い込んでいることも、実際には思い違いであることが多々あります。

 かく言う私も、クイズの競技中にしばしば記憶違いの解答をして不正解になります。大半の人間は完璧に物事を記憶することが不可能であるという現実を差し置いて、自身の記憶に過剰な自信を抱いたり、憶えるべき事柄を十分に調査もせずに憶えたと思い込んだりという尊大な態度でクイズに関われば、誤答以外にも様々な場面で支障が生じます。例えば、クイズプレイヤーには自らが出題者となる場面も多く存在します。その場面においては自らが作成した問題を用いてクイズを行うのですが、その問題に誤りがあれば結果に変動が生じるかもしれません。また、その場面が大会や、はたまたテレビのクイズ番組であれば、事態はさらに重大になります。大会で内容に誤りのある問題を使用すれば大会の信頼性に傷がつき、テレビ番組であれば誤りに気づいた視聴者からクレームの電話が寄せられるでしょう。そして、大会とテレビ番組に共通するのは、その問題を多くの人間が聞いているという点です。したがって、それらの場面で誤った問題を使用することは、前述の不利益のほか、事実と異なる情報を多くの者に広げ、その者たちから力を奪う行為にもなるのです。それゆえ私は、知識の取り扱い方に十分留意するよう説いているのです。

 さて、私はここまで、特定の場面における心理現象について、実例を交えて紹介してきました。それらの実例が「結果」に当たる一方、心理現象は、心理学者があらゆる実験を通して導出した「知識」に当たります。そして、この知識を利用し、我々が期待する通りの結果、すなわち「騙されない生き方」を産み出すことこそが力なのである、と私は考えます。ただ、これまで述べてきたのは、誤情報に騙される際に我々の中で生じる心理についてであり、それを心得ただけでは知識として不十分です。古代中国の兵法書『孫子』に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という有名な一文がありますが、これは武力衝突による戦闘の心構えを説いたものではなく、むしろ武力を用いずに敵を屈服させることを説いたものです[17]。現代において私人間で血みどろの戦いというのも極めて稀ですが、彼を知り己を知れば、少なくとも無駄な争いを回避することはできるでしょう。それゆえ、次章では「彼」、すなわち我々を騙す手合いについて考えていくことにします。

・参考文献

[1] フランシス・ベーコン 著、桂 寿一 訳、『ノヴム・オルガヌム(新機関)』、岩波文庫、1978、1980、p.84
[2] 長谷川寿一 他 著、『はじめて出会う心理学 改訂版』、有斐閣、2008、p.182
[3] Bevil R. Conway, Akiyoshi Kitaoka et al. “Neural Basis for a Powerful Static Motion Illusion”, Journal of Neuroscience 8 June 2005, 25 (23) 5651-5656
[4] Olivier Pascalis, Michelle de Haan, Charles A Nelson, ” Is face processing species-specific during the first year of life?”, Science. 2002 May 17;296(5571):1321-3
[5] 本間研一 監修、大森治紀、大橋俊夫 総編集、河合康明、黒澤美枝子、鯉淵典之、伊佐正 編集、『標準生理学』第9版、医学書院、2019、p.199
[6] 鈴木宏昭 著、『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』、講談社ブルーバックス、2020、p.65
[7] 鈴木宏昭 著、『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』、講談社ブルーバックス、2020、p.70
[8] ダニエル・カーネマン 著、村井章子 訳、『ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 上』、早川書房、2014、p.276-281
[9] フランシス・ベーコン 著、桂 寿一 訳、『ノヴム・オルガヌム(新機関)』、岩波文庫、1978、1980、p.85
[10] 貫成人 著、『図説・標準哲学史』、新書館、2021、p.59
[11] 山口直比古、「PubMedで調べるEBM」、日赤図書館雑誌、2014; 21(1):3-9
[12] 遠藤文司、「特集 ICU における抗菌薬処方 〜こうすれば上手く使える 10 de-escalation」、レジデント 2015/12 Vol.8 No.12
[13] 一般社団法人 日本新聞協会、「新聞協会賞、新聞技術賞、新聞経営賞受賞作」、2022年2月23日閲覧
https://www.pressnet.or.jp/about/commendation/kyoukai/works.html
[14] フランシス・ベーコン 著、桂 寿一 訳、『ノヴム・オルガヌム(新機関)』、岩波文庫、1978、1980、p.70
[15] 見坊豪紀、市川孝、飛田良文、山崎誠、飯間浩明、塩田雄大 編『三省堂国語辞典 第八版』、三省堂、2022、p.934
[16] Elizabeth F. Loftus, “Shifting human color memory”, Memory & Cognition, 1977, Vol. 5 (6),696-699
[17] 山田準、阿多俊介 訳註、『名著/古典籍文庫 孫子 岩波文庫復刻版』、一穂社、2005、p.42-57

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