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【映画評】 カルロス・ベルトム『マジカル・ガール』

数週間前からカルロス・ベルトム『マジカル・ガール』がX(旧Twitter)上で話題にあがることが多くなった。『マジカル・ガール』は2014年製作だから、リバイバル上映されるのかと思ったらそうではなかった。監督カルロス・ベルトムの新作が今春、上映されるのだ。タイトルは『マンティコア 怪物(原題)Manticore』。

主人公は空想のモンスターを生み出すことが得意なゲームデザイナーのフリアン。彼は内気で繊細な性格なのだが、隣人の少年を火事から救ったことをきっかけに、思いもよらぬマンティコア(怪物)を作り出してしまう。それは、彼自身の中に見出した怪物であり、人間が秘蔵するアンモラルな心の闇の反照としての現れである。このように書くとさぞやおどろおどろとした物語に思われるだろうが、決してそうではない。監督カルロス・ベルトムは幼年期に誰もが抱くファンタジーをロマン・物語として顕現化させる稀有な才能を持つ監督である。それは、旧作の『マジカル・ガール』にも見ることができる。

わたしが『マジカル・ガール』を見たのは2016年。残念ながら記憶も薄れてしまっているのだが、その時のメモを元に記憶を再構成することで、『マジカル・ガール』を構築してみたい。記憶違いがあるかもしれないが、お許し願いたい。

(ストーリーの要約)
白血病で余命わずかな12歳の少女アリシア(ルシア・ポジャン)は、日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の大ファン。彼女の願いはコスチュームを着て踊ること。父ルイス(ルイス・ベルメホ)は娘の最後の願いをかなえるため、失業中にもかかわらず、高額なコスチュームを手に入れることを決意する。どうしても金策がうまくいかないルイスは、ついに高級宝飾店に強盗に入ろうとする。大きな石で窓を割ろうとした瞬間、空から降ってきた嘔吐物が彼の肩にかかる……。心に闇を抱える美しき人妻バルバラ(バルバラ・レニー)は、逃げようとするルイスを呼び止め、自宅へと招き入れる。そして……。バルバラとの〝過去〟をもつ元教師ダミアン(ホセ・サクリスタン)は、バルバラと再会することを恐れている。アリシア、ルイス、バルバラ、ダミアン……決して出会うはずのなかった彼らの運命は、交錯し予想もしない悲劇的な結末へと加速していく……。

(『マジカル・ガール』オフィシャルサイトより)

日本のアニメとして「魔法少女ユキコ」が記されているのだが、1980年生まれのスペインの監督カルロス・ベルトムは日本のマンガの大ファンだと公言している。彼は「ドラゴンボール」にオマージュを捧げ、再解釈したコミック「Cosmic Dragon」を出版したほどである。

彼のデビューは映画監督としてではなくイラストレーターである。マドリードでイラストレーションを学び、エル・ムンド紙でイラストレーターの第一歩を踏み出した。2006年、初の単独著作「El Banyàn rojo」(「赤いガジュマル」)はバルセロナ国際コミック・コンベンションの4部門でノミネート。続いて短編集「Psicosoda」、「Plutón BRB Nero」を出版している。この履歴を覗いてみただけでも、彼の映画作品とコミックとの親和性を推察できる。

さて、「魔法少女ユキコ」という架空のアニメだが、『魔法少女まどか☆マギカ』を想像すればいいのだろうか。わたしには判断しがたいのだが、複数の魔法少女ものから架空設定したのかも。

白血病の少女アリシアのあだ名は「ユキコ」、その友だちのあだ名は「マコト」と「サクラ」。このあだ名も架空なのか、それとも出典があるのか気になるところだ。日本のサブカル好きのカルロス・ベルトム監督のことだから、日本の魔法少女アニメに出典があるかもしれないと、映画本編の内容そっちのけで……実は本編に大いに関係があるのかもしれないが、魔法少女ものに詳しくないわたしには判断がつかない……興味深い。

だが、わたしの思考領域を超えることなので、魔法少女オタクらしき人のサイトを覗き、とりあえずの結論を出してみたい。

「サクラ」は『カードキャプターさくら』の主人公「さくら」で、「マコト」はプリキュアの剣崎真琴。では、アリシアのあだ名「ユキコ」の出典は何なのだろうか。これがどうしても分からない。劇中に流れる長山洋子のデビュー曲「春はSA-RA SA-RA」は春の歌だから、言うまでもないけれど、「ユキコ」という単語はない。スペイン人にとり、「ユキコ」は日本らしい語感、日本を感じさせる響きの単語なのかもしれない。とりあえずそう解釈しておこう。

さて、本題に入ろう。
『マジカル・ガール』には2人の少女と初老の2人の男が登場する。2人の少女とは、白血病で余命わずかな12歳の少女アリシアと、生徒から嫌われ者の数学教師にブラックな手管で煙に巻くことを歓びとする小学生バルバラ。初老の2人とは、アリシアの父親ルイスと、バルバラの手管にかかる数学教師ダミアン。

ルイスは文学の教師だったが、人員削減に伴い現在失業中。妻のいない彼は、12歳のひとり娘アリシアの面倒を見なければならない。アリシアは余命わずかなのだが、日本のサブカル「魔王少女ユキコ」に夢中で、「春はSA-RA SA-RA」を聞きながら鏡の前でユキコの振りを舞っている。
ルイスはアリシアが眠っている間に、彼女のノートをこっそり覗いてみた。ノートには3つの願いが書いてあった。1つ目は…(記憶が薄れて忘れました。ごめんなさい)。2つ目は「魔法少女ユキコ」のコスチュームを着て睡ること。3つ目は、現在12歳であるわたしが13歳になること。娘は死を予感しているのだ。
ルイスは2番目の願いを叶えてあげようと考えた。ネットでコスチュームを検索すると価格は90万円。ユーロに換算して7000ユーロ(製作時のレート換算)。彼は失業中でそんな余裕はない。宝石店に強盗に入ろうと、石を片手に宝石店のショーウィンドウの前に佇んだ。石を振りかざそうとした瞬間、上からゲロが落ちてきて彼の体にかかった。驚いた彼はその場を立ち去ろうとするのだが、女が追いかけてきた。女はルイスを呼び止める。彼は妖艶な女の姿に立ち止まってしまう。女の名はバルバラ。ゲロを吐いた張本人である。バルバラはルイスが強盗未遂だとも知らず、自宅に招きいれ、ゲロで汚れたルイスの衣服を洗濯する。ナイトガウンに着替えたルイス。バルバラは薬物に溺れていて精神科医の夫と疎遠である。ゲロも薬物の影響なのだ。不在の夫との寂しさを紛らわせようと、自然な流れでルイスとベッドを共にする。ルイスはバルバラと一夜を過ごした翌朝、自宅に戻り考えた。バルバラをゆすろうと。7000ユーロ出さなければ寝たことを夫にばらすと。ルイスはバルバラとの情事を、携帯に録音していたのである。バルバラはお金持ち相手の怪しげな売春組織に身を売り、壁面に黒蜥蜴のマークのある不気味な館に入る。

7000ユーロを手にしたルイスは魔法少女ユキコのコスチュームをアリシアにプレゼントする。だが、彼女はコスチュームを着て眠ろうとはしない。
ルイスは再びネットを検索した。魔法少女ユキコはキラキラと輝くステッキを手にしていた。魔法のステッキである。これがなくて魔法少女じゃない。価格を見ると100万円以上。彼は再びバルバラをゆすることにした。バルバラは再び黒蜥蜴のマークのある館に入る。黒蜥蜴とは、三島由紀夫の戯曲「黒蜥蜴」であり、美輪明宏の当たり役「黒蜥蜴」である。バルバラにとり、「最後の勝利は私のもの」となるのか。

この女バルバラ。実は前述の、嫌われ者の数学教師を煙に巻くことを歓びとする小学生バルバラと同一人物である。成熟した女となったバルバラの姿である。ここで、彼女と再会することを恐怖に感じている元・数学教師ダミアンが登場する。ここから物語は重層性を帯びてくる。

重層性とは、二種のワンピース不足という重層性である。ルイスにとってのワンピースとは、いうまでもなく「魔法のステッキ」のこと。ダミアンにとってのワンピースとは、ジグソーパズルのワンピースのこと。ワンピースがないためにパズルが完成しないのだ。さらに、少女バルバラが授業中に書いたダミアンの悪口の紙片の消滅と、ルイスとバルバラの情事を録音した携帯の消滅。ところが、ダミアンの拳銃の出現で不足の重層性という不幸は、さらなる悲劇を生み出すことになる。「最後の勝利」は、やはりバルバラのものになったのだろうか。127分の作品。もう少し短く編集することで、より高密度の作品になったのではないだろうかとわたしは思うったのだ。

本作の魅力はストーリーの面白さのみならず、物語の重層的な構成である。映画を見るものはパズルを組み立てるとともに解体し、新たなパズルを嵌め込むことで物語を充足させる。まるでファンタジー・サスペンスを見ているかのようなのだ。新作『マンティコア 怪物』も、きっとそのようにあるだろう。上映が待ち遠しい。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

カルロス・ベルトム『マジカル・ガール』(2014)予告編

カルロス・ベルトム『マンティコア 怪物』(2022)予告編


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