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ヴァルネラビリティ

note投稿30日チャレンジ、14日目。

1カ月連続でnoteを投稿する #30日チャレンジ 中! 

前回のnote続き。 
https://note.com/maasaam/n/ncca1e4c93f36

星野源さんが恥の研究者から影響を受けたという話しが大変興味深い。 
紹介していた動画や著書から、自分を表現することについて考察してみることにする。


無防備になること⇔幸せ⇔強さ⇔勇気

恥の研究者ブレネー・ブラウンのTED「傷つく心の力」「恥について考えましょう」の動画では、人が幸せになったり、強くあるには「無防備になること」が必要だと言っている。

「無防備になる」というのは、今のありのままの自分を受け入れるということで、自分が不完全でも良いと思えることであり、勇気を持っている状態ともいえる。 

こうした状態を、著書『本当の勇気とは「弱さ」を認めること』では、
「ヴァルネラビリティ(Vulnerability)」と呼び、「不確実性、リスク、生身をさらすこと」と定義をしていた。
分かりやすい身近な例を本から引用する。

・一般受けしない意見を言うこと
・自分の立場を主張すること
・助けを求めること
・NOということ
・自分の書いた文章
・昇進したが成功する自信がない
・会社をクビになること
・恋におちたとき
・新しいことに取り組むとき


人は特定の感情だけをブロックできない

ヴァルネラビリティの状態になると、取り扱いが厄介な感情が生まれるときがある。ブレネー・ブラウンは、そうした感情にフタをせずに、感じることが大切だと言っていた。

例えば、「NOといった」ことで相手から嫌われることを恐れたり、不安になることがある。
不安、悲しみ、恐れ、失望、恥などは、多くの人が嫌な感情だと扱い、なるべく感じたくないものだ。

しかし、人は一部の感情だけを「感じない」ようにコントロールすることは出来ない。そうした感じたくない感情を麻痺させたり、感じないようにコントロールをすると、喜びや感謝といった感情も感じないことに繋がる。
結果的に、幸福も感じなくなる
というのが研究結果で出たそうだ。 

ヴァルネラビリティな状態には良いも悪いもない。

その状態や連想する感情もありのまま受け入れて、自分を少しずつ開示していくこと。人の心は、弱くてもろい部分もあることを認めて、相手に見せることで信頼を得て、人との繋がりを強くしていくことができるのかもしれない。

舞台出演は不確実でリスクがあって生身をさらすこと

この考え方は、先日出演した演劇の舞台にも繋がることでもあった。

舞台の出演者、スタッフの皆さんは、まさに「不確実性、リスク、生身をさらすこと」に時間を割いてきた。

約半年間の準備で積み重ねてきたものの、舞台を完璧にできるとは限らない。コロナ禍でその不確実性はさらに増していた。さまざまなリスクを受け入れて、生身をさらした創作期間だった。

それは結果的に、自身のヴァルネラビリティと向き合い、不安や失望に対処した時間であったともいえる。

舞台を通して共演者、関係者とは深い繋がりを感じられた。皆んなが、自分らしく表現している場で心地が良かった。

恥の文化と自己表現

私は自分らしさを表現することを考えたときに一番厄介なものは「人の目」だと思っている。日本では特に人の目が気になる「恥の文化」の影響が根深くあるのではないかとも思う。

例えば、
本当はやりたいけど、やりたいと周りに言ったら断られるかもしれない。やったら周りから何か言われるかもしれない。だからやらない(表現しない)。 
本当は笑いたいけど、見ている人がいるから笑うのを押さえた(違う形で表現をする)。 

恥、失望、失敗、恐れの感情によって表現しなかったり、不安の感情が邪魔をして自分らしさが表現できない事が、人生を豊かにしていないのではないかと思う。

自分らしさを表現できていないと、自分自身のことを好きになりづらいし、自分を信じることが難しい。その先には、人との信頼関係が築きづらいことに繋がっていくなど、生きるうえで、さまざまな不都合が出てくるのではないかとも思う。

ブレネー・ブラウンの研究結果の知恵を最大限に借りて、自分らしさを表現することに挑戦したい。不確実性、リスク、生身をさらす「ヴァルネラビリティ」と向き合うこと。そして、本来の自分を解放していくことについて、とても考えさせられた。

最後に2つ。
ヴァルネラビリティは、お互いの信頼関係に基づくものなので、境界線を必要とすると、本の中で書かれていた。
過剰に自分をさらけ出したり、弱さを全てさらけ出すこととは全く違うという。
それは、自身がさらし者になることによって、満たされていない承認を得ようとする欲求であり、注目を浴びようとすることはヴァルネラビリティとは似ても似つかないというのだ。この違いはよく考えたいと思った。

また、日本人は人前で褒められたときにも覚える「羞恥」があるそうだ。他者から注目を集めることに恥じらいを覚える。
これは、自分を表現することを意識するにおいて認識しておきたいことだと思った。

不完全な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。これもヴァルネラビリティを受け入れることなのかもね!

【今日の #まートレ
ヘッドスタンド9分
太陽礼拝×4
TEAM Tarzanのオンライントレーニングで、モビリティストレッチ
ピンチャマユラーサナ1分



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