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無力な2人 〜それから、そして〜

2人は、黙ったまま公園のベンチに座って居た。
制服の左胸には、赤い花。足元の鞄の中には卒業証書。
ソメイヨシノの花びらが、時折吹く風に舞う。
何かを話そうとしては黙り込むを繰り返す2人。
言葉にしてしまうと、全てが消えてしまいそうで怖かった。



入学式
真新しい制服に身を包み、皆、希望に満ちた瞳をしていた。
壇上では、新入生代表が入学の挨拶をしていた。
隣に座るヤツがこっそり俺に言った。
「あの代表の子、親が武元商事の社長なんだって。だから新入生代表になったらしいぜ。」
ふぅーん、社長のご令嬢なんだ。
湊はメガネを直しながら壇上の七海を見た。
何故かその時、2人の目が合った。



湊は七海の手に自分の手を乗せた。
七海は、その手を握った。
七海の手は、冷えきっていた。
湊は七海の手を温めながら、このまま時を止めたかった。
2人でいられる最後の時を。
永遠に。このまま。



放課後
湊と七海、2人図書室で勉強をしていた。
「湊君、さっきの歴史で先生が言ってたのってどういう意味?授業でも先生が何言ってるか全然解らなかったの。」
「ん?あぁ、あれはね、歴史はもちろん過去の出来事だけど、それを紐解いていくのは、現在形であり未来に解明する事も有る。だから、歴史は考古学でもあるし未来学でもあるよねってこと。」
七海はポカーンとした顔で、
「先生、時間軸がどうのって言うから、何次元?って思ちゃった。なるほどね。湊君、ありがとう。」
「お礼は?」
「え?今、ありがとうって・・・」
湊は前後左右を確認すると七海にキスをした。
七海は顔を真っ赤にしてうつむいた。



公園の外に、車が止まる音がした。
「七海、もう行く時間じゃない?」
七海は湊に抱き付き
「嫌だ!湊君と離れたくない!今から2人で逃げよう?」
湊も七海を抱き寄せ
「それはダメだよ。俺だって離れたくないけど、18の俺が七海に出来る事なんてたかが知れてる。七海には、苦労の毎日なんて、過ごして欲しくないんだ。」
湊は溢れそうな涙を堪え、七海を更に力強く抱きしめた。



社長室
「君かね、七海と交際しているのは。」
「はい、宮田 湊と申します。」
「君はずいぶん成績優秀らしいね。」
「たまたま優秀な先生方に恵まれてるだけです。」
「謙遜ねえ。ははは。」
「今日のお話は、七海さんの事ですか?」
「まあ、それ以外は無いだろう。」
「では、どういった内容でしょうか?」
「本来なら、今すぐにでも別れさせたい所だが、君は成績優秀らしいから、特別に認めてやろう。あの娘の社会勉強にもなるだろうし。」
「本当ですか?」
「本当だ。」
「認めていただき、ありがとうございます。」
湊は頭を下げた。
「と言っても、高校を卒業するまでだがな。」
湊はハッと頭を上げ、
「・・・・・卒業まで?」
「いくら優秀でも、君には家柄、ブランドが無い。一般庶民がウチの愛娘と交際出来るだけ恵まれてると思いなさい。」
(ブランド・・・)
湊は膝の上で両手を強く握り締めた。



外灯に明かりが付いた。
抱き合ったままの2人。
「七海。俺は本気で七海が好きだよ。」
「私も、湊君が好き。」
「俺と一緒に居てくれてありがとう。」
「お礼なんてやめて!2度と会えないみたいじゃない!」
「また会えるよ。必ず会える。約束するよ。」
現実に抗うように、更に強く抱きしめ合った。



兄の家
兄貴は大学卒業と共に実家を出て独り暮らしをしていた。
俺と七海のお父さんとの話を聞いて、
「そっちでスケジュール合わせなよ。その日にここ空けてやるから。」
「良いの?」
「悩み苦しむ弟の思い出作りだ。いくらでも手は貸すよ。部屋の物は何使っても構わない、元通りにしてくれれば良い。あっ!避妊はしろよ!」
と貸してもらった部屋。
週末の放課後、七海と2人、手を繋いでショッピングモールを歩き、お揃いのキーホルダーを買い、ファッションショーし合った。
2人とも終始笑顔だった。
夕飯の買い物をし、兄貴の家で2人っきりのご飯を食べ、シャワーを浴びて2人ベッドに腰掛けた。
どちらともなく手を繋いだ。
七海とこんな幸福な時間が過ごせると思って無かったから、涙が込み上げて来た。
「私、我慢してたのに!」
と七海の目にも涙が浮かんでいた。
俺と七海は抱き合い唇を合わせると、そのまま朝までお互いを求めあった。



車から人が降りて車の脇に立った。
「七海、もう時間だよ。」
「本当にまた会える?」
「絶対に会えるように、俺、頑張るから!」
2人、ゆっくり立ち上がる。
手を取り合いみつめあう湊と七海。
「元気でね。」
湊は涙を堪え、頑張って笑顔を見せた。
七海は湊に抱き付き、泣きながらキスをした。
七海が踵を返し、自分を待つ車へ走り出した。
「ずっと好きだからね!ずっと!ずっと・・・」
と叫びながら。
車のドアが閉まる音。
じきに車は走り去った。
湊はベンチに崩れるように座った。
湊は溢れ続ける涙を拭うこと無く泣き続けた。
両手で頭を抱え、身体を震わせ、声を上げていつまでも泣き続けた。
桜の花びらが、涙と共にはらはら舞い落ちていた。



高校を卒業し、俺は国立大の法学部へ進んだ。
(七海は、イギリスへ留学すると聞いてたから、もう渡英しているのだろう・・・)
俺の通う大学では、成績優秀者は海外への留学が約束されている。その権利を得るために勉強に励み、在学中に弁護士免許を取得、無事優秀な成績で卒業し、アメリカの大学院へと留学した。
(七海、少しは君に近づけたかな?)
大学在学中から仲が良く、一緒に留学した間中は、初めは同じ学部だったが、途中で専攻を変えたらしい。
学食で昼飯を食べていると、隣に間中が座った。
「宮、俺との縁は切らない方が得だぜ!」
「何だよ突然。切るつもりは無いけど、間中から居なくなったじゃん。」
「オレ、天職を見つけたよ。宮と同じく弁護士免許を持ち、法に精通している人間な上に、身のこなしは最高!パソコンの裏技にも精通している!オレはもう無敵だ!」
「・・・間中、なんか変な宗教にでも入ったか?」
「宮。俺に神は不要なんだ。」
「はぁ?」
間中は自由人だから、本当に何かやるのだろう。
俺は間中が羨ましかった。
間中くらい自由な発想が持てたら、愛しい人の手を放さずに済んだのかも知れない。
(ああ、こんなに未練がましい男は七海に嫌われるかな)

帰国後は、以前俺の大学で特別講師をしていた先生が所長を務めている弁護士事務所に入ることが出来た。
早朝から夜遅くまで、主に裁判記録や提訴関連の書類の整理、次の裁判への書類作成で終わる日々。
法律相談を受ける事も有ったが、法廷には立たせてもらえなかった。
数回、助手として裁判所に同行させてもらえたが、発言は許されなかった。
俺は、休日になると裁判の傍聴に行き、検察官、弁護士、証人、原告、被疑者のやり取り全てをメモに取りながら聴いた。
言葉の言い回し、証拠品の有益な使い方、有利に進める質疑の段取りなど、所長には教えてもらえないものを吸収していった。

そんな毎日が2年近く過ぎた頃、所長と面会の約束していた、所長のクライアントさんが事務所にいらした。
所長は前の用事が長引いているのか席を外していた。
パラリーガルのスタッフが対応していたが、所長との付き合いが長いクライアントさんだったため、俺が所長の不在を詫び、応接室でお待ちいただくようご案内した。
お茶を出し、退室しようとしたら話しかけられた。無視も出来ないので軽く談笑をして退室した。
程なく所長が帰って来たので、クライアントさんが応接室でお待ちだと伝えた。

翌日、所長からいきなり解雇を告げられた。
湊には何が何やら解らなかったが、重大な規律違反を犯したとして事務所を去るという選択肢しか与えられなかった。

いきなり無職となったが、仮にも弁護士の自分には法律しかない!と個人事務所を立ち上げることにした。
(七海と再会した時、恥ずかしくない俺でいたい)
事の経緯を知っている弁護士2人とパラリーガル3人が付いてきてくれた。ありがたかった。

順風満帆では無かったが、付いてきてくれた弁護士2人は自分のクライアントさんも連れてきてくれて、小さな相談から大きな相談まで持ち込んでくれた。
パラリーガル達は以前の事務所の時より力を貸してくれて、口コミで名前が広がり、何とか潰れずに気付けば2年経っていた。

突然の解雇の理由は、例の所長への来客との談笑の後、
「頭の切れる弁護士さんが入りましたね。これでいざとなったら所長さんでなくても安心ですね。」
と所長が言われたそうだ。
その事に所長は怒り、
「これはお互いのクライアントを奪わないという規定に抵触する!」
と解雇に至った。
一瞬でも所長を尊敬していた自分をぶん殴りたい。

七海
「ただいま帰りました。」
七海は荷物を自室に運んでもらい、父の書斎へ向かった。
「七海、お帰り。イギリス生活はどうだった?」
「イギリスで見てきたものが21世紀の文化なら、今の日本は紀元前ですね。学ぶ事がエベレスト並みに有りました。」
「で、いつから出社する?ポストもチームも用意してある。」
「お父様、その考え方が紀元前なんです!私は藤堂産業でお世話になります。」
「藤堂って、ウチの孫請会社じゃないか!そんな会社、俺は許さん!」
「親会社の社長が激高するほどの対応しかしてない企業って事ですよね?自分は座り心地の良い椅子にデンと座り、面倒な作業は子請け、孫請へ。どんな理不尽な対応をされているのか、黒い物も親会社が白と言ったら白と言わざるを得ない現実を体感します。」
「すぐに引き戻すからな!」
「藤堂産業には手を出させませんし、私も身分を隠します。」
「手を出させないなんて、出来るわけ無いだろう。相手は俺だぞ?」
「2009年、武元で起きたある不祥事を藤堂産業に頼んで揉み消してもらった事、お忘れですか?」
「そんな昔の話、誰が聞いてくれるか。第一証拠が無い!」
「私の手元に有るとしたら?」
「バカな!全て処分している!」
「お父様の知る限りの全てであって、現実は・・・って事ですよ。オマケで今、新しい証拠も手に入りましたし。」
七海は胸ポケットから、ボイスレコーダーを見せた。
父は絶句して固まった。
「では、逆らう事の許されない劣悪な労働環境で雇われる事を全身に叩き込んで来ます!」
七海は書斎を後にした。

お父様に逆らったのなんて初めてだ。
私は少し興奮していた。
(湊君、私強くなったでしょ?)
翌日には家を出て、すでに契約していたアパートへ移った。
父の会社を透明性の有るより良い企業にするため、社会の本質を体当たりで学ぶ。
仕事への強い志を持つ一方で、私はこっそりある依頼もしていた。

藤堂産業に入社してすぐ感じたのは、スタッフに情熱が感じられない事。
指示が無ければ誰も動かない。
私は面倒くさい作業を丸投げされながら、オフィス掃除や簡単な入力作業を行う毎日を過ごした。

ある日、電話が鳴った。七海が取ると、
「依頼している商品が届いていない。」
という内容。
先方の会社名、双方の担当者名、発注している物は何かを聞き、確認して折り返しお電話しますと先方に伝え一旦電話を切ったが、この件の担当者は先週辞職していた。
私はデスクに居る社員全員に聞いたが、
「その件は知らないなぁ。」
という答えしか返ってこない。
(引き継ぎもしてないって、そんなに早く辞めたかったの?)
とにかく、もう自分が対応するしかない!
辞職した元社員が残していった書類に目を通し、PCのデータも調べ、オーダーされていた物と個数を確認。
物が有るのかどうかを倉庫に確認しに行き、商品管理部の人の手を借りてやっと発見出来たのが、先方からの電話から2時間後。
先方に電話が遅くなってしまった事を謝罪し、商品が発送されずにここに有る事も伝え、指定通りに発送しなかった事を謝罪。
「明日には使いたいんだけど無理だよね?」
「明日・・ですか・・・」
配送を頼める時間では無い。しかし、このまま終わる訳にもいかない!
私は商品管理部の人にワンボックスカーは空いているか聞いた。
「ちょうど今帰って来たよ。」
「これからどなたか使われますか?」
「いや、この時間から出る人間は居ないよ。」
私は覚悟を決めた。
「お待たせ致しました。私がこれから直接お持ちします。」
電話口の先方にそう伝えると、
「それは助かるんだけど、距離あるけど大丈夫?」
「元はと言えば弊社のミスです。責任を持ってお届けさせていただきます。」

私は、ワンボックスに荷物を積み始めた。
「君、もしかして自分で行く気?」
「はい。先方様にご迷惑をおかけしてしまったのですから。」
「それって君の責任じゃ無いよね?何でそこまでする?」
「元の担当者は辞職、他の社員は知らん顔。なら、お問い合わせいただいた私がやるしかないじゃないですか。私は、藤堂の名前にこれ以上泥を塗りたくありません!」
「・・・・・」

私は荷物を取りにオフィスに戻り、これから取り引き先へ向かうと告げ、倉庫の車へと急いだ。
運転席に乗ろうとすると、さっきの商品管理部の人が乗っていた。
「長距離になるから、一緒に行くよ。」
「えっ、良いんですか?」
「今回の事は、商品管理部にも責任が有るし、「藤堂の名前に泥を塗りたくない!」なんて言われたら、忘れかけてた俺の情熱にも火が着いちゃったよ。早く乗って!」
「はい!ありがとうございます!」

この私達の行動に、社内はどよめいた。
「手柄を取るために必死だな。」
とイヤミを言う者も居たが、
「力になれなくて申し訳なかった。」
「「藤堂の名前に泥を塗りたくない」って言葉、刺さったよ。」
などの称賛の言葉が多かった。
私はこのタイミングで、
「小さなミスから大きな間違いまで、繰り返さないようにシステムを変えませんか?」
と提案した。

全ての部署を巻き込んだ大改革だったが、
「面白そうだからやってみたら?」
と、案外と簡単に同意を得た。
新しいシステムの内容は、紙でゴチャゴチャしていたオフィスを、全てデータ化してPCで共有出来るようにする事。
簡単な話では無かったが、七海が言い出した事だから、七海自身が手掛ければならない。
始発で家を出て終電で帰る日々。
果てしなく感じる毎日の中で、手の空いている社員が、手伝ってくれるのがありがたかった。

ある日、いつも通り朝イチで出社すると、オフィスに社長が待っていた。
「社長、おはようございます。こんなに早い時間にいかがなされたんですか?」
「おはようございます。毎日こんなに早くは大変ではないですか?」
社長は缶コーヒーとサンドイッチを私に差し出しながら言った。
「働きやすい環境を作る事に、苦労は感じていません。」
「皆は知りませんが、武元商事のご令嬢をお預かりしている私としては、少々ヒヤヒヤしています。」
「お預かりなんておっしゃらないでください。私は今、藤堂産業の社員です。」
「それは確かにそうです。社内の改革の発端となった「藤堂の名前に泥を塗りたくない」という言葉も嬉しいです。ただ、貴女の身体が心配です。」
「社長、社員は私だけではありません。全ての社員の体調や精神的な負担に、これまで以上に心を砕いてください。社員全員が夢と希望を胸に入社したはずです。作業を開始してよろしいですか?」
社長はハッとした顔をして、
「邪魔をして申し訳無い。貴女のようなお嬢様がいらして、武元社長が羨ましいです。そうですね。私も同じ社長として、もっと仲間たちに配慮をしなければですね。困った事が有ったら何でも言ってください。私はもちろん、我が社にはそれぞれエキスパートが居ますから。」
「生意気を申し上げてすみません。心強いお言葉、ありがとうございます。」

それ以来、私の作業を共に行ってくれる社員が付き、随時PCに落とし込む事が出来、社内の仕事の仕方が変わってきた。
いつも業務を請け負っていただけだったが、自分のアイデアを外へ発信するようになり、自ら他社へ案件を持ち込み、契約をもらってくる社員が出始めた。
過去のデータが見やすくなったのもあるが、社員1人ひとりの考え方が変わったのが大きな要因だ。
社長が主催の『社内プレゼン大会』も月に1度開催され、高評価の立案には賞与が渡された。
どの部署も社員の瞳がキラキラ輝き、収益もどんどん上がっていった。
もう、藤堂産業は、下請け会社ではなくなっていた。

湊が自分の事務所が在るビルから出てきた。
七海はそのビルの斜め向いに在る喫茶店の窓側の席に座っている。
七海が帰国後こっそり依頼していた事とは、湊の所在と身辺を確認する事。
(スーツ姿の湊君って、本当にカッコいい!)
仕事で辛い時や、無性に寂しい時に七海は湊の姿を見に来る。
スマホには、隠し撮りした湊でデータホルダーがパンパン。
(もうコレってストーカーだよね?私の本性ってこんなに気持ち悪いんだ)
苦笑いしながら紅茶を飲んだ。
(湊君。私、武元に入るよ。藤堂の時みたいに会社の仕組みを根っこから変えるからね。革命起こしてやるんだから!)

七海は、藤堂産業を退職し、父の会社へ入った。
父が用意したチームやポストには就かず【革命部】を立ち上げ、女性を中心に人を集めた。
幼い子供を持つ家庭、シングルマザーやシングルファーザーの働きやすさを促す為、リモートワークを取り入れ、保育園の設立やベビーシッター助成金を設けた。
身体や精神に障害が有り、家にこもりがちな方向けに、医師や保健員さんと連携しグループホームを設立。
好きな事、得意な事をしながら家族以外の人々の中で過ごす事で、新たな刺激を受けてもらえる。
職業訓練の時間は、各々興味が有る事を学び、習得してもらい、その中で、武元が欲しいと思った人材には声をかけた。
もしくは、ここでなら実力を発揮出来ると思う他企業の人事に声をかけた。
リモートワークが出来る時代。五体満足で、毎日出社するのが当たり前でも優れている訳でも無い。アイデアや新しい視点に価値が有るのだ。

家庭の事情で遠距離通勤しているスタッフには、通勤中でノートパソコンの電源が入り入力が始まると社内の退勤システムがオンになり、通勤中での操作時間も出勤扱いとなった。
家族に高齢の要介護者が現在居る、もしくは新たに認定が出た家族のために特別養護老人施設を設立し、一般の方はもちろん、社員の家族は優先的に入所出来るように整え、介護ヘルパー助成金も設けた。

更に、育児休暇を取得した男性社員ほど出世、昇給がしやすくなるシステムを導入し、男性の育児参加を奨励した。
子供の就学期間が終わっている男性スタッフには、育児に参加したか、育休は取得したかアンケートを取り、内容に偽りが無いか各家庭へ確認し、虚偽が有った場合は、ペナルティーを課した。
古臭い考えの男性社員から嫌がらせされたり、デマを流されたり、直接文句を言いに怒鳴り込まれたが、
「この改革により、我が社の業績が上がっている事実が見えていても不服だと言うのなら、いつでも辞職していただいて構いません。むしろ『武元』の名前のステイタスにふんぞり返って大した仕事もせず、家庭も顧みずに、全て部下や後輩や奥さまに丸投げするような人間は、我が社では必要有りません。どうぞ今すぐ出て行ってください。」
と静かに答えた。

七海は、自分の改革で不平不満が出る事は覚悟していた。しかし、それを大きく上回る賛同を得る事も自負していた。
結果その通りになったが、脳内が昭和な反対派も存在するのも事実だから、念のため一時期SPを依頼していた。

湊と七海は28になっていた。

ある日七海は、経理部のスタッフと秘書課のスタッフに相次いで相談された。
内容は同じ、社長と常務とでのインサイダー取引や、賄賂、一部官僚との癒着が有りそうだという情報。
七海は2人に口外しないよう伝え、早速動き始めた。

「所長、2時からお約束の武元様がお見えになりました。」
湊へパラリーガルのスタッフが伝える。
「分かった。」
メガネのレンズを拭いていた湊は応接室へ向かう。
扉を開け、入室し
「お待たせしました。所長の宮田です。」
「お世話になります。武元産業、革命部部長の武元です。」
二人で名刺交換をした。
名刺から互いに目を合わせ、ふふっと笑った。
「どうぞ、おかけください。」
「失礼いたします。」
「お飲み物は、相変わらず紅茶でしょうか?」
「その通りです。」
湊はお湯を沸かし始めた。
「・・・七海はあれから元気だった?」
「・・・・ええ。学ぶためには、元気でいないと。」
「ふふ、貪欲な所、そこも相変わらずだね。」
「私の長所だと思ってるわ。」
「にしても、【革命部】ってすごいね。かなり大胆且つ細やかな革命を起こしてるらしいって噂で聞くよ。」
お湯が沸いたので、紅茶を入れる。
「あれ、この香り、もしかして!」
「ロンネフェルトでございます。まぁ入れたのは俺だから、完璧では無いけどね。」
「うぬぼれて良い?これって私のために用意してくれたの?」
「美味しい紅茶が飲みたいから、留学先はイギリスにしたくらいの七海には、これくらい準備しないとね。」
「湊君って、本当に気遣いが細やかよね。」
「光栄なお言葉、恐れ入ります。」
七海がゆっくり紅茶を堪能している姿を、湊は微笑みながら見つめていた。

七海が落ち着いた頃、
「で、本日のご相談内容は?」
「ねえ、その前に、もう1杯ちょうだい!」
「ここはカフェか!」
湊は笑いながら、もう1杯紅茶を入れて話を聞き始めた。
全てを聞いた湊は、
スーツの内ポケットから携帯を出し電話した。
何か、意味不明な何かを言い、電話を切った。
「今動いてもきっと隠ぺいされるだけだから、しばらく今のまま、通常通りで居て。後、」
湊はキャビネットの引き出しからボイスレコーダーを出した。
「経理部のスタッフと秘書課のスタッフ。革命部は何人?」
「私を入れて20人。」
全部で22個のボイスレコーダーと充電コードを七海に渡し、
「しばらく毎日付けて。長期戦になるけど諦めないでね。」
「判った。内密でいく。」
「時々、経過報告するから。何か有ったら、さっき渡した名刺の番号に電話して。その名刺、ダミーだから安心して良いよ。」
七海が名刺を確認すると、建築事務所と書かれていた。

七海は革命部内で緊急ミーティングを開き、社内で何かが起きている。もしかすると自分達の足元も危うい事を伝え、ボイスレコーダーを渡し、毎日身に付けることを指示した。
話をしてくれた経理部と秘書課のスタッフにも同様にボイスレコーダーを渡した。

七海はその後、いつも通り業務していた。
大まかなテコ入れは散々してきたから、細かい微調整に入っていた。お昼は、自分で作ったお弁当にペットボトルのお茶。
少なくとも革命部には、女性スタッフや新人スタッフがお茶を配る習慣は無い。自分に来客が来ても各々で準備する。
シュレッダーが満杯、あるいは紙詰まりしても部下や清掃員には任せない。自分でゴミ袋に入れ、細かなゴミも綺麗にする。先日はマニアックなスタッフが、シュレッダーを解体し、内部の紙くずを綺麗にしていた。
デスクの上には書類を山積みにしない。書類が無くなった!と他のスタッフに迷惑をかけないため。
何名かは好きなキャラクターのフィギア等を置いてるが、破損や盗難は自己責任にしている。

湊に相談して2週間経っていた。

七海の携帯が鳴った。例の名刺に有った番号。
出てみると、やはり湊だった。

「ごめんね、急に呼び出して。」
湊がよく行くBARだった。
「退勤後にしてくれたから、大丈夫よ。」
「七海の会社は、本当に残業が無いんだね。」
「効率悪いだけだからね。でも、決算の時とか急な計画変更とかが有った場合は別よ。」
「まぁ、そうだよね。」
「ここにはよく来るの?」
「ん~プライベートでは、あまり来ないな。」
「仕事でって事?」
「ここには危険な物が無いから、クライアントさんと話しがしやすい。」
「危険な物って?爆弾とか?」
七海は周りをキョロキョロした。
その姿に、湊は声を上げて笑った。
「とりあえず、今の状況を伝えるよ。まず情報を収集出来る環境になった。七海のオフィス、ボイスレコーダーを持っているスタッフの家やデスクに、盗聴や盗撮の類いは無い。もちろん七海にもね。相手にもこちらの動きはバレて無い。」
「弁護士の仕事って、そんな感じだっけ?」
「俺達ぺーぺーの弁護士が事務所を立ち上げて、潰れずにやってこれた裏技。正攻法では無理な場合使うね。」
「へぇ~。」
「ましてや、七海のお父上は一筋縄ではいかないからね。まぁ、安心して任せて。」
湊はまた人数分のボイスレコーダを渡し、
「前に渡したのと交換して。シールで名前書いておいてくれると助かる。今度会う時に持って来て。」
「判った!よろしくお願いします。」
七海が店を去る。
(綺麗な人だな)
「ああ、外見だけじゃなく、心も綺麗だよ。」
湊はグラスに口をつけた。

それ以来、湊と七海は週に1~2度会いボイスレコーダを交換し、話をした。
そんなある日、七海は湊に聞いた。
「湊君は、彼女とか居るの?」
「今は居ないよ。どうした?酔ってるの?」
「・・・うん・・・酔ってるかも・・・」
湊はほほえみ、
「七海は居ないの?」
「居ないわよ!・・・お見合い腐るくらいにしたけど・・・ろくなの居ないの!」
「素直にお見合いはしたんだね。意外だな。」
湊が眉を上げ驚いた顔をした。
「・・・・・・・・・・」
「七海?」
「あの頃・・・あの頃のトキメキ・・・・・また・・出会えるかなって・・・」
七海がうつむいたまま答える。
「・・・」
「でもね・・・1人・・・1人だけ居たの。この人ならトキメキ生まれそうだなって人。」
「その人とはどうして?」
湊は素直に疑問を投げかけた。
「・・・別れ際に・・『このお話、明日断ってください。』って言われたの。・・・・・『どうしてですか?』って聞いたの。・・・お付き合いしてる人が居たのその人。」
「そうかぁ・・・。その人との結婚は、認めてもらえないの?そのお見合いのお相手。」
「ゲイだったの、その人。」
七海がチラッと湊を見た。
「あ〜あ、なるほど。」
「早く興味が弟に向いて欲しいって嘆いてた。」
「弟さんが居るんだ、歳は?」
「後妻さんが産んだ腹違いの弟で、現在花の中学生!」
「うわぁ~・・・道のりは長いねぇ・・・」
2人は顔を見合わせて笑った。
「・・・湊君は、もうあの頃のトキメキ忘れちゃった?」
「・・・・・」
湊は何も言えず、七海を見つめた。
「ごめん、今日は本当に酔ってるみたい。帰るね。」
七海が足早に店を出た。
(追わなくて良いのか?)
「今は、感情よりビジネスだ。そうでないと共倒れになる。」
(大人になったな)
「うっせ!」

それから数日後、七海が帰宅の準備をしていると電話が鳴った。
出てみると、相手は藤堂産業の社長だった。

七海は料亭の個室に通された。
「お待たせいたしました。」
「久しぶりですね。」
「こちらこそ、ご無沙汰しております。その節は、お世話になりました。」
「帰宅の時間なのに、申し訳ありません。」
「いえいえ、逆にすぐに出発出来ましたので、あまりお待たせせずに済みました。」
「立派になられましたね。」
「御社での経験が活かされております。」
料理が運ばれ、談笑しながら食事を楽しんだ。

「さて、わざわざお呼び立てした件ですが。」
「はい。」
「御社の社長。まあ、お父様から手を組まないかとお誘いを受けておりまして。」
「手を組む?」
七海が眉を寄せ聞き直した。
「これまでは、御社の孫請でしかなかった弊社の急成長が目にとまったらしく、「俺は官僚にも顔が利くから、大きな仕事はどこよりも早くに知らされる。ウチとそっちで異なる分野を手掛ければ、今以上に収益が上げられる。ウチとオタクで独占だ。無論、情報料はいただくがな。」と提案されまして。」
「父がですか?」
「はい。元々お世話になっていた会社様ですから、恩義は返したいとは思っていますが、今回のお話の内容は、法に触れる物ですし、私がここで同意してしまいますと公になった場合、多くの従業員とその家族が路頭に迷う事になりますので、お断りをさせていただいたのですが、ほんの一時とは言え私の元でご尽力いただいたお嬢様が、何も知らずに巻き込まれるのはどうにも堪えきれなく、お話をさせていただきました。」
「わざわざ、わたくしのために心を砕いていただいて、ありがとうございます。そんな大変な時にわたくしと接触する危険まで犯していただいて、感謝しかございません。この件に関しては、水面下で調査させていただきます。」
「気をつけてくださいね。決して無茶はなさらない様に。」
「ありがとうございます。」

料亭を出て、湊君に今から会えないかと電話した。

いつものBARでさっきの録音を聞いてもらった。
「そろそろ動きますか!」
「準備が整ったの?」
「まあ、提訴出来るだけの物はある程度整ったかな。ここではまだ全部出す必要は無いしね。」
七海が湊を訪ねてから、半年が過ぎていた。
「長い間、本当にお疲れ様。でも、これからが本番だよ。お父様を訴えるんだよ、覚悟は決まってる?」
「もちろん!」
七海は力強く言った。
「よし!全力で行くからね!」
湊の笑顔が心強かった。

湊は、武元社長と常務を訴える訴状を裁判所に提出。裁判の日程も決まり、裁判が始まるかと思いきや、裁判が延長されると裁判所から通達があった。
何と武元商事の顧問弁護士が、急遽辞めてしまったそうだ。
起訴内容を見て、勝ち目は無いと逃げたらしい。

武元社長側は新たな弁護士を見つけ、裁判の日にちも決まったが、その弁護士は何と、湊を突然解雇した法律事務所の所長だった。
湊達に嫌がらせしたいから引き受けたのは明白だった為、湊1人で弁護する予定を弁護士3人総出に修正した。
「あの人は、いろんな隙を突いてくるくせ者だから、こちらも後だしじゃんけん法式でいこう。」
想像通り元所長は重箱の隅をつつくように動揺させてきたが、こちらは初めからは全てを出さず、相手のやりたいように反論させ、裁判官の意識もそこに注目させてから、こちらの持つ証拠と裏付けを出し訴えの正当性を明らかにした。
その方が裁判官への印象が強くなる。
元所長はムキになって口撃してきたが、裁判官には逆効果だった。
捨て身で出してくる反論を1つひとつ掴み、こちらの持つ証拠の裏付けを見せつけ、元所長は、湊達がわざと開けて置いた逃げ道に思い通りはまり、退路を絶たれ身動き出来なくなった。
こちらの言い分に、もはや何1つ反論出来なくなった。

武元社長と常務は敗訴した。
例の官僚は知らぬ存ぜぬを通してしたが、世論の批判は大きく、省庁も動かざるおえなくなり、しぶしぶ調査を始めた所、今回のみならず過去にも多数の余罪が有る事が明らかになり、懲戒免職となった。
懲戒免職となった後も、裁判続きになるだろうが。
楽ではない裁判ではあったが、七海は無事に勝利を掴む事が出来た。
武元社長と常務は懲戒解雇及び多額の賠償金の支払いが命じられた。
社長が不在となってしまった武元商事の次期社長は七海が信頼している副社長が就任。常務には七海が就任した。

湊の事務所の弁護士とパラリーガル、七海の革命部のスタッフ、初めに事を知らせてくれた経理部と秘書課のスタッフ、藤堂産業の社長で祝杯をあげた。
ホテルの宴会場で、ビュッフェスタイルの宴会に、みんな笑顔で楽しんだ。
「みんな、長い間不自由な思いをさせてしまったけど、協力してくれてありがとうございます。今日は、好きなだけ食べて飲んでください。」
みんな談笑したり、写真を撮ったり、各々で楽しんでいた。

宴も終わり、ホテルのバーに湊と七海は居た。
「湊君本当にありがとう。」
「いや、七海達の協力無しでは無理だったよ。」
「湊君、ステキな大人になったね。」
「七海も充分、魅力的な女性になったよ。」
「ねえ、あれから10年以上経ったけど・・やっぱり私、あなたがいい。・・・未練がましいかな・・?」
七海が自分のグラスを見つめたまま聞いた。
「・・・俺はね、留学が決まっていた七海に相応しい男になりたかったから国立大に入って、卒業後の海外留学も手に入れたくて、大学も頑張った。留学中も、七海に恥ずかしくないように語学も法律も吸収してきた。俺の原動力は、常に七海だったよ。」
黙って自分のグラスを見る2人。
(ここのスイートでも取っといてやろうか?)
「まだ居たのかよ。さっきもたらふく食ったし、飲むだけ飲んだら帰れよ。」
「え?、湊君?何?さっき私が言ったこと、不愉快だった?」
「違うちがう!今のは、協力者に言ったの。同じ法学部で仲が良くてさ。そいつも一緒に成績優秀者として渡米したんだけど、表舞台に立たない方、ん~探偵とかスパイってヤツに興味を持って、そっちの勉強してきたんだ。今回も、かなり助けてもらったよ。協力者が居なかったら勝てなかった。七海の会社にも一時期潜入してたよ。」
「え・・・だって、ウチの会社セキュリティ万全よ?」
「アイツにかかれば、日本銀行の金庫も総理官邸に侵入だって容易いよ。」
「今ここにいらっしゃるの?ご挨拶したい。って、どうやって会話してるの?」
「俺のメガネ、テンプルの部分が骨伝導システムなんだ。それにもう居ないよ。」
湊はカウンターの上に手を伸ばし、
「伝票ここに有るもん。」
七海に見せながら言った。
「いつの間に・・・・・」

湊と七海が一緒に暮らし始めるのに、長い時間は必要無かった。
2人で探した部屋に引っ越し、
2人で一緒に洗濯したり、掃除したり、買い物したり、料理したり。
毎日、笑顔が絶えなかった。
毎日の全てが幸福に満ちていた。
18才で離ればなれになった10年を取り戻すかのように、仕事以外ではほとんど一緒に過ごした。
そんな、ある日の休日。
湊が先に目覚めたから、ベッドに眠る七海を残しキッチンへ向かった。
(やっぱりカリカリベーコンは外せないよな)
鼻歌を歌いながら食材を準備し、調理を始めようとしたら、ベッドルームから七海の大きな泣き声がした。
湊が慌ててベッドルームに行くと、七海が布団に突っ伏して、子供みたいに大きな声を上げて泣いていた。
「七海?どうした?七海?」
湊は七海の背中をさすりながら声をかけた。
「湊君!湊君!」
七海は泣きながら湊に強く抱きつき泣き続けた。
「七海、どうしたの?」
湊の問いには答えず、
「湊君!どこにも行かないで!もう、1人にしないで!」
そう言って湊の胸で泣き続けた。
湊が見る、初めての七海の姿だった。

30分ほどそのまま経過しただろうか。
七海が少し落ち着いてきたらしく、泣いてはいるが大きな声は出さなくなった。
「七海、お水飲もうか。」
しゃくり上げながら七海はうなずいた。
湊がキッチンからコップに水を入れて持って来た。
「七海、お水飲みな。疲れたでしょ?」
「・・・・・」
「七海?」
「・・・お薬、・・・・飲む」
「薬?薬箱の中?」
「バッグ・・・・・」
湊は七海がいつも使っているバッグを持って来て、七海に渡した。
七海はバッグの中のポーチから薬のシートを取り出し、2錠手のひらに出して口に入れ水を飲んだ。
「七海、これは特別な薬なの?」
七海は黙ってうつむいたまま。
「七海、俺に話してくれない?やっと一緒に居られるんだから、離れてた間の七海を全部知りたい。」
七海が恐る恐る湊を見る。
「七海のこれまで、全部が知りたいよ。俺、欲張りだから。」
湊は七海の両手を優しく包みほほ笑んだ。


七海は高校を卒業した翌日には渡英していた。
お父様が居るこの家から早く出たかったから。
湊君が居るのに会えない日本からも逃げ出したかった。
渡英して3ヵ月くらいは特に何も感じずに過ごしていた。
アパートでの1人暮らしも楽しかったし、大学へ入学するための準備期間も楽しかった。
時々湊の夢を見て泣きながら目覚める事もあったが、夢の中で会えた事が嬉しかった。
そんなある日、湊の夢を見て泣きながら目覚めた。いつもならじきに涙が止まるのだが、その日はなかなか止まらなかった。
(おかしいな?)
と思ったけど、しばらくすると涙が止まったから、あまり深くは考えず、スクールには遅刻して行った。
ところが、日が経つにつれて湊の夢を見ていなくても、泣きながら目覚めるようになった。
しかも涙はなかなか止まらない。
七海は泣きながら過ごす日が増え、入学準備のスクールも休みがちになり、しまいには行かなくなってしまった。
食欲も全く無くなり。外出もしたくなくなり。動くことも出来なくなった。
ベッドでぼんやり壁を見つめるだけの日々。
(私、もうダメなのかな・・・)
(私、生きてる意味あるのかな・・・)
(湊君、ごめんね・・・)
と七海が考えていた所に、スクールの先生が心配して七海のアパートまで来てくれた。
「ナナミどうしたの?どこか苦しい?熱でもあるの?」
「・・・涙が・・止まらない。何故か涙が・・・。身体も・・重いの。」
泣きじゃくる七海をスクールの先生が病院へ連れて行ってくれた。
大きなストレスによる適応障害と診断された。
七海は医師やスクールの先生に一時的に帰国するように言われたが、強く拒んだ。
「頑張っている大好きな彼が居る日本に帰ったら、彼に迷惑をかけてしまうから帰らない。お父様の顔も見たくない。」
「彼がいるのね?なぜ迷惑なの?」
「・・・・別れさせられた・・・お父様に・・・私が帰国したら・・彼の努力の全てを・・お父様に潰される・・・」
七海は再び泣き始めた。
先生は七海を優しく抱きしめ、
「ナナミ。アナタのマーケティングのアイデアや語学能力はとても素晴らしい。こちらでの生活にも馴染んでるし、今すぐに大学に入っても、どこかの企業に入っても何の問題も無い。それくらい素晴らしい能力の持ち主よ。だから、焦る必要は無いのよ。帰国が嫌なら、このままここで少しお休みしましょう。」
「お休み?」
「そう、大学が始まるまでまだ期間が有るから、スクールはお休みしてユックリ身体を休ませなさい。お薬もちゃんと飲んでね。時々私も様子を見に来るし、病院も一緒に行くから。病院以外でも助けが必要なら遠慮しないで連絡して良いのよ。」
「私、治るの?」
「ナナミは、大好きな彼を忘れるために必死で頑張ったのよね。それしか方法を知らなかったからね。でも、忘れなくていいのよ。彼を大好きなままでいいの。その気持ちを大切に抱きしめながら心身共に休みなさい。そうしたら必ず改善してくると思うわ。」
「・・判った。ありがとう。」

七海は、ヘルパーさんを依頼し、通院と静養を続け、スクールの先生の手助けも有り、無事大学に入学した。
通学も通院もヘルパーさんに同行してもらっていたが、数ヵ月経つと身の回りの事や通院の同行はヘルパーさんにお願いするが、通学は1人で出来るようになった。
そして、2年生の半ばには、通学、通院、身の回りの事、全て自分で出来るようになるまで快復した。
通院しながら大学に通っていたが、通院の間隔は長くなっていき、卒業の頃には頓服のみになり、毎日の服薬は無くなった。
薬が無くても笑えるようになっていた。


湊は七海の両手を優しくさすりながら、
「そんな事があったんだ・・・。」
「隠しててごめんね。こんなに弱い私は嫌われそうで怖かったの。心療内科に通ってるなんて引くでしょ?」
七海はうつむきながら言う。
「嫌ったりなんかしないよ。歯医者さんに定期的に通うのと同じだろ?今も通ってるの?」
「今は、半年から1年に1度くらいかな?頓服のお薬が無くなったら行く。って歯医者さんと一緒なの?」
七海は顔を上げ呆れた顔で笑った。
「美容院よりは近いだろ?ニュアンス的に。」
七海は大きな声で笑った。
「美容院と心療内科が同列なの?湊君って本当に発想が突拍子もないよね。」
「そう?普通だと思うけどなぁ。」
首をかしげ、頭をポリポリ指でかく湊に、七海は抱きついた。
七海を優しく包み込む湊。
「ごめんな七海。気付いてやれなくて。」
「ううん、私が隠してたから。」
「離れていても、そんなに想っていてくれてたなんて、嬉しいよ。」
七海は顔を赤くし、うつむきながら、
「湊君って、よく恥ずかしげも無くそういう事言うよね。」
湊も顔を赤くしながら、
「いや、俺だって恥ずかしいよ。でも、いつまた離ればなれになるか判らないだろ?伝えられる時に全部伝えたいんだ。」
「湊君・・・・」
七海は湊の首に両腕を強く絡ませ、
「例え話だとしても、離ればなれなんて言わないで!もう、あんな思いしたくないの!」
七海は必死にしがみついた。
「七海、ごめん!俺の言い方が悪かった!不安にさせてごめん!だから腕の力緩めて!本当に永遠の別れになるから!」
湊が力を振り絞って言うと、
「あ!ごめん!」
と七海が両腕の力を緩めた。
湊が身体を離し、
「死ぬかと思ったぁ。七海に殺されるなら本望だけど、もう少し一緒に居させてよ。」
と首を擦りながら、深く呼吸をしながら笑って言った。



1年後
「新郎宮田 湊、あなたはここにいる武元 七海を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います。」
「新婦武元 七海、あなたはここにいる宮田 湊を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います。」
「では、指輪の交換を。」
指輪の交換をしながら、湊は気がかりだった。
朝会った時から、七海の顔色が悪い事が気になり大丈夫かな?と思っていたが、バタバタしていて話しもろくに出来なかったから、尚更心配だ。
指輪の交換をし、ライスシャワーを浴びながらチャペルを後にし、控え室へ戻った。
「七海?体長悪い?大丈夫?薬飲む?」
「大丈夫、大丈夫だから、心配しないで。」
笑顔で返す七海。
「何かったらすぐに言いなよ?」
「うん、ありがとう。」
披露宴の会場に入り、招待客と会食。と言っても、新郎新婦は料理には手をつけられない。祝辞を聞いたり2人のための余興を全て見たりするため、食べてる時間が無いのだ。
しかし、形式上新郎新婦の前にも料理が来ると聞いていたが、一品も出て来ない。
湊は何が起こって居るのか解らなかった。

お色直しのため、新郎新婦は一時退場した。
扉が閉まり、2~3歩歩いた所で七海が崩れ落ちそうになるのを湊が抱き止めた。スタッフさんの力も借りて、七海を抱え控え室へ運んだ。
「苦しいから、ドレスを脱がせて。」
ふらふらの七海を支えながらスタッフさんがドレスを脱がせる。
七海は吐き気を訴え、スタッフさんと控え室内のトイレへ。
トイレから出てきた七海に、
「七海、やっぱり具合悪い?薬飲む?それとも救急車呼ぼうか?」
「・・・大丈夫。病院には行ったから。」
「どこか、何か悪い所でも有った?」
「ううん、健康よ。何の病気も無いわ。」
「でも、あんなにもどしてたじゃないか。気持ち悪いって言って。それで何の病気も無いっておかしいよ。」
「湊君、あなたは男性だから解らないわよね。」
いたずらっぽい顔で七海は笑う。
女子スタッフさん達も微笑んでいる。
「え?・・・どういう事?」
湊がキョトンとした顔で尋ねる。
「病院の先生が、・・・・・8週目ですって。」
「え?・・・8週目?って?」
湊は七海からエコーの写真を見せられた。
「おめでとうございます。」
女性スタッフさん達に言われた。湊は頭をフル回転させた。
「七海、もしかして・・・」
七海はうなずく。
湊は自分の身体中の血液が猛スピードで巡るのを感じ、満面の笑みでドレスを脱いだ七海を抱き締めた。
「七海、そうか、そうだったのか。ありがとう七海。」
そしてしゃがみこみ七海のお腹を優しく撫で、
「俺達の元に来てくれてありがとう。大切にするよ。」
自分のお腹を優しく撫でる湊の髪を、笑顔で撫でる七海。
「食べ物の匂いがダメだから、私達の食事は止めてもらったんだけど、周りが食べてたら眼の前に無くても同じね。死ぬかと思った。」
「だから俺達のは無しだったんだ!」
「そうなの。少し安静にしてれば行けると思うから。もう、食べ物も出てこないし。」
「いいよ、大丈夫、俺に任せておいてよ。何なら部屋に行って休んでなよ。」

会場の扉が開き、お色直しをした、湊だけが入場してきた。
ざわめく場内。湊は雛壇に上り、深く一礼した。
「本日はお忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。突然ではありますが、ご列席の皆様に、お知らせがございます。」
場内がざわめき、視線が集まる。
「新婦の七海ですが、現在体調が優れず控え室で休んでおります。」場内のざわめきが大きくなる。
「ご心配おかけして、申し訳ありません。しかし、病気やケガの類いでもございません。ご安心ください。」
湊は自分を凝視している場内をぐるっと一度見て、一度深呼吸して、
「お知らせと言うのは、・・・この度私は、父親になります。」
場内は一瞬静まり返り、次の瞬間、歓喜と拍手で溢れかえった。
「おめでとう!」の声があちらこちらから聞こえ、湊はその都度その方向に頭を下げていた。
いきなり場内が暗転し、エコー写真が映し出された。
「まだ分かりづらいですが、この子が私を父親にしてくれる新しい生命です。」
みんな拍手してくれた。割れんばかりの大きな拍手。
(我が子よ、君の初お披露目だよ。こんなに早く、しかも、こんなにたくさんの方々に見ていただけるなんて、そうそう無いよ。)
主役が新郎新婦でない披露宴も、悪くない。
七海と別れたあの時は、こんな展開思ってもみなかった。二度と会える事は無いと思っていた。再会までの間、何人かの女性とお付き合いしたことは有る。でも、七海と一緒に居たときのような、七海の言葉を借りると、トキメキは感じなかった。
七海と再会出来ただけでも奇跡だと思っていたのに、再び交際出来た上に、今、2人の薬指には、お揃いの結婚指輪。さらに七海のお腹には新しい生命。あの頃の自分には想像出来なかった。

湊が感傷に浸っていると、奥の扉が開きスポットが当てられた。
お色直しした七海が立っていた。
会場内が大きな拍手と「おめでとう!」の声に包まれた。
七海が笑顔で応えている。
七海の元へ行きたいがエコー写真と七海へのスポットライト以外明かりが無い為、足元が暗くて歩けない。
「新郎様」
声の方を向くとと小さくかがんだスタッフさんが湊の足元に居た。
スタッフさんはペンライトで足元を照らし「こちらへ」と港を誘導してくれ、無事七海の元にたどり着いた。
「七海、もう大丈夫?」
小声で聞くと、
「大丈夫。だと思う。そん時はそん時よ。」
2人は笑い、腕を組んで一礼した。
雛壇までの道のりを、今度はスポットライトが誘導してくれた。
「派手過ぎな登場じゃない?」
「派手過ぎくらいでいいの!お父様のせいで一度は奪われた夢なんだから。」
「フフッ!そうだね。」
無事、雛壇に到着し、2人でまた一礼した。

湊と七海が着席すると、今度は七海にマイクが渡された。
「ご列席の皆様にご心配をおかけして、大変申し訳ございません。つわりが始まるタイミングに重なってしまいまして、席を外させていただいておりました。私は、普段の仕事において「男女平等」を唱っておりますが、結婚式は女の子のものだと思っております。だって、こんなにキレイなドレスを着る機会なんて、ちやほやエスコートしてもらえる事なんて、明日から無いんですよ!」
会場に笑いが起きた。
「私自身も、こんな乙女チックな考えが自分の中に在るなんて、思いもしませんでした。明日からは大人に戻り、皆様のご協力をいただきながら、大好きな人と愛する我が子と暖かい家庭を築きたいと思います。着席のままでごめんなさい。皆様、ありがとうございます。」
七海が深く頭を下げると、会場は温かい拍手で満ち溢れた。

「七海、お疲れ様。」
ホテルの部屋に到着して、ベッドに身体を投げ出した七海に湊が言った。
「ドレスってさぁ、動きにくいよね。あれってさぁ、男性が女性の行動範囲を制限して管理するためよ、きっと。」
身体を投げ出したままの体勢で七海が答える。
「さっきは「女の子のもの」ってみんなの前で言ってたじゃないか。」
湊が呆れた顔で言った。
「ソレはソレ。コレはコレ。」
「俺はドレス姿の七海、綺麗だし好きだけどなぁ。」
七海の脇に座り、七海にコップの水を渡しながら湊が言った。
七海はガバッと身体を起こし、渡された水を一気に飲み干し、グラスを置くと、
「そういう事、サラッと自然に言葉に出来る湊君が好き!もう、本当にズルいよね、湊君。」
と言って湊に抱きついた。
「おおっ!あのグッタリしてた人と同一人物とは思えないくらいな素早い動きだな。」
湊は笑って七海を抱き返した。
「お水は飲みたかったし、「綺麗で好き」も嬉しかったし、抱きつきたかったし。愛は妊婦を救う?みたいな感じよ。」
「七海はいっぺんに色んなことを考えて、同時進行するよね。」
「だって時間がもったいないモン!だから今回も結婚と妊娠のご報告を同時進行ってコトで!」
ケタケタ七海が笑う。
「・・・あの時、スッゴい感情が昂ぶってて「七海を独り占めしたい」って思っちゃって、自分を抑えきれなかったんだ。同意も得ずに申し訳無い。」
七海の髪を優しく撫でながら湊が言った。
「あの時、私も拒まなかったし。むしろ受け入れてたし。湊君の全部が欲しかったし。すごく幸福を感じたし。今も幸福よ。もう、誰にも引き裂かれないし。」
七海は微笑みながら、涙を一雫流した。
湊は七海の涙を親指で拭い、優しくキスをした。
湊が唇を離そうとすると、七海に頭を抱えられ、もっと深いキスへと変わった。
「ちょ、ちょ、待って七海!ダメ!妊婦さん!俺またその気になっちゃう!」
七海の唇から逃れながら、必死に湊が言った。
七海は、
「つわりが酷かったり、体調が悪かったり、出血してたり、お腹が張ったりしてなければ出来るのよ?」
「えっ、そうなの?知らなかった。」
湊が驚きながら言った。
「激しいのも控えてね。あと、」
そう言って七海は立ち上がり、バッグから紙袋に入った何かを持って来て湊に渡した。
「必ずソレは着けてね。細菌とかの感染症で流産しちゃう危険があるから。」
七海の顔は真っ赤だった。
「コレ、七海が買ったの?」
「初めて自分で買った。すごく恥ずかしかったんだから!」
七海は目を合わせず、モジモジしていた。
湊は、そんな七海が愛おしくて可愛くて、唇を合わせながらベッドに押し倒した。

無力だった2人が、自力でチャンスと幸福と宝物を奪い返した。 


                       おわり

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