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日本代表が夢から目標、そして現実へ。苦手なラケットスポーツで積み上げた努力と自信――大和地未沙子選手インタビュー

アシカトレーナーやエステティシャンなど珍しい経歴を持ち、現在は趣味でキックボクシングにも通うパワフルなイメージのある大和地未沙子選手。元々ラケットスポーツが苦手で、フレスコボールも「最初は全然できなかった」といいます。

そこからどのように上達し、5年目で初めて女子カテゴリーの日本代表に選出されるまでになったのか。軌跡をたどりつつ、少し先の希望あふれる未来についても語ってくれました。

簡単そうに見えるのにできない。でも楽しかった

落合:フレスコボールに出会ったのはいつですか?

大和地:2018年のゴールデンウィークにお台場で行われていたジャパンビーチゲームズです。元々ビーチサッカーに知り合いがいて、「こんなイベントやってるよ、いろんなスポーツがあるから来てみたら?」と誘われて行ったら、フレスコボールの体験会もしていました。その時、嵐さん(五十嵐恭雄選手)がいるのを見つけて、「あいのりの嵐だ!」と思って、ミーハー心で写真を撮ってもらいました(笑)。

でもフレスコボールは意外と難しくて。見た感じ、みんな簡単そうにやっていたのに、友だちと2人でチャレンジしたら全然続かなかったです。私はそんなに運動神経が悪いわけではなかったから、「何でこんなにできないんだろう」と不思議でした。

悔しさと、ラリーが続いたときの楽しさと、新しいスポーツだということで、ゴールデンウィーク中にもう1回、今度は美樹(新城美樹選手/ZFC)を連れて行きました。その時にも全然できなかったけど、2人とも楽しいなと思って、さらに友だちを巻き込んで4人で今度はお台場の練習会に行ったんです。

落合:私が初めてみさこを認識したのはそのお台場の練習会のときですね。一緒に打った記憶があるけど、最初からものすごい熱量で、「すごい元気な人だな」と思った(笑)。ラケット競技はそれまでやってきたんですか?

大和地:小学校のクラブでバドミントンをしたくらい。親と姉がテニスをしていたけど、私は全然上手くできなくて。旅館とかについている卓球も苦手で。楽しさがあまりわからなかったんです。スポーツは、幼稚園から小6までずっと水泳で、中高がバレーボール。専門学校時代は授業で水泳がありました。

落合:そういえば、変わった仕事をしていたんですよね。

大和地:イルカショーのロケットジャンプをする人になりたくて、水族館の人になるために専門学校のドルフィントレーナー専攻に通いました。水泳もやるし、水族館に実習にも行くんですが、最初に実習に行ったのが伊豆の下田。

その後巡り巡って、そこの職場に空きが出たので、学校内での募集に手を挙げました。もう1回2週間の研修に行ったときに内定をもらえて、小5からの夢をかなえた感じです。

落合:フレスコボールを始めた後に下田に体験会に行っていたけど、その時からの縁なんですね。

大和地:そう。イルカのロケットジャンプをやりたかったけど、その時募集していたのは実はアシカの担当(笑)。でも、イルカと泳ぐのは一般の人でもできるけど、アシカと泳げるのは日本で唯一だと言われて、喜んでやっていました。

6年7ヶ月続けて、その後は東京に戻ってきてエステティシャンに転職しました。その頃にフレスコボールに出会ったんです。でも土日休みではなかったから、あまり練習はできなくて。当時、職場が近かった亮太(斉藤(現・大和地)亮太選手/ZFC)が仕事終わりに来てくれて、デパートの地下とかでポンポンラリーしていました。

「日本代表になりたい」はなかなか口には出せなかった

落合:ラケットスポーツにそんなにいい印象がなくて、フレスコボールも最初は全然できなかったのに、それでも続けたのはどんな理由があったんですか?

大和地:新しいスポーツというところと、ペアが味方同士で勝ち負けではないところ、ラリーができればできるほど2人のテンションが上がっていく喜びの方が大きかったからですね。

あと、スポーツを何かまたやりたいと思っていたのもあるかもしれない。ずっと仕事で泳いでいたのに、エステを始めて動かなくなって、どんどん太ってきたし、ちょっと運動しなきゃと思って。でもバレーボールは土日だし、時間が限られている。そこでフレスコボールと出会って、めっちゃ勧誘してもらったのもあって、これはいいなと。

いろいろなことが重なって、いい出会いだったと思います。体験会の翌週にはラケットを買って練習に臨んだので「もうラケット買ったの?」って驚かれました(笑)。

落合:でも、大会に出るのは次の年からと言っていましたね。

大和地:そうそう。美樹と、「うちらはまだ出るレベルじゃないよね」と話していました。でも、翌年にしようとか言っておきながら、デビュー戦のオオモリカップ(2019年3月)はひどかったよね、あれは(笑)。

落合:めちゃくちゃ緊張してたね(笑)。

大和地:私は先に亮太とのミックスがあったからよかったけど、女子ペアは頼るところがないじゃないですか。順番が近づくにつれて美樹の顔がどんどんひきつっていくし、本番の「3・2・1」のコールで本当に泣きそうでした(笑)。

落合:最初から「日本代表になりたい」という気持ちでやっていたんですか?

大和地:気持ちはありましたね。美樹とお互いに「日本代表になれたらいいな」と思ってはいたけど、声を大にして言うのはためらっていました。恥ずかしい気持ちもあるから、「なりたいと思う?」「いやそこまででもないよ」って、本心を言わない(笑)。でも当時は選手も少なかったし、数年後にはなれるんじゃないかなと思っていました。でも、意外となれなかったです。

初出場から2年で初めての入賞。その背景にあった意識の変化

落合:初めて入賞したのはミックスで、ミウラカップ(2019年7月)3位、翌年のジャパンオープン2020で優勝しました。2021年のオキナワカップではついに女子カテゴリーで3位入賞しましたね。

大和地:大会前からずっと美樹がメラメラと燃えていたんです。「負けたくない」って。私もそう思ってはいたけど、美樹がそんな風に言うのは今までなかったから、頑張ろうと思いました。約2年かかって、女子で初めて入賞できた時は嬉しかったですね。やっと自分たちで取れたな、練習の成果がやっと出たなって。

私がちょこちょこ入賞できるようになってから、弥生さん(朝倉弥生選手/ZFC)に言われたことがあって。

「最初みさこは亮太としか打たなかった。亮太がいないときも他の上手い人たちだけ。でも美樹はいろいろな人と打ってどんどん上手くなっていった。みさこもどうにか変えなきゃいけないと思って、いろいろな人と打つようになってから上手くなっていったね」って。

落合:なるほど。そう言われて実感はあったんですか?

大和地:最初は、自分が上手くなることだけに集中していないと、体験会に来た人にも教えられないから、まずは自分がある程度できるようになることをメインで考えていたんです。でも周りからも言われたのもあって、意識していろいろな人と打ち始めました。

でも今思い返すと、そのタイミングであやっぺ(小澤彩香選手)と組んだことも大きく影響しているなと思います。特にディフェンスはあやっぺに教わりながら、自分でも試行錯誤して今の土台を作り上げました。そのあやっぺがよく、「みんなが『みさこ上手くなったね』って言っているのを聞くのが嬉しい」と言ってくれていたんです。

確かに、あやっぺと組んで以降、大きな変化があったように思います。いろいろな人と打っていたことで上手くなっている実感はなかったけど、結果が出始めたから、やっぱりその通りだったのかなと理解しています。

トップの人たちと戦えている感を味わいながら、その中で勝ちたい

落合:練習をしていると調子のアップダウンがあると思うけど、どうやって整えていますか?

大和地:調子が悪い時は、相手に「この人とはラリーが続かない」と思われたら嫌で、気が進まない時もあるけど、打っていて楽しい人と打つようにします。

逗子だったらリカルドだったり美和ちゃんだったり。まあやや外山さん(外山祐次選手/ZFC)とも、たまに打って「何かおかしい?」と聞くようにしたり。自分で考えても答えが出ないときは、打つ人を変えて、楽しさでテンションを上げるようにしています。

落合:気持ちをまず上げるっていうのは大事ですね。

大和地:「大丈夫大丈夫、私まだフレスコ好き」みたいなことを確認してる(笑)。そうやって、「ハマっていないのは何でだろう」と探りながらやっていると、自然と戻っていたりします。

落合:本番の調整についてはどうですか?

大和地:まず前提として、「本番は集中できるから大丈夫だろう」というイメージがあります。だけど、2020年にジャパンオープンのミックスで優勝したときは、直前の練習で何もかもできなくなってしまったんです。打つ感覚がわからなくなって「やばい、終わった」と思いました。もう、できることをするしかないと思って臨んだ結果があのプレーでした。

リクゼンタカタカップ(2022年7月・女子カテゴリー準優勝)の時もそう。直前の練習で全然ラリーが続かなくなってしまった。でもペアのももちゃん(山口桃子選手/ZFC)が「できることをやろう」と言ってくれて、結果的にベストが出ました。

だから、自分は何もなくなった時が一番いいのかもしれないなとは思います。亮太は昔から、「練習が良すぎると、本番ちょっと怖いんだよね」とか「練習があまり良くない時の方が本番よかったりする」と言っていました。自分も2回も経験して、これ本当にあるかもなと。でも、それにとらわれすぎても良くないので、練習が良かったらそのままいけるようにもしたいです。

落合:当初、日本代表を目指していく気持ちはあったけど、口に出して言う勇気はない状態から、本気で目指そうと切り変わった瞬間はあったんですか?
 
大和地:ももちゃんが「代表になりたい」と言っていたのが大きかったです。それまで、こんなに集中して真剣にやっていく感じではなかったももちゃんが日本代表になりたいと言っている。「これはチャンスだし、ならなきゃな」と思いました。

それに加えて、リクゼンタカタカップで風味宮山ペアと2点差の結果を残せた時に、「いけるかも」と思いましたね。2点差というのは今思い返してもものすごく悔しいけど、1年目のペアが4年目のペアと同等の結果を出せたということは、ちゃんと実力がついてきた証拠かなって。

トップレベルの人たちとちゃんと戦えている感を味わいながら、その中で勝ちたいよねというのはよく話しています。

夢はママ同士のペアでも入賞、そして代表入り

落合:みさこは平日にキックボクシングもしていますね。

大和地:仕事終わりにキックボクシングジムに通っています。前までは週4で行っていたけど、昨年結婚してからは生活リズムが変わって、週3になりました。キックボクシングは体力づくりの側面もあるけど、仕事やプライベートでのストレス解消の目的も大きいから、本当は週4行きたい。

ただ、私が帰るのを待っていると亮太の夜ご飯も遅くなってしまう。だけど亮太は「自分で作って食べるからいいよ」と言ってくれるし、理解してくれていて、ありがたいですね。

落合:今後フレスコボールに関して、どんな風に活動していきたいですか?

大和地:近い将来でいうとブラジルで入賞することは目標の1つです。でも私は、1回日本代表になれただけでは満足していなくて、もう1回ちゃんと代表になって、たまたまじゃないんだと思ってもらいたいなと思っています。

あと、ちょっと先の話になるけど、自分が子どもを産んだ後、美樹とママ同士のペアで大会に出て、入賞したいです。ママペアで、若手に負けずに代表になれたらもっといいですね。

落合:ブラジルでは40代の女子選手でもトップにいたりするから、十分現実的ですね。

大和地:自分が動くことはできても、子どもの面倒を見なきゃいけない場面は多くなるから、両立できるかどうかわからないですけど。あと、もっと長いスパンで見た時に、子ども同士のペアができたらいいなというのはだいぶ先の目標でもあります。

直近はいろいろなスポーツの方に声をかけてもらって、スポーツを広めていく活動をしようとしているので、どんどん発信していく側になっていきたいと思っています。

 (インタビューおわり)


●まーや的雑感

私は今の日本代表メンバーがフレスコボールを始めたときのことを大体知っていますが、大和地選手はその中でも、スタート時に正直ここまでのレベルになるとは思わなかった選手。本人が言うように、ラケットスポーツが苦手なんだなという印象でした。シンプルに「諦めない」ということだけじゃなく、「腐らずに続けた」ことがすごさだなと思います。(あと、青木選手に続き「あいのり嵐」のブランドパワーすごいなぁ笑)


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