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“Can I help you?”

ごく最近の日曜日の午後の出来事です。 私は近所のスーパーマーケットに向かっていました。
 
店舗まであと20mぐらいまで近づいたとき、いま出てきた様子の80代ぐらいの年配の女性が、なぜだか立ち止まっているのが見えました。 両手に買い物袋を下げていて、重すぎるのかどうかして、動けなくなっていたようでした。
 
近くに行って声かけてみようかな、と思っていたその時です。
 
私の視界の前に、30歳前後ぐらいの若い男性が現れて、その年配女性に “Can I help you?” と声をかけていたのでした!
 
英語で声をかけられて、その女性は戸惑ったかもしれないですが、そのアジア系の男性が手を伸ばして 「持ちましょうか?」 のようなしぐさをしたので、意志は通じたことでしょう。
 
こういう、通りがかりにちょっと手助けする光景、多くの国では当たり前に見られることですが、今の日本(特に東京) ではほとんど見られませんね。
 
手助けする以前に、日本人は通りがかりの人に声をかけることをしないですよね。 困っている人がいても何もしない。 他人のすぐ目の前を横切っても一言の挨拶もない。 電車やエレベーターでは無言で他人を押し出したりする。 レジでキャッシャーから話しかけられても、目を合わせることもなく、手振りで返すだけ。
 
声を出したら負け、とでも思っているんだろうか?
 
いい大人が普通のコミュニケーションもできない姿って、かなり幼稚に見えますが。
 
“Can I help you?” のお兄さんは、どこの人かわかりませんが、自分の国では当たり前にやっていることをやっただけでしょうね。 言葉が通じないかもしれないとわかっていても、そうやって声をかけたのは素晴らしいですよね。 純粋な気持ちから出た行動だったのではないでしょうか。
 
翻って、今の街なかで見かける日本人の行動は・・・
 
他人に対する関心がない、というのともちょっと違って、他人と関わり合いになりたくない、と思っているように見えます。
 
関わり合いになりたくない、というのは、関心がない事よりもっと悪い。 なぜなら、関心がないというのは、他人の存在を否定してはいないけど、関わり合いになりたくない、となると、他人の存在を否定しているから。 他人は邪魔だ、という気持ちが根底にありますよね。 自分のことしか考えていないから、自分以外の他人は邪魔な存在にしか思えなくなっている。
 
だから見ず知らずの他人に対して、思いやりも持てないし、人を押しのけても何とも思わないどころか、進路を邪魔してる奴のほうが悪い、と心の中で自分を正当化していたりする。
 
でも、人間ってそういうことじゃないですよね。
 
お互いに助け合って暮らしていくのが社会ですよ。 時には迷惑だってかけ合うものなんです。
 
(「迷惑」 にも種類があるでしょ? 「迷惑=悪」 ではない。)
 
他人に対する許容量が低いのも、個人が生きづらい世の中なのも、生きてて幸せだと思えないのも、根っこは同じことなのです。
 
自分の職場や学校だけがあなたの世界ではない。 自分のいるその世界さえよければいいという考えが、回りまわって日本の社会を息苦しいものにする。 

閉じた世界だけで生きるのではなく、街なかですれ違う見ず知らずの人々も、自分と同じ人間だと思う気持ちが必要なのでは。
 
ニューヨークでは人がすれ違う時に道をゆずり合いますし、その時にも “Go ahead,” “Thank you,” というやり取りがある。

ぶつかりそうになったり、人の前を横切ったりする時は ”Excuse me.”
 
階段の上り下りでは、ベビーカーを押している人には必ず助けが現れる。 “Let me help you!”

大きいスーツケースを持っている女性などにも。 “Do you need help?”
 
これだけのことで、日常がどれだけ暮らしやすくなることか。 どれほど気持ちが楽になることか。
 
別に難しいことではないのだから、ニューヨーカーに出来て日本人に出来ないなんてことはないですよね?
 

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