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そこにも話好きがいた!マカピーな日々#0848

マカピーです。
暑い夏の午後、頭がぼんやりとしてきて、うつらうつらしていると学生の頃八ヶ岳の麓から東京に戻る際の出来事を思い出しました。

マカピーが農学生だった頃の夏のバイトと言えば北から「北海道知床の昆布干し」、「北海道中標津の酪農での乾草つくり」、「八ヶ岳山麓のレタス収穫」、「東急デパートのお中元のピッキング」、「中部山岳地帯での草刈り防衛隊(下草刈り)」ずっと南に行って「沖縄でのサトウキビ収穫」などと殆どガッテン系(体力勝負)が中心でした。

これは最近の上越線

もちろんそれ以外にも「日刊アルバイトニュース(今のan)」では沢山のバイト先があったはずだけど、マカピー達のようなまじめな?農学生として興味があったのはそんなものでした。

1年生の頃は「朝日新聞奨学生」で新聞配達してました。東京狛江市駅前の専売所の2階で過ごしていたので、休みは殆どありませんでした。

2年目の前期で新聞配達を辞めて、先輩の情報を頼って「北海道中標津養老牛地区での酪農及び乾草つくり」をやりました。オートバイ(Honda XL250S)で北海道から東北を回って群馬まで戻ったのでした。

3年生の夏は、同じ研究室の憧れのヨウコ先輩も行くという「長野県の川上村のレタス畑収穫」に行きました。
そういえばヨウコ先輩の卒論研究は「レタスの軟腐病研究」だったのでその関係で川上村とのつながりがあったのかしら?
疲れていても同級生やヨウコ先輩のいる家を訪れて話し込むのが常でした。

後年分かったのは宇宙飛行士となった油井さんは、マカピー達がお世話になった「油井」家の親戚だったようです。当時彼も中学生くらいだったのでしょうか?

4年生の頃は、一年間米国のアイオワ州に酪農実習で休学した後でした。同期入学の仲間は卒業してしまい、研究室での顕微鏡をのぞいての卒業研究はせずに別の卒論テーマに切り替え、次第に「普通のコース」から離脱してゆくのでした。

米国実習で出会った養豚会社の方から、アルバイトを紹介され神奈川県の清川村(愛甲郡にある神奈川県唯一の村。奥に宮ケ瀬ダムがある)で暮らしながら、時々小田急線で世田谷のキャンパスに行くような生活をし就職活動もせずにそのままその養豚会社の社員になっちゃうのでした。

上毛高原駅近くの田んぼ

で、その3年生の八ヶ岳山麓でのレタス収穫のバイトはなかなか印象深いものでした。
JR小海線の川上村は谷沿いにある集落なのですが、畑はそこから上った八ヶ岳山麓に広がる広大な「高原レタス!」が広がっていました。

そこに近くのリゾート地から白いワンピースに麦わら帽子の若い女性グループがサイクリングで通り過ぎるのを、マカピー達はなんだか別世界の珍しい光景を眩しく眺めていたのです、レタス畑の中から!

1300メートルある高原とは言っても、夏は相当暑いのです。作業着はいつも汗でぐっしょり。動きが鈍くなるので仕方なくTシャツで作業するので高原の紫外線も強く腕が真っ黒に日焼け。

更にそのTシャツも脱いで作業するようになると陽に当たる背中、腕、腹、またったく陽の当たらない下腹部以下と、、、お風呂に入ると「見事な4色焼け」となっていました。

さすがに女性のバイトの方は、肌は出さなかったです!(笑)

ツタ

川上村へもマカピーはオートバイを乗って行ったのですが、急用ができて東京に2泊ほど行くことになり、その日の作業を終えてから小海線に乗り中央線の小淵沢駅で乗り換えて新宿に行こうとしたのでした。

ところが、現在の様にスマホアプリで乗り換えが一発で分かる時代ではなく小淵沢を出た列車が終電でどこかの駅で運行を止めてしまい、仕方なく駅のホームで始発を待つことになったでした。

ありゃりゃ、ここで夜明かしか!

そこにホームのかたわらでオッチャンが駅員に文句を言っているのが聞こえました。
「何で新宿まで帰れないんだ!」と言っているところを見ると、どうやらその人は酔って乗り遅れたと想像できました。

近所の田園風景

彼は駅員に暴力をふるうでもなく、とりあえず不満を駅員に伝えると、仕方なくマカピーの座っているベンチに来てドスンと座り「ショウモナイな、まったく」とため息をついたのです。

見ればどこかの髭を生やして眼鏡をかけた大学教授のような雰囲気で面白そうな方でした。

マカピー:「ここで始発待ちですか?」
某教授:「あ? うん。少し飲み過ぎたようです。あわてて飛び乗ったんだけど、新宿に戻る最終便に間に合わなかったんだなあ」
マカピー:「ボクもです」
某教授:「どこから来たの?」
マカピー:「川上村でレタス収穫のバイトしているんですが、急用で東京に戻る途中なんです」

某教授:「そりゃご苦労な事で!学生さんかね?」
マカピー:「ハイ、2泊して用事を済ませたらまた戻ってきます。普段はオートバイなんですが今回の往復は電車にしたんです。慣れなくて乗り継ぎがうまく行きませんでした」

威嚇するカマキリ

そんな、話をしているうちにお互いに話好きもあって意気投合してしまうのでした。
始発まであれこれ話し込んで、ついには始発列車に乗り込んでも話が止まらず、新宿に到着するまで話し続けたのでした。

某教授:「おい、新宿に着くぞ。君は小田急線だろう。急ぐのか?」
マカピー:「いえ、今日の午後に人に会うだけなんです」
某教授:「じゃあ、ボクに付き合え。『しょんべん横丁』だったら朝からやってるところ知ってるんだ」

そう言って新宿駅を出るとそのまま飲み屋に直行して、彼とお昼まで飲んで別れたんです。
マカピーはそれほど飲めないので某教授が飲み話すを聞いていたのですが、今でも時々そんな出会いを思い出すのでした。(話した内容はすべて忘れましたが)

最近はマレーシアのサバに行きハジさんと長々と話をして尽きないのですが、もしかするとマカピーの話好きってのは学生の頃からあったんですね(笑)

なつかしいポケット・ティッシュが出てきた

それからレタス畑で作業していると油井さんの息子さんが来て「父ちゃん、明日は雨ずら!」と大きな声で呼びかけていたのを思い出します。方言が山を隔てた隣の群馬(郷里)とはずいぶん違うと驚いたものです。

宇宙飛行士になった油井さんも同じような少年だったのだろうか?

暑い夏になるとあれこれと思い出すのでした。

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。止まらなくなる話って何だったのだろう?


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