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子は親の背中を見て育つ?背中だけでは語りきれないこの生き様を、言葉と行動で君たちに刻むよ

顔が似ている、声が似ているなど、遺伝とはとても興味深い現象です。それを本人が望むと望まざるとに関わらず、すべては“神様”が決めること。私達では抗えません。例えば、私は手のひらにやたらと汗をかき、学生時代はテスト用紙がよれよれになって困るようなことがしばしばありました。これが次男に遺伝。宿題のワークシートが汗で湿って破れてしまうと「なんだよこの遺伝は、マジでいらん!」と文句を言っています。

遺伝として何が現れるかは私達にはコントロールできませんが、意志の継承においては可能な気がします。
子ども達に何を見せ、何を語るか、むしろこちらの作業の方が親としての「醍醐味」です。私が関心を持つ事柄、それを通して私が思い、考えたこと。これらを子ども達と共有していくことで、彼らは私の「遺伝子には刻まれていない情報」を吸収していきます。

“長いものには巻かれるな”
“出る杭になってもいい”
“自由を放棄するな”

積み重ねてきた日々の中で、意識的にせよ無意識的にせよ、私は子ども達に私の「目には見えない核の部分」も受け継いでもらえるように心掛けてきました。
洗脳のように聞こえるかもしれませんが、そんな大袈裟なことはしていません。みんなで夕食をとりながら、子ども達が話してくれる「今日のおもろい出来事」の中で私の意見を伝えたり、その日の印象的なニュースについて一緒に考えたりするだけです。
子ども達の知識が増え、思考力が上がるほど、話は深まり盛り上がり、答えを求めて問題の核心に迫っていくような感覚を得る瞬間が増えました。

先日次男が「日本語の授業でメディアリテラシーについてエッセイを書くことになったから、母ちゃんのブログのフェイクニュースの記事を参考にするわ」と言ってくれました。学校の課題なので、他にも様々な記事や映像を読んだり見たりした上で、自分なりの考えをまとめる作業になるでしょう。それでも、私がフェイクニュースの恐ろしさについて語ったり、ブログで書いたりすることで、彼にとってフェイクニュースという問題が身近なものになっていたことは確かです。抵抗なくエッセイに取組めるでしょう。

このような経験を繰り返す中で、彼らは私の意志を継承し、彼らの核心の部分に私と似たところが現れてくると期待します。私がこの世に存在した証拠が子ども達の心の奥に刻まれていくのです。

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育児日記

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