森さんは「森だけに巣ごもりすべき」
おはようございます。
今週はとっくに皆さんもご存じの通り、森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の「女性の多い理事会の会議は時間がかかる」発言が物議を醸しましたね。
今回の発言は、どう読み取ってもやはり森さんが悪いです。
男なら、ここは黙って「巣ごもり」するべきだと思います。(「森だけに巣ごもり…ナンチャッテ…。うーん…これはひどい…。ただいまの失言を謝罪するとともに、即時撤回させて頂きます。大変申し訳ありませんでした)
ただ、森さんを擁護する気持ちはさらさらありませんが、僕の経験上、人情のある人は大体が「失言しがち」だと思っています。(もちろん、人情派でも失言しない人は多々おられますが)
逆に、必要以上に「言葉」や「失言」に用心している人は、概ね冷たいように感じます。
おそらくそういう人は、人生において「面倒くさい人とは関わりたくない」という程度の「情熱」しか持っていないのではないかと思います。
今回の森さんの発言(失言)は当然良くありません。良くはありませんが、人間は時には「冗談」も言えなければならならないのです。
人情のある人はついつい周りの人や空気感に敏感になり、余計な「冗談」を言ったり、必要以上に首を突っ込んだりしてしまうのです。
結果、つい余計なこと(失言)を言ってしまうのです。
ん?
待てよ?
敏感だから失言する?
それは何か違うような気がします。
むしろ、鈍感だから失言するのではないのでしょうか?
うーん…。
ダメです。さっぱり分からなくなりました。
完全に論理破綻です。(何の論理やねん)
というより、結局鈍感や敏感と「失言」は関係ないということなのでしょうね。
大変失礼致しました。(本日2度目の謝罪)
ただし、最初に言ったように「人情のある人は失言しがち」という点だけは間違いないと思います。(もはや何の根拠もはありませんが。笑)
いやー。難しい。
以前にもnoteに書いたような気がしますが、やはり言葉は難しいですね。
難しいから僕は、必要以上に「言葉」や「失言」に用心して生きているのかもしれません。(ということは僕は冷たい人間なのかもしれません。いや、一見人情派のようで実は冷たい、冷たいようで人情派というややこしい人間なのかもしれません)
あー。いけません。
悪い癖です。
話が散らかって訳が分からなくなってきました。
やはり文章はある程度「何を書くのか?」を決めておかないと、こんなことことになってしまいますね。(昨日なんてひどかったです。「テレビの傷」だけで終わりましたもんね。笑)
もうこれで終わりますね。
最後に僕がひとつだけ言いたいのは「言葉尻だけを捉えて必要以上に攻撃するのは見ていて気分が悪い」ということです。(だからと言って誤解しないでください。何回も言いますが、今回の森さんの発言は良くないです。森さんは「森だけに巣ごもりすべき」です)→もうええわ!しつこいねん!ていうか大体ようこの言葉を今日のタイトルにしたな!恥ずかしいわ!
僕の好きな言葉に「人間は平等ではないが、対等である」という言葉があります。(誰が言ったのか知りませんが僕の心にずっと残っている言葉です)
世の中には対等にみられるのが嫌いで「自分はいつも相手より上でなければ気が済まない」と感じる人や、すぐにひがんで「相手は自分を馬鹿にしている」と思ってしまう人がいます。
こういう人たちと関わり続けると、本当に人生が重くなります。
はっきり言って重荷になります。
逆に「何より爽やかで面白い人」というのは、お互いに多少の欠点はあっても、あくまでも「対等だ」と感じ合える、信じ込める人です。
善悪、表裏、深さ浅さの全てを含めて、人間が吐き出す言葉の表現全てを過不足なく理解するためには「常識」と「成熟した心」がいるのだと思います。
それが欠けているから、言葉尻だけを捉えての論争になってしまうのでしょうね。
僕はまだまだ「未熟で非常識な人間」なので、言葉尻だけを捉えて争いごとを招かないようにしたいと思います。(とか言いながら。今日も朝ごはん中に嫁の言葉尻を捉えてケンカになりかけましたが。笑)
それではまた明日。。。
失礼します。。。
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