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わたしだけのお人形がほしい


ああ、わたしだけのお人形がほしい。
夢に見るほどほしい。

お洋服を着せかえて、髪を撫でて、いつも一緒にいられる分身が。

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 ドールという存在への憧憬が溢れてとまらない。どういうわけか、前々から抱いていたこの憧れが、ここ最近、どくどくと脈打ってわたしを駆り立てる。それも、リカちゃん人形のようなものではなく、「球体関節人形」といわれる類いのものがほしい。あんまり考えすぎるので、ついに夢にまで出た。まだドールが家にいなかった頃、届いた箱を開けて、その無機質で大きな瞳を覗きこむ夢を——。

 最初のうちは、飽きっぽい自分のことだからと、その情熱を疑って真剣に向き合わなかった。それでもいよいよ、日常生活にまでドールへの渇望が(最近うわの空だねと友人に言われるくらいには)侵食してきたので、わたしはこの目で実物のお人形を見て、我が情熱がホンモノかどうか確かめることにした。
 思い立ったらすぐ行動するたちなので、決心してから翌日には秋葉原にあるドールショップに足を運んでいたと思う。さらには、へんに完璧主義なので、事前にリサーチも済ませ、好みのメーカーに目星をつけておいた。運命の子に出会ってしまったらどうしよう、と期待半分、不安半分だったが、結局その日は同じメーカー製のドールを見せてもらうにとどまった。
 けれど、確信した。
 わたしの燃えるような気持ちは少しも収まる気配がないと……


 2021年5月。
 およそ2ヶ月前に意を決してドールを注文したものの、 その到着までは最低でも90日かかると聞いていた。一人一人丁寧にメイクを施されてくるのだから当然なのだが、注文したモノをこんなに長い間待ち焦がれるのは初めてのこと。辛さは想像以上である。冗談ではなく、注文する以前と以後では、時間の流れる速度がぜんぜん違う。こんなに一日って長かったかな、とTwitterやドールショップのサイトで美しいドールの写真を眺めては気を紛らわす日々…… 我が家に来るのはどんな子だろう、想像を膨らませては溜め息をつく。もはや憂鬱な気持ちで、日数カウントアプリの数字(とてもゆっくりと増える)をチラと確認する。こういった繰り返しがしばらく、いや、永遠に続くように思われた。

 そんなある日、何気なく見ていたフリマサイトで、出会ってしまった。わたしは、ついに一人目のドールを「お迎え」したのだ。Myoudollという海外キャストドールメーカーの、deliaという子だった。

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 きょとんと宙を見つめる瞳。ブロンドの髪。フリルとレースがたっぷりあしらわれたモーヴピンクのドレス。すべて、わたしが想像していた「お人形」そのものであった。まるで少女という花弁の集まった一輪の花。

 ホビーとしては「中古」とされるが、ドールの場合は「里子」。わたしは初めてのドールに里子をもらったわけである。傷汚れありを承知で譲っていただいたので、洗浄やメイク直しなどメンテナンスも必要だったが、もともと人形の“分割可能な身体”にとても興味があったので、ついでに好奇心も満たされた。

 最初のメイクを一度落として、(このために画材屋さんで揃えた)パステル、アクリル絵の具、エナメル剤などを使って、お人形の顔を完成させていく。まったくの初心者なので、持ち合わせているのは「かわいくなれ」「美しくなれ」という執念だけである。仕上げに、用意していたアイとウィッグを付ければ、“わたしだけの少女”の完成。(過程はドールを分解した写真も含まれるので、もし需要があれば後ほど詳しく載せたいと思う)

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 最初に比べると、予想よりだいぶ印象が変わった。メイク一つで思いのままに変身できるのは人間もドールも同じかもしれない。まるで、少女の溌溂としたエネルギーが萌芽したような、鮮やかな変貌だった。なんだか思わぬところで少女性の力強さに遭遇してしまった気がする。名前は、すぐに決められなかったのでリアン Rien(=無)としていたのがそのまま定着した。

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 こうして一人目のドールを迎えたわけだが、当初わたしがお人形を欲したのは、もうひとりの自分がほしい——つまり、わたしの分身がほしいというただ一つの願いからであった。だから、初めて注文したドールはできるだけ自分に近い姿を選んだ。顔も、体つきも。いずれ運命的な出会いを果たすこのお人形は少年の姿をしていて、肌はビスクのように真っ白い。
 わたしはこの先も年をとって、やがて少年ではいられなくなるだろう。その前に、今のわたしの時間を止めて、お人形に閉じこめられたらどんなにいいか。そう考えたのが情熱のはじまりだったと、朧げながらに思う。

 けれど、先にリアン Rienという少女のお人形を迎えてみて、わたしの中に小さな変化が起きた。淡色のフリル、華奢な肢体、夢見るようなまなざし……これら少女の表象を(文字通り)ばらばらに解体して再度組み立て、自分で「顔」を描き出すという行為。つまり少女の再構築をこの手で行った結果、わたしの中で非現実的なイメージだった「少女」という概念がすっぽりと手の中に収まったような心地がした。触れると壊れてしまいそうで近づけなかった少女性を、ドールの組み立てを通して、実体として認識することができた。少女のイメージは、今まで主体・客体どちらであってもぼんやりとした綿菓子のような印象しか持てなかっただけに、この認識の変化はわたしにとって非常に大きな一歩になった。

 それから、趣味としてのドールはとんでもなく深い沼であることは間違いない。新しいお洋服(ほとんどが人間の服より高い)を買ってきて着せ替え、少しでも美しい写真を撮りたいがために、埋もれていたいにしえの一眼レフを掘り出してきたり、ついにはドール用のアクセサリー作りにも挑戦したり。先日は初めてドールイベントにも参加し、普段は姿の見えないドールオーナーがこんなにもたくさん存在していたことに驚いたり。ドールを迎えてから、知らないことを知る機会がぐっと増えたように思う。

 時勢柄家にいることが多いので、自然にドールと触れ合う時間も長くなる(この前は一緒にお茶会もした)。一からお人形を組み上げる工程は、ひとつの世界を作り上げるようで、すごく楽しい。部屋に籠ってドールと向き合っているだけで幸せというのもなんだか自閉的に思えるけれど、わたしにとってドールは、世界を見る視点を変えてくれた最初のきっかけになった。
でも、それって当然かもしれない。

世界はいつでもRien(無)からはじまるのだから。

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青磁

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