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ミッドナイトスワン(2020)

ヒットしているという「ミッドナイトスワン」を見たけど、なんだかモヤモヤする。
試しにTwitterで検索しても、絶賛の声しか出てこない。
私ももちろん、これがデビューだという新人2人の瑞々しさ溢れる演技力とか、バレエの美しさを味わえると同時に圧倒的な練習に裏打ちされていると感じるところとか、柔らかくムードを作る音楽とか、凪沙と一果の思わず笑顔になるやり取りとか…すてきだと思うところもあったんだけど…脚本がとにかく気になる…!!!

別に、感動した人を否定したいんじゃない、あなたの感情はあなたのもの。でも私のような見方をした人は他にいないものか…?このモヤモヤをわかってくれる人はいないのかな。と思って書いています。

「マイノリティの極端な不幸物語を、お涙頂戴感動モノとして仕立てて、マジョリティが楽しむ映画」

お誂え向きの悲劇的展開、トランスジェンダーを30人も取材したというけれど、それならあんなに暗くて怪しいタイの病院で性別適合手術(SRS)をするという展開にならないのでは?ものすごく勇気の要る大事な決断を、不幸なエピソードに持っていくための展開の道具として使わないでほしい。

これって「感動ポルノ」なのでは

これは、障害のある人たちのつらいエピソードを、そうじゃない人が感動モノとして消費する、なんとかテレビと同じ構図ではないのかな。障害者という題材を使った感動ポルノとして批判される、あの構図と。でもその番組は一応チャリティをしてどこかに寄付しているし、障害のある人を身近に感じたり、知らないことを知れたりとかで、いくばくかの役には立ってると思う。
しかしこの映画は、とても慎重に扱わなくてはいけないSRSという題材に対して、事実に基づかないネガティブイメージを植え付けることになっているから、当事者の役には立たないのではないかな。タイはSRSの最先端であり世界で一番の症例数だというのに、わざわざ怪しげな病院で行った手術によって、アフターケアを怠ったせいとはいえ、凪沙は命を落とすことになるのだから。(詳しいことは描かれていないし、結果何かの細菌感染による合併症が起きたということなのだろうが、普段から息も絶え絶えになり失明するほどの病気とは何か?)死亡例もないことはないはずだけど、「タイでのSRSは怖い」という誤ったイメージを与えてしまうだろう。
今悩んでる人がこの映画を見たら、私もこうなったらどうしようという絶望感に襲われるのでは?また、当事者以外の人にも「危ないからやめなよ」と言いたくなるような考えを植え付けかねないと思う。

悲劇を描くなというわけじゃない

トランスジェンダーの人が差別される現状や、つらい出来事の「あるある」が描かれてるのをなくすべきなどというつもりはない。けれど、ことさらに凪沙を悲劇のヒロインとして描き、「強くならなきゃダメ」とか「性別を変えないと母にはなれない」という描写は、悩んでる人を追い詰めこそすれ、勇気づけることはないのではないか。
この同性婚が認められていない日本でも、ゲイカップルやレズビアンカップルで、幸せに子育てしてる人もいるし、男女の両親と血のつながりがなくたって家族になって幸せに暮らしている人はいるのに。さらに凪沙と一果は3親等の親族だから「赤の他人」ですらないのに、女にならないと母になれないという呪いが漂っている。

何も、バッドエンドや不幸な話を全部否定したいわけではないのです。でも、こうしてマイノリティが傷つけられ不幸になっていく、そしてその出来事を乗り越えてマイノリティではない人は生きていく、ということで感動を呼ぶ作りになっていることには懸念を示したい。

このデリカシーのなさがデジャブ

トランスジェンダーの当事者ではない私がこんなことを考えるのは「余計なお世話」かもしれない。実際に、映画を観て感動したというトランスジェンダーの人の感想も目にした。けれど、監督を務めたのが、権利関係も、性産業の描き方も問題視されたあの「全裸監督」の内田英治氏だと思えば、デリカシーのなさが共通している。「鋭いテーマに切り込んだ」「タブー視されたことにメスを入れた」あのときと同じようにそう評価されてしまったのなら、その裏にある、デリケートに扱うべきテーマをマジョリティの感動のために無下にした行為が覆い隠されてしまう。
感動にラッピングしマイノリティに理解を示しているように見えて蹂躙する行為に、モヤモヤとしてしまってやりきれない。そして、世のマジョリティたちが感動している現実に、まだまだ多様性の価値観は進んでいないのだと実感して、また悲しくなる。

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