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修験道の山

(平成五年八月)

  梅雨が明けてもなかなか夏にならないと思っていると、急に真夏日になってた。今年の雨量は近年になく多いらしい。日照時間が少ないので実を結ぶ作物が不良で、例年ならば夏野菜の出盛りのシーズンであるはずなのに、どの野菜も高い。
 その真夏日の目、A氏に頼んでおいて加波山に連れて行ってもらった。加波山は標高709メートルで、筑波山の北につながるきのこ山、丸山、足尾山に続く山である。道路がよくできているので車で難なく行ける。
 彼は出勤の日ではないから、先月と同じにわざわざ遠くからわたしの山行きのためにここまで来てくれたことになる。 
 夏休みにはいって初めの日曜日であったが、 混んだのはどうも海のほうだけらしく、今朝の新聞には全国で25人の水死者がいると出ている。なぜ混んで死人まで出るような海に行って、あんなに静かで人のいない、空気のいい近くの山へみんな行かないのかと思う。
 登山口からはずっと階段が続いていて、手すりが設けられている。丸太でできた階段で、行けども行けどもという感じで続いている。頂上までそうなのかと思ったら残り500メートルというところからはふつうの道になっている。ブナの木があり、この木は海抜が700メートル付近の地に繁殖するらしい。昔から修験道の霊山として知られていると案内板に書いてあった。 
 この山には加波山神社という神社がある。なぜかタバコの栽培の神さまで もあるらしく、茨城県が福島についでタバコ の産地でもあることからそういう役目も負っているらしい。神社の建物は古びて汚らしく、番をしているコマ犬もどことなくみすぼらしく見える。台座に据えられた太鼓が見える。建物はあるが雨戸らしきものがない長屋は廃屋のようだと思っていたら、思いもかけず中に人がいた。外にも三人くらいがいて、そのうちのふたりは上下とも白い装束で、これが修験道の修行者らしい。そういえば、来る途中にいくつかあった大きな岩の根もとには真新しい御幣が飾られていたが、これらはこのふたりが立ててまだ間のないものであるらしい。
 709メートルの地点にはコンクリートの上の赤十字のしるしがあり、そのそばに小さめのほこらがある。せっかく頂上でも、そこからは下界はほとんど見えない。高く繁っているヒノキのためである。見晴らしのいい場所はそこへ来る途中、丸太の階段の切れたところにある真壁側を見下す大きな岩のある地点である。筑波山をいつも見るちょうど反対から見ることになり、同じ山とは思えないような違った形に見える。
 A氏は、いつも筑波山に登るとこの山がよく見え、いつか登ってみたいと思っていたんだと言って、誘ったわたしのアイディアが無駄ではなかったことを伝えてくれたが、この暑さでは行くのがおっくうだと朝から考えていた、とややがっかりするようなことを言う。
 彼は車を運転するのにサンダル履きであったが、登山口に来たとき本格的な山歩きの靴に履き換え、小さなナップザックを持って出発した。何がはいっているのかと思ったら、着替えとタオルと小さな水筒であった。それを上 まで来てから開けて、わたしに先に水を飲ませてくれた。今日は相当暑いと覚悟して来たらしいが、わたしはこの間の難台、五田山の縦走コースのときよりは楽である。
 帰りにも真壁が見える大岩の上で景色を眺めた。幾重にもなっている山波はそれぞれ微妙に色が違い、なだらかに平地に下りて来る。 その先には緑色の鮮やかな田んぼがバトンをうけて夏の景色を配色よくしている。
 わたしは四本目のカウンセリングの講義を見てからの心境の変化を説明した。しかし、彼と話していたその場で、わたし自身がもって生まれた本質的 な性格の悪さにも気づかされた。
 自分では決して悪気がないのに、これまでにかな彼を傷つけていたことを知らされた。彼は必ずしもわたしを直接とがめるようなことは言わない。わたしはこの面でも講義で学んだ「責めない、とがめない」という鉄則を、彼が生まれつきにして備えもっていることを知り、A君が言っていた「生まれつきの変わり者」という彼への評価は、まったく表面しか見ていない人のことばであると思った。
 彼が見たカウンセリングの講義にはこういうことは出てこなかったし、わたしが通信教育を受けるよりずっと以前から彼のこの傾向は続いているものであるから、これはわたしが彼から学ぶべき最大の点であるはずである。彼はわたしよりカウンセラーとしての素質があるのである。
 彼にはわたしが文章を書くのをライフ・ワ ークとしていることを話してあるので、ついその「書くこと」の話もしたが「何を書くの?」と聞かれて、わたしは思わず「恥をかくの」と答えてしまった。実際に、わたしは文を書くことで自分の恥をさらすだけでなく、まずい文章を書いては恥をそのまま出しているのである。子供のころ聞いたことがある、「字書く、汗かく、恥かく」。もっともこれは書にたいするシャレであって、文章そのものについて言っているのではなかったが、彼は「書くことから物を必要以上に深く考え過ぎる傾向がある」と言い、あまり考えてもしかたのないこともあるのだ からもっと楽に生きるようにとも言った。
 修験道について、わたしは帰り道にその祖とも言われる役の行者のことを話したが、彼はそういうことにはとんと興味もないようで、身を入れて聞いていない。わたしには相手の反応をキャッチし、話はそれまでで終わる。彼は歴史上の超能力者の話などよりも、そこらじゅうを飛んでいるオニヤンマの複眼の数や、雌雄の別、翅脈の配列の違いにどのように遺伝子が関わっているのかということがらについてのほうが興味があるのだ。

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