見出し画像

年ごろ

 年ごろとはたいてい結婚適齢期のことを言う。人の一生の中で「年ごろ」と非常にあいまいないいかたながらもだいたいの時期が限られるのは、結婚を頭においてのものである。 死ぬ年ごろとはあまり言わない。

 啓蟄と言われる二十四節気のひとつである日、町内会では恒例の缶拾いが行われた。朝七時から始まるこの行事は、以前は心して起きる必要があったが、このごろではなんでもない。
 ものの三十分もあると終わってしまうことであるが、欠席するわけにはいかない。出ないからといってとくに罰則あるわけではないが、〇〇さんどうしたんだろうなどと自分のいないところでやんわりと非難されているかと思うと、よほどのことでもない限り出ることになる。
 缶拾いはこれが市で決められるずっと以前に、わたしひとりでヒマを見て周辺を歩いてしていたが、その範囲は今町内会で歩くより数倍のものであった。 冬でも汗をかくほどでいい運動にもなった。拾い集めると二枚の大きなゴミ袋がいっぱいになった。手ではとても持てないほどであったが、いちばん最初に缶拾いをしたときにはこのことがわからなくて、道路に集めた缶を置いてきて出直すことになった。
 途中、家にいちばん近いポンプ小屋に五、六人の水道局の人達がいて、その中にA君の姿をみつけだし「ねえ君、あそこに大きいゴミ袋を置いてきたからその車で行って積んで来てくれないかしら?」と声をかけた。それがA君とより親しくなる最初のことばかけであった。A君はそのときとに変な顔もせず「いいよ」とすぐに行ってくれたが、目の悪い彼はあれほど大きな袋であるにもかかわらずみつけることができず、から手でもどってきた。そこにいたほかの人の失笑をかっても、A君はとくにひるむようすもなく自分の肉体的な欠点をかえって自虐的にさらしているような人だと、そのときに思った。
 そのA君も適齢期はかなり過ぎたとは言え去年結婚した。形式だけで実体のない結婚であることは一年経た今もどうやら変わらないらしい。しかしこの半年というものA君はまったくわたしのもとを訪れない。
 三人の子供がいれば、順当にいって三回の結婚式を親として経験することになるはずである。その第一回目がほぼ確定しつつある。長男の結婚である。学校を出てからこちらにはいない長男のことは、わたしにはよくわからない。母親のくせによくわからないというのはいかにも無責任であるが、自分のことさえようやくこのごろになってわかりかけてきたのであるから子供とはいえ自分以外の人間のことが「よく」 わかるはずなどない。
 そのよくわからない長男がどういう経過でこんどのお嬢さんを見染めたのか知らないが、とにかくそういうことになったのである。缶拾いをしたあと、少し部屋のそうじしてから、午前中としてはほんとうに久しぶりにゆっくりこたつでくつろげる時間を持つことができた。お天気は上々、猫のほかにはだれもわたしのその時間を邪魔するようなものはいないし、その猫も外へ出すとまったくひとりで気分がゆったりする。
 マリア・ カラスのオペラ・アリアが放送されているのを聞いているところへ夫が帰ってきた。これから東京の長男が結婚したいというそのお嬢さんのおうちをふたりで訪問することになっていた。とくに問題もなく訪問は終わり、夫とふたりで銀座をしばらく歩いたが、古傷の痛む左足に無理に歩かせたためか腫れて、痛みがなおいっそうひどくなった。
 長男とそのお嬢さんの希望ではすぐにもこちらに来たいということらしいが、いっしょに会社勤めを辞めて、同じようにスタートするという望みは事実上むずかしい。 形式にこだわらず、見栄をはらず、という点ではふたりの意見は一致しているらしく、わたしもその点ではいいと思うがどうもそうはいかないらしい。以前のわたしならば夫がある程度形式にこだわるのをまったく受けつけなかったが、今では他人を受容することを学んでいるのでそれほどの抵抗はない。逆らってもしかたがない、という諦めの境地というのではなく「この人はこういう人なんだ」と受けいれることができるということである。だからわたし自身のイデアが変わったわけではない。 この間長男にわたしの考えをちょっと言ったところ「お母さんは偏り過ぎているよ」と 批判され、そういうものかと思った。批判されても少しもムキにならなくてすむのは、やはりカウンセリングのレクチャーのおかげである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?