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自分を否定することで得ているもの

こんにちは、なべ子です。

引き続き先日紹介した柴﨑嘉寿隆さんの「自分セラピー 幸せな自分に出会える本」を読みながらいろいろと気づいたことを書いていきます。今回は読んでいく中で印象に残った言葉とその中で自分が気づいたことを書いていきます。

本の中でこのような言葉が書いてありました。

「自分を否定するのは悲しいことですが、実は否定することで、自分を守ることができ、安全で安心で大切な逃げ場所にもなっているのです。状況を変えられない自分を「責めたり、否定する」ことで、現実の世界に違いをつくり出さなくてもよいからです。」

これ昔の自分に凄く当てはまる言葉だなーと思いました。
依然noteの記事では書きましたが、昔長いこと自己否定・自己卑下してしまう自分が大嫌いでした。
今考えると自己否定とか自己卑下って何の生産性も無いので馬鹿なことで悩んでいたなと淡々と思えるのですが、それは今そう思えるだけの自己肯定感がついたから。昔はそんな風にはとてもとても思えませんでした。今そのように淡々と感じられるようになったことは、過去の自分と比べたら物凄い進歩で、もはや人生の課題の8割完了(←ほとんどじゃん(笑))したというくらい大きな課題でした。

前に何かの本(すみません、忘れました)で「自己否定や自己卑下している人は、それをすることで実は別の利益を得ている」という話を聞きました。これって本当にそうで、昔の自分は自己否定や自己卑下することで目の前の現実問題から逃げる、向き合わないというある種の「利益」を得ていたんですね。

結局現実に向き合って都度現実に打ちのめされて傷つきたくない、というかその前にすでに自分で自分を否定しすぎてボロボロで現実でこれ以上傷つくことが起きたらキャパオーバーみたいな状態だったんだと思います。
向き合うって「自分セラピー」の本にも書いてあったように、「現実を自分で作っていくこと」です。これって様はクリエイティブな状態かと思うのですが、私の経験上、自己否定とかが極まった状態の時ってクリエイティブなことが何もできなくなるんですね。自分が嫌いすぎて、自分から出たもの、自分が表現したものは全て嫌いなんです。だから結局は自分の存在を肯定していきながらじゃないと新しい現実なんて作れない。

今私はnoteを書いていますが、これが周りの目を気にせず書けるようになったのは本当にここ数年で、以前は自分が書いた文章を不特定多数の人に公開するなんて怖くて絶対にできませんでした。

今これを読んでいる中にも、昔の私みたいな方がいるかもしれません。
その方たちに言いたいのは絶対に自分を肯定できる日は来るということ。
私は年単位の時間がかかりましたが、少しずつでも自分を肯定して自分を表現することは出来るようになります。
「これをすれば全て完璧!」みたいな特効薬はありません。
強いて言えば前の記事でも書いた「自分にとっての快を選択し続ける」ことかなと思います。
もちろんひとりひとり「快」の状態は違う。だからひとりひとり「答え」も違う。
ちょっとずつで良いから自分が「これいいな」と思ったものを買ったり、読んだり、出来る範囲で表現したり。そんな積み重ねが少しずつ自分を肯定していくことに繋がっていく、そう思います。

「自分セラピー 幸せな自分に出会える本」(KKロングセラーズ・楽天kodo・電子書籍ver.)

今日もお読みいただき有り難うございました!

#クエスト #柴﨑嘉寿隆  #自分セラピー #自己肯定 #自己否定 #自己卑下 #克服

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