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アーユルヴェーダと介護 とにかく眠い

1週間前から、祖父の夜間介護がはじまった。

今までひとりで行けていたトイレに行けなくなった。
ベッドからからだを起こす、ベッドから立ち上がる、ズボンをおろす、ズボンをあげる、が難しい。手すりなどを頼りに歩くことはできるけれど、じぶんでじぶんのからだを立たせる、立たせた状態をキープしておくことができなくなってきた。

寝て起きたらそれまでできていたことが急にできなくなったり、逆にまたできるようになったりして「人間ってやつぁよ〜、まぁったくしょうがねぇなぁ」と『男はつらいよ』の寅さんのように、すぐそばで世話を焼きながらも「ずっとここで世話するっていうつもりはねぇんですよ、あっしは」と、なるだけ心を遠くに置こうとしている。

1週間前からほぼ完全にトイレに行けなくなったのであって、実は年明けてからたびたび自力でトイレに行けないことはあった。
母が近くの部屋に寝て「おーい!おーい!」と声がすると介助に行く。
わがままな祖父のため、ボタンを押すとチャイムが鳴る呼び出しベルは決して渡すまいと母娘で相談した。大したことのない用事でも呼び出されるようになっては、日常が保たない。
そう思ってはいたが、もう状況が状況のため呼び出しベルも渡すようになった。今は2〜3時間置きくらいに、やさしい音色のチャイムが鳴る。

「おい爺さん、俺が手伝ってやるから、お前さんも大変だろうけどちゃーんと言うこと聞くんだよ」という寅さんのような心持ちで祖父の介護にあたっている。
破天荒な祖父のため、わたしは今まで彼の無茶な要望を説き伏せる役回りになることも多く、孫の気持ちってものはだいぶ奥底に眠ってしまったように思う。祖父のことはおかしな老人の友だちみたいに思っている。だから逆にお世話しやすいのだろう。祖父は祖父で、孫だから頼みやすいこともあるらしい。家族として、特に親子として介護に向き合うのは気持ちと歴史が入り混じって大変だな、と母と祖父を見ていて思う。

こうして本格的になった介護。今までも着替えや身の回りのちょっとしたことは手伝っていたので、手がかかる時間が増えたこと以外は問題ない。とりわけしんどいのは夜間介護である。
最初は母がひとりでやってくれていたが、わたしが風邪をひき祖父にうつったことから、母にうつさないようにとわたしが夜間介護するようになった。

いつも通りに夜中12時頃に寝る。それから朝までに大体2〜3回チャイムが鳴る。まだ経験していない子育てとやらはこんな感じなのかなと思いながら、祖父の部屋へ向かう。
夜泣きはないものの、夜ギレはたまにされる。世話してなんでキレられないと行けないのだろうかと逆ギレで返す。
3日続けた頃、へろへろになった。
子育てしているみなさま、介護されているみなさま、すごすぎる。
日中仮眠を30分〜1時間程度しても眠たい。
昼寝してもすっきりしない。からだは重たくなり、足はむくみ、便秘になった。イライラしやすくなり、祖父の物言いが少しでも気に食わないと刺々しい言葉と大きな声で返した。
仕方がないとわかっていても、じぶんがじぶんで嫌になった。
こんなちょっとした変化に対応できないじぶんに情けなくもなった。
それと同時に睡眠って偉大すぎるなと思った。今まで、何も気にせず眠れていたことが急にありがたみを帯びてきた。

介護は長期戦。このままではこっちがやられてしまう。
まずは眠らないとだめだ。
ここから考えることにした。
ただ、2〜3時間置きには起こされる。
その中でどうするのか?
わたしにはアーユルヴェーダがあるじゃないか。
介護の日々を実験の日々に変えていけば、わたしはたのしく過ごせるかもしれない。そう思い始めたら、試してみたいことがいろいろ浮かんできた。
(アーユルヴェーダネタは次回以降です。思わせぶりなタイトルにしちゃったんだよね)

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