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いま、読書会とは①

こんにちは。

私の印象では、読書会はいま、何度目かの「ブーム」にあると感じています。以前ですと例えば、2015年に『週刊エコノミスト』誌が特集をしている記録があります。これはKindleで購入していて、私の端末に沈んでいます。


その後にも、猫町倶楽部の主催者である山本さんが、『読書会入門』を著しています。これが2019年。


つまり、ほぼ5年の間隔で今に至るのですが、この「波」は単発のものではなくて、連続したものと私には思えます。最初のものの時には、ビジネスマンを中心とした、いわゆる「朝活」ブームと合わさったものとして「波」が来ているのですが、その後「退潮」しているとはあまり考えにくいのです。

もちろん、エポックもありました。2019年頃からのコロナ禍がそれです。時を同じくして、オンラインツールのZoomが一般的になりました。Zoomの普及と読書会のオンライン開催の一般化の、どちらが原因で、どちらが結果とは言いにくいです。ともあれ、この時多くの読書会主催者が、会をオンラインで開催するという選択をしたのです。

私も、読書会は主としてオンラインで展開していますが、その選択はコロナ禍とは関係なく、その以前からしていました。これは、私が精神疾患を病んでいることと、経済的な理由も加わって、なかなか外出ができないという要請に基づくものです。もちろん、コロナ禍に先立って「オンライン読書会」を志向していたことを自慢したいというのではありません。この稿では、「いま」「読書会に」、何が可能であるのかを考えたいと思っています。

「読書会」は、確かに相当普及はしています。しかしまだ、読書会とは何か、何をするのかについての共通の理解は進んではいないと思います。私は読書会を主催していますと言うと、今でも一定の割合で質問を受けます。つまり、読書会とは「何」をするのかということです。集まって一緒に朗読するのかという質問をされたこともあります。これは一重に、読書とは一人でするものという堅い信念が流布しているからだと思うのです。

もちろん、読書(に限らずですが)とは、究極的には孤独の作業であると言えます。しかしながら、こうも言えなくはないでしょうか。

例えば、誰かと映画を見に行った。あるいは、食事を一緒にした。その時、「ああ、おもしろかったね」「おいしかったよね」という言葉を交わし合うことは、自然なことではないでしょうか。読書会というと、何か特別なイベントと構えてしまうかもしれませんが、全ての「基本」は、ここにあります。この自然な発話を発展させようという「仕組み」として、読書会はあるのだと申し上げて、まず第一信としたいと思います。予定していた分量になってしまったので、改めて続きを書きたいと思っています。それではまた。お読みくださいまして、ありがとうございました!



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