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7.古典的な三つの願い

    人形が自分を見つめていた、と書き出すのは平凡だろうか。
 若者が集まる街の大通りから、一、二本奥に入った路地には、いかにも変わった店主が出てきそうな、怪しげな店が並んでいる。
 アジアか中東か、南アメリカか西アフリカか。呪いの彫刻が外をにらみ、目眩がするような柄の絨毯が壁にかかり、不思議な小物、アンティークの陶器、少々癖のある香水が棚に並び、道行く人を誘っている。
 彼女は二十代後半。休日に街に出てきたが、大通りは不幸を知らない若者でいっぱいで、気が滅入りそうになり、裏道にそれた。

 人の流れが穏やかになり、彼女はフッと息を吐いた。
 周りの風景を楽しみながら、のんびり歩いていると、アンティークショップの窓ガラスの奥に古い人形が見えた。人形が自分を見つめている、彼女はそんな気がして、足を止めた。
 確かに、その青い目をしたブロンドの、乳白色の肌をした人形は、店の中から彼女を見ていた。

 人形に引かれ、彼女はフラフラと店に入って行った。
 棚に置かれた人形に手を伸ばす。あなたは、どこから来たの? 名前は?。
「いらっしゃい」
 背中から声が聞こえた。振り返ると、蝶ネクタイをした、店主らしき初老の男性が立っていた。
「お気に入りですか?」
「え、ええ。かわいくて、思わず手に取って。あの……おいくらですか?」
「実は……その人形は、売り物ではないのです」
「そうなんですか……」
「もし、お気に入りなら、譲ってさしあげても」
「ええ……」
「ただ、この人形は少し……」
「少し?」
「いや、悪い話ではないのですが……」
 店主は少々、もったいをつけたしゃべり方で、人形の秘密を話し出した。
「三つ? 願い?」
「まあ、ただのおとぎ話みたですが」
 人形は、願いを叶えてくれるのだという。
 かなう願いは三つ。古くから願いというのは、三つと相場が決まっているらしい。
 一つでは味気なく、二つはなんだかケチくさい、四つだと間が抜けてしまう感じがするので、結局、三つに落ち着くようだ。
 この人形も、三つだけ願いを聞いてくれるのだという。一つの願いは、単純に一つだけ。例えば、「世界一金持ちになって、世界一大きな家に住んで、世界一美人と結婚して、一生幸せに暮らせるように」なんて、欲の深い願いはダメです。

「願いは三つ。一つ願いを言うと、必ず三つ必要になります」
 店主は、言った、
「必ず三つ……」
 半信半疑ながら、彼女は人形を譲ってもらった。
 初めて会った得体の知れない男の話をなぜ信じるのか、とか、願いが叶うのなら、なぜあの店主は自分の願いを叶えなかったのか、とか、理屈を言い出すのは野暮というもの。この手の話は、ああそうですかと読んでもらうしかない。

 一つ目の願い。若い女性の関心といえば、恋。同じ会社の二つ先輩。スポーツマンで優しく、家は資産家。しかし、彼には、似合いの恋人がいる。相思相愛、美人で性格も良い。
「来春には結婚だって、式は外国みたいよ」
 女子社員の噂話。
 一番目の願いは、二人が別れること。彼女が死ぬように、と祈りかけたが、そこまではと思って、彼女は「二人が別れますように」と願いを掛けた。
 彼女が願いを言うと、人形の目が光り、肯いたように見えた。書きかたが、あまりにありきたりだが、とりあえず、我慢してください。

 願いは叶い、
「お前の顔なんて二度と見たくない」
 大げんかの別れ。めでたしめでたし。しかし、恋は成就しない。彼は彼女を好きにならない。
 彼女を好きになるように、とは願わなかったのだから、当然といえば当然の結果。
 そこで、二つ目の願いは、彼が彼女を好きになってくれること。
「死ぬまで愛して!」
 怖いですね。
 願いは叶い、二人は運命の愛。
「君を死ぬまで愛すから」
「うれしい」
 何度もデートを重ね、クリスマスはホテルで過ごし、ディナーを楽しみ、二人で旅行もして。
「結婚しよう」
 誕生日に婚約指輪を贈られ、あとは、式の日取りを決めるだけ。

 幸せすぎて、彼女は人形のことをすっかり忘れていた。人形は、部屋の隅で、うっすら埃もかぶっていた。
 人形が彼女を見ていた。
「そうだったわ」
 彼女は人形を手に取った。彼が恋人と別れ、彼女を好きになり、結婚できそうなのは、人形が願いを叶えてくれたおかげだ。
 願いは三つ。あと一つ残っている。
「願いは三つ。一つ願いを言うと、必ず、三つ願いが必要になります」
 あの店主の言葉がよみがえってきた。
「あと一つ……何かしら? 結婚してから? 子どもかしら」
 呼び鈴が鳴った。彼。いつもの笑顔ではなく、ひどく深刻な表情をしている。
「どうしたの?」
「両親に結婚を反対されたんだ」
 会社の女子社員と結婚なんて、絶対ダメだと、親に反対されたと、彼は泣きながら話した。
「別れるなんて、絶対できない」
 彼は言った。二番目の願い。「私を死ぬまで愛して」
 彼女は彼を優しく抱き、彼の耳元で、
「大丈夫。私たち、絶対に結婚できるから」と言った。簡単だ。三つ目の願いを人形に言えばいい。
「二人が結婚できますように」 
 彼女は人形を見た。人形の目が光った。
 さあ、最後の願いを言って。
「二人が……」
 彼女が言いかけたとき、
「一緒に死のう」と、彼の手が彼女の首にかかった。
「えっ? なに?」
「一緒に、死のう」
 彼が首を絞めてくる。
「止めて……私が、願いを言うから」
 苦しい。声が出ない。願いが言えない。
 首が絞まってくる。気が遠くなっていく。
こんなことなら、と彼女は思った。「死ぬまで愛して」なんて願わなければよかった。結婚できますように、ぐらいにしとけば……。
 目の前が暗くなる、意識がなくなる。彼女は気を失なっていった。

 気がつくと、店の中だった。人形が彼女を見つめていた。
「私が三つ願いを叶えてあげる」
 人形がしゃべったような気がした。
 彼女は首を振り、静かに人形を棚にもどした。三つの願い。たった三つだが、私には難しすぎる。
 店を出て振り返ると、人形が彼女を見ていた。女性が一人、店に入っていった。
「いらっしゃい」
 店主が客に声をかける。
「この人形は……三つの……」
 さて、今度の客は人形を買って帰るでしょうか? あなたなら?。

古典的な三つの願い

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