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■現代詩に夜露死苦

「詩集」を読んで (24) 不定期刊

公立図書館のほとんどが仕事納めの12月28日で終わる中、都内の某区立図書館だけが大みそかまでやっていた。
他に行くところがないためか、大みそかのそこは案外に混んでいた。ぼくもその一人で、地元の図書館に行けないので、電車に乗って都心をかすめ、その図書館に行った。新聞だけ読んで帰ろうと思ったとき、詩の棚を冷やかすように眺めていたときに手にした「詩集」2冊のレビューである。

◇都築響一 「夜露死苦現代詩」 新潮社 2006年8月刊

内容

寝たきり老人の独語から暴走族の特攻服、エミネムから相田みつをまで。現代詩だなんてまわりも本人も思ってもみないまま、こっちに挑んでくる言葉の直球勝負。ほんとうにドキドキさせてくれる言葉がここにある!

(図書館データ)

ぼくの感想

いうまでもなく、この本は「詩集」ではない。都築響一は都市徘徊もので面白そうな本をいくつも書いているが、立ち読み以外で通して読んだのは初めてと思う。
実に面白かった。
著者も指摘するが、現代文学、現代詩の研究者などはだれも相手にしないでいる、あいだみつをについて美術館訪問記を書いていたり、統合失調症の人が書く詩や暴走族が特攻服に刺繍する文言=詩、湯飲みやのれんによく書かれている「説教詩」などなど、この著者の視点ではどれもが「現代詩」を超える存在感を放つ「詩」として紹介されている。
統合失調症の人が書く「詩」は、精神医学の観点から見ると、「言葉のサラダ」と呼ぶ…などという記述は目からウロコ的な、我が意を得たり、と思わされた。
あの大詩人、吉増剛造もある意味、その手の人だと思うし、現代詩を綴る人に一定数のそういう人がいる、と思う。その点でも共感できた。
詩―と限定するのではなく、文字としての言葉、音としての言葉-いずれもが詩であるということを再認識、再確認させられる本だと思う。


◇長田弘 「われら新鮮な旅人 definitive edition」 みすず書房 2011年2月刊 初版:思潮社 1965年刊

花冠も 墓碑もない 遊戯に似た 懸命な死を死んだ ぼくたちの青春の死者たちは、もう 強い匂いのする草と甲虫の犇きを もちあげることができないだろう。(「われら新鮮な旅人」より) デビュー詩集に長詩2篇を併録。

(図書館データ)

ぼくの感想 
年末の新聞の1面コラムで長田弘の詩を引用しているものが複数あった。どの詩だかはメモもしなかったので分からないが、とりあえずこの詩人の詩集を読んでみよう、と彼の初詩集の「決定版」(再編集版)を借りて読んだ。
2015年に75歳で亡くなっているが、この詩集は20代のときに書かれたもの。
多くの詩に、60年安保といった時代背景を感じさせるし、若い学生(早大一文卒)のみずみずしい感性で書かれたものがほとんどだ。
タイトルどおり、新鮮な、その年齢、その時代に書かれたという印象を持つ。

21世紀、60歳を超えたぼくにはその感性で詩作ができるわけもないが、その視点は持たねば…と少し思った。
新聞にもたびたび今も引用されるような詩人である。いや、引用しやすいような作品が多いのか…。
他の詩集も読んでおきたい。

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