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スケッチブック

小さい頃から絵を描くのが好きで、幼稚園でセミの抜け殻を描いたら自分で描いたのではなく親に書いてもらったのだろうと先生に諌められ、ひどく傷つきギャーギャーキレ散らかした記憶がある。

小学校1年生の夏。ワンボックスカーで北海道をぐるりと回った家族旅行の時からだろうか。おえかき帳から卒業し、リング式のマルマンZUHANスケッチブックを買ってもらった。キャンプ場には海外から来ていた家族もいた。子供同士はすぐ仲良しになる。言葉が通じないから、スケッチブックに描いた絵を見せてコミュニケーションをとったのを覚えている。一期一会の関係だったけれど、彼は元気だろうか。カミーユくんという名前だったはずだ。

中学校に進学したときは、美術部に入るか合唱部に入るかで最後の最後まで悩んでいた。お試し入部の陶芸体験は最高に楽しかったが、小学校時代転校を繰り返した私にとって「濃密な集団生活・集団作業」を通して紡がれる青春物語に対する圧倒的な憧れが強かったので、結局合唱部を選んだ。パートに分かれて歌い曲を作り上げる喜び。結果として、人生最高の最後の部活動人生を送った。

高校2年で理系進学を選んだ私は、勉強が忙しくなってスケッチブックやお絵かきからずっと遠ざかった。というより、スケッチブックを手元に置いておくと何かと描いてしまうので、あえて遠ざけていた。遊びは受験勉強には要らない。そんな禁欲的な生活を続け「生存には必要だから」という理由から食物を摂取しまくった私の体は2年間で12キロの追加重量を獲得した。ダイエットについては別の機会に触れたい。だって超頑張ったから。ここから17キロも痩せたから。


大学に入り、英語を話せるようになりたくてオーストラリアに短期留学した。記録をつけようと、小さなマルマンZUHANスケッチブックを持っていって1日1ページ絵日記をつけ続けた。少しかぶれて、途中から文章が英語になっている。英語が全く通じず恥ずかしいを思いをし、周りの雰囲気を悪くしてもう日本に帰りたくなったこと、ホストマザーやその親戚があまりにも優しくて号泣したこと、全て書かれた宝物だ。おかげで今は相当に英語が上達した。というかニューヨークに住んで日本人のいない職場で働いている。訳がわからないが人生そういうこともあるらしい。ニューヨークの話こそ時間をかけて今後書くべきことだ。


映画の感想やレビューを描き貯めたり、父譲りの川釣り道具の組み立て方を描くのに使っている。
大学院博士課程に入り、研究生活は多忙を極めた。研究では、論文や申請書でインパクトのあるイラストや概念図が求められる。また、研究内容をいかにシンプルかつ秩序立ってまとめられるかに研究者の手腕がかかっている。
スケッチブックの1ページを開いて、論文一本分のストーリーと概念、結論をまとめるために使ってみたら、これは良い。劇的に理解が進む。最近やっていないけれど、これを書いていたら思い出した。またやろう。

私の人生を形に残す時、いつもそばにいてくれたのがZUHANのスケッチブック。オレンジと深緑の表紙ページを開けば、私のこれまでの人生が飛び出してくる。今は手に入らないので、とりあえずこちらで買ったスケッチブックに描き溜めている。来年の一時帰国の時はたんまりと仕入れてまたNYに舞い戻るつもりだ。

人生で起こるいろんなイベントを可能な限り形に残していきたい。
今私は28歳。寿命100年時代。

これからもよろしく頼むぞ、スケッチブック。

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