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滋賀県長浜市の美しい街で私たちは産声をあげた

morning after cutting my hair  —
髪を切った次の日の朝。

私たちの、この情景を社名することにしたそのきっかけは、たぶん猛スピードで移り変わる都会では生まれにくく、決断できなかったかもしれない。


私たちが会社を設立したきっかけは、総務省の制度

私たちmorning after cutting my hair, Inc.は、我らがマザーレイク琵琶湖のちょっと右上、あとちょっと行けばもう北陸にあたる「滋賀県長浜市木之本町」という宿場町の一角に登記しました。

なぜここに登記したかというと、それはある制度を活用したことがきっかけ。

私たち2人は、総務省がスタートした、「都市から過疎地域など条件不利地域に生活の拠点を移し、地域活性化の一部を担う」という枠組みの"地域おこし協力隊"という制度のもと、滋賀県長浜市が募集する「"起業型"地域おこし協力隊」を受託し、暮らしをうつしました。

結論から言ってしまうと、これがきっかけとなりmorning after cutting my hairは立ち上がったので「起業をする」ということが条件だった部分は達成したけれど、今もなお、当初受託した条件であるもう一つ、「地域を活性化させる」ということに対して何ができたかはわかりません。


魅力的濃度の高い、滋賀県長浜市木之本町

偉大なる琵琶湖まで5分もかからず、水は美味しく、野菜も新鮮。街も豊かで、静かで、18時を過ぎれば人とすれ違うことも少なくなる。喫茶店には入れば誰もいないから仕事に集中でき、どこでもBiwako WiFiがあるのでWiFi難民にもならない。

木之本町の中心には日本三大地蔵である木ノ本地蔵院がある。そこを中心とした横一本道「北国街道」ははじからはじまで歩いても15分かからないが、お店一つ一つゆっくり見てしまうと、あっというまに時間が過ぎゆき、いつのまにか時間が溶けて消えてしまう

昔ながらの宿場町で、建物一つ一つも美しい。歴史ある酒造「山路酒造」「富田酒造」や「ダイコウしょう油」、リノベーションをして素敵な空気感のある「Nanao Pottry」、滋賀県の最高B級グルメ「サラダパン」、私がいつも仕事をしているお菓子屋さん「角屋」。滋賀県で最も古い私営図書館の「湖北図書館」があったり、個人経営の本屋さんも3つあったりと、面白い場所の密度がかなり濃い。

(並べればきりがないので、街で配られていた木ノ本MAPを貼り付けておきました)

"地方"と呼ばれる地域に行くと、「広い範囲でポツポツと素敵なところがある」ということはよくある。しかし、ここは徒歩15分圏内に魅力的な場所・人がひしめき合うように集まっている、魅了的濃度の高さが全国的に見てもかなりレアだとおもう。

誰かの手が入ったまちづくり、地域活性ではなく、内発的でかつスピードも美しく目が離せない街と言えると思う。もっとみんな視察にくるといいと思う。


自然が生み出した情報に触れる機会が増える暮らし

情報やチャンスを掴み取るのは、環境がものを言うのではなく、人それぞれの情報に対するアンテナの張り方や受け取り方次第なのだと思う。

ただ、東京や大阪では広告やSNSなど、人が生み出した情報と接する機会がとても多く、何もしなくともどんどん受け取ることができる。
時として目を瞑っても耳から、耳を塞いでも目から入ってくる。

しかしこの場所では、それらの総量が少なくなり、見渡す限りの山や湖や川や雪や雨や空、風や虫や笑い声が目や耳や鼻から入ってくる。私たちを通り過ぎて行く。

そんな毎日が、見る景色を、選ぶ言葉を、自然と変えて行った。

時間の流れが東京や大阪とは似ても似つかない、似せてはいけない、似ないでいてほしい、そんなとても暮らし心地のいい場所でした。

morning after cutting my hair  —
髪を切った次の日の朝。


そして、長浜市との契約がおわった

満3年の契約だった地域おこし協力隊を、2人とも、それぞれ別の理由で早期退任しました。契約を終了させていただきました。

中西は、自分自身の「言葉」「表現」に対するチャレンジを加速するため。これまでの偶然にもご縁がご縁を呼び支えられた環境から、自分で勝ち取って行く、いわば修行期間を自ら選択し東京に。

私田中は、morning after cutting my hairへの依頼がありがたいことに多くなり、緊急度高く求めてくださる人や土地に出向くことが多くなったから。

人も、恋も、土地も、
好きだからこそ関係性を変えるのはどれも一緒。

長浜市から「地域活性化してほしい」という依頼は都度あったのですが、私たちが聞く限りだとそこにはまだ「緊急性が高い」という判断はあまりなく、ニーズはあれど具体的な解決したい課題はなかったり、今すぐには私たちがこの場所に貢献できることが少ないと思ったからです。

今まさに目の前で泣いている人がいる、◯◯年までにこれを必ず実現したい!という人たちとご一緒させていただく機会が多い中で、限りある時間や体力やリソースをどこに投資することが少しでもより良い世界になるのだろうと考えた結果、離れることを決めました。

この豊かな琵琶湖に、波を立てれたかな。
私たちの存在はすぐに効果がでなくとも、誰かの心の中に少しあとを残せたかな。


窓から差し込む光と、
足が冷えてストーブの前で着替える朝、
揺れる琵琶湖の波を片目に、

2019年3月31日をもって、長浜市との契約を終わることにしました。


もう少し滋賀にはいるけれど、次のステップに進んでいきたいと思っています。

Written by Misaki Tanaka

Consulting for Social challenges with Love. based in TOKYO & SHIGA, JAPAN. ///// 世の中にある「課題」に挑む人たちの想いを伝え、感動と共感の力で、『人の心が動き続ける社会』をつくる。