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G -1.0

前日、本作を観た僕は夕暮れ時の空を眺めた時、空の手前の10階建てくらいのビルをみて、「あれくらいの高さかなぁ?」と思いながら、

あれが・・・ゴジラ・・・

と劇中の登場人物のセリフを呟いた。心の中で。


ゴジラ映画70周年、国内シリーズ30作目。前作『シン・ゴジラ』から7年。待望の最新作。

前作シン・ゴジのラスト、続編あるぞ的なエンディングながら最新作はまったくの別物語。

今作『マイナスワン』の時代設定は終戦直後。空襲により焼け野原になりなにもかも失って無になった日本。そこに未知の恐怖が迫りマイナスになる。

それはいい。いいんですよ。

主演は朝ドラコンビですってそこばかり話題になって、そうじゃないだろ!って違和感。そのことはゴジラ映画とは関係ないやん。朝ドラに出た俳優が主演だから作品に“ハク”が付く?違うだろ。大体そのドラマ観とらんし。

そういってもゴジラだ。その最新作だぜ。

そもそもなんでゴジラは日本ばかり狙うん?問題はレジェゴジ(レジェンダリーゴジラ)が米国に現れたことで解決(?)

最近の僕は、人にも人種があるように、ゴジラにもさまざまな種別があるんやなって思いはじめていた。ゴジラ類ゴジラ目ゴジラ科〇〇ゴジラ、みたいな。

類、目、科とか順番違ったらスマン。
(ちゃんと調べてから書けや、バカタレが!)

だから、日本に現れるゴジラとレジェゴジは同じゴジラでも別種族だよ、と。日本に来るヤツはいうなれば“ヤマトゴジラ”。ちなみに?シン・ゴジはゴジラ科カマタクン(笑)米国に来たヤツは・・・、んーなんだろ?(笑)

その“ヤマトゴジラ”にも種族があって、ゆえに作品ごとにゴジラの造形が違うと。

恒例の?長い前振り。

初代と呼ばれるゴジラが襲来した(公開された)のは'54年。太平洋戦争が終結して復興途上の日本。

今回は時系列的にはそれより前、戦争末期。大戸島飛行場に一機の戦闘機が着陸する場面からはじまる。大戸島は機体の整備をするだけの飛行場。

特攻隊員の敷島浩一(神木隆之介)は機体の欠陥を理由に任務の途中に大戸島飛行場に着陸。しかし、整備士が機体を調べるも欠陥は見当たらない。

敷島は任務を放棄して逃げたのだった。

夜になってサイレンが鳴る。はじめ
米軍が攻めて来たのか?と整備士たちはいうが、そこに現れたのは恐竜のような未知の巨大生物。島の人々にそれはゴジラと伝承されている。

整備士の橘から戦闘機の機銃でゴジラを撃ってくれと頼まれる敷島だが、迫り来る恐怖からまたしても逃げ出す。島は壊滅する。

PTSDを抱えたまま敷島は復員し、焼け野原となった東京で大石典子(浜辺美波)と出逢い、ひょんなことから一緒に暮らしはじめる。

暮らしを再建してゆく敷島の前にある日、またゴジラが現れる。

戦争が終わって復興が進む中迫る絶対的な脅威。有効な武器もない。どうやって対峙すればいいのか。


と、まあ。ネタバレはここまでにして。


これはもう、言い切ってもいいと思う。ゴジラ映画であってゴジラ映画ではない。なぜなら、主役はゴジラではないからだ。詳しくは触れないが、実際に自分で観てそこは確認してほしい。

なにいってんの?ゴジラが主役だよって思うなら、それはそれで間違いじゃない。だが、今回のゴジラはあくまであることのメタファーでしかない。

いや、ちょっと、あることってなによ?それは自分で確かめることなんで。

巷でいわれてるササクラ(佐々木蔵之介)さんがうるさい問題(笑)。ササクラさんの演技プランなのか監督の演出なのか。とはいえ、ああいうタイプの人は実際居るし、第一あの人の芸風と思えば問題ないんじゃない?
(それ、そのいい方、炎上案件ですよ?)


なにより神木くんがよかった。確かに主役だし、でも僕はそれほど期待してなかった。のに、神木くんがよかった。

澄子さん(安藤さくら)は安定の、やね。

そして、神木くんを凌ぐのがべーやん(浜辺)。

海神(わだつみ)作戦は成功したとはいえないが、とりあえずはゴジラは倒された。とりあえずは、だ。

今回ゴジラが銀座で熱線を吐いた時、直接受けたわけではなくとも、その場に浩一と典子はいた。ゴジラの熱線には放射能が含まれている。現実的考えれば2人とも、少なくとも爆風に吹き飛ばされた典子は被爆しているわけで。


確かに浩さん(敷島)の戦争は終わったかもしれない。

ラストの海中シーンをどうみるか?続編への含みを持たせているとするのは安直。それもないとは言い切れないが。

今作をハッピーエンドと取るかバッドエンドと取るか。


そして、あの時代の東京、日本じゃなくてもゴジラはまた現れる。必ず。



※カヴァー画像、シネマトゥデイより

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