見出し画像

三日坊主日記 vol.65 『ついこないだ、ほんの千年前の話し』

冷泉家第25代為人夫人、貴実子さんのお話をたっぷり一時間半拝聴する機会に恵まれた。

「和歌(うた)が伝える日本の美のかたち」と題して語られたお話。日本古来の時の移ろい、風習、暮らし、美意識などなどを、ユーモアと豊富な知識(教養か)でとても分かり易く、魅力的にお話しくださった。

例えが良くないかも知れないが、下手な落語よりもずっと面白いし、その辺の教養番組よりもずっと為になる。一時間半があっという間。話に引き込まれてずっと集中しているし、終わりが近づくと終わらないで欲しいと思ってしまった。

冷泉家というと小倉百人一首の撰者で知られる藤原定家を祖先とする“和歌の家”。いわゆる元公家で華族。やんごとないお家柄である。明治維新の際、東京遷都に伴って平安時代から続く多くの公家が天皇を追って東京に引っ越すなか、京都に残り有形無形の文化財を守り抜いているお家だ。

品のない話しだけど、文化財を守るのはとても大変なことらしい。自分の財産であっても勝手なことはできないし、かと言って国から保護されているわけでもない。補修ひとつとっても大変な費用がかかる。まして相続でもしたら相続税で家が潰れるほどの負担を伴うそうだ。

名家に生まれた宿命というか、重みというか。やはり我々庶民とは何から何まで違っているのである。この貴実子さんも、千年の昔をついこの間のように話すのが如何にも京都の人らしかった。というか元祖京都人か。

それにしても、どの話しも非常に興味深く、また、いにしえの話しではなく現代にも十分通じる示唆に富んだ話しだった。

その中で、特に僕が注目した話しを二つを簡単に書き留めておく。

まず、和歌には男性が女性の気持ちを詠んだ歌が多くある。つまり、男性が男性を想って詠んでいるのだ。その他にも、能や歌舞伎などなど男性が女性を演じる芸能も多いのが我が国の特徴。男女が入れ替わるなんて平気だったのだ。これは西洋にはあまりない現象らしい。すなわち、日本は平安時代からジェンダーフリーの国であったということ。

もうひとつ、日本は開国と共に西洋の「芸術」という概念も受け入れた。芸術というのは自我を表現すること。あなたはあなた、わたしはわたし。人の真似をぜず、人と違うことをよしとする考え方。しかし、本来の日本の美は型ありき。型の文化であった。和歌も昔は型ありき。見たものを表現するのではなく、型に則って詠むものだった。日本人は人と同じが好きな民族である。

どちらも非常に納得した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?