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月と陽のあいだに 224

落葉の章

ハクシン(5)

 「違う」と叫び続けるアンジュを制して、皇帝はハクシンに目を移した。

「ハクシンよ。そなたが幼い頃からネイサンを慕っていたことは、余も知っていた。だがそれは、筝の師に対する、あるいは身近な年長者に対する淡い憧れであり、成長すれば己の立場を弁えるものと見守ってきたのだ」
 ハクシンは大きな目を見開いて、じっと皇帝を見つめている。
「そなたの容姿の美しさは、『月蛾の至宝』と呼ばれるほどだ。美しいものをこよなく愛したネイサンが、皆を魅了するそなたより、白玲を選んだことが許せなかったか?
 そして白玲を排除するためにアンジュを籠絡し、オラフを利用したのではないか?」

 広間に再び沈黙が降りた。人々の重い心とは裏腹に、窓から差し込む淡い光の中を、小さな埃の粒がきらきらと揺らめきながら流れた。

 皇帝の視線の先で、ハクシンの目にみるみる涙が盛り上がった。
 淡い鳶色の瞳から、涙の粒がポロリポロリとこぼれると、居並ぶ人々のうちの何人かは、居心地悪そうに身じろぎをした。
「白玲殿下は、私のお友達です。月神殿の図書館でよくご一緒しては、本のお話をいたしました。その殿下を憎むなんて、そんなことは致しません」
 ハクシンは口元を覆って、涙をこぼし続けた。

 泣いていては話もできませぬ、と長老が声をかけたが、ハクシンの涙は止まらない。
 しかし、皇帝は一向に構わず続けた。
「サージとオラフに与えた資金が、ハクシンの化粧料から横流しされたことも、裏が取れている。この一連の惨劇を起こしたのは、ハクシン、そなたであろう」

「お待ちください、陛下」
 ハラハラと涙をこぼし続けるハクシンに駆け寄ったのは、父である皇太子だった。皇太子はハクシンを庇うように抱きしめて、皇帝に相対した。
「ハクシンは幼い頃から体が弱く、そのような大それたことができる娘ではありません。お調べになったことは、何かの間違いではございませんか。もしくは、アンジュが申し立てたように、アンジュ一人の思案によるものに違いありません」
 ハクシンの背を撫でながら、皇太子は問いかけた。
「そなたは何も知らないのであろう。そなたは、人を傷つけるようなことができる娘ではない。清純なそなたが、妻子ある男を誘惑するはずもない。アンジュのことも、無理強いされたのであろう。
 陛下には疑われ、アンジュには傷つけられ、一番の被害者はそなたではないか」
 皇太子はアンジュを睨みつけたが、アンジュは衛士に押さえられたまま、一言も発しなかった。

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