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【お知らせ】母倒れる!からの心境変化とnoteとの向き合い方

まだおです。数多くある記事の中から私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。

noteを書き始めて毎週末書くことが習慣になりつつあったのですが、8月7日に書いて以来ストップしていました。

母倒れる!

実は8月7日の午後に、私のnoteでもたびたび登場する母が脳梗塞で倒れて救急搬送されました。

幸い軽かったのと詰まった個所が小脳ということで後遺症はほとんど残っておらず、自宅で家事をすることでのリハビリで復活しつつあるという状態です。

今回の件で、いろいろと考えさせられることが多く、時間はそこまで拘束されていたわけではないのですが、noteを書く気にはなれなかったです。

というのもこのnoteは、私の波瀾万丈な人生を語りながら、でも同じような経験をされている方に社会福祉士として、また、精神疾患になってしまった方の社会復帰を支援している身として、一助となることが書ければという思いで始めたのですが、私の人生では、どうしても母の影響なしでは語れないのです。

そんな時に、よく「毒親」「毒母」という表現を使うのですが、今回の母を見て、過去を清算し、「毒」という表現はやめようと思った時、このnoteに綴ること自体もなんだか複雑な心境になったのです。

許すということ

親や配偶者との関係がこじれてしまった時、よく「許す」という表現が使われます。私は離婚もしていて、その原因の大半は嫁姑小姑問題。元妻とは離婚後数年は毎年会って、親子旅行をしていまいたからめちゃくちゃ仲悪くなって別れたというわけではありませんでした。
しかし、許せなかったことがいくつかあります。それは子どもの気持ちを考えずに「連れ去り」したこと。そして、親権が私になったときの理由が「自分では相手にできないしお金も稼ぎながらとか育てきれない」と言ったこと。それなのにたまに酔っぱらっては電話してきて私には文句を言い、息子にはあれしなさいこれしなさいと命令口調になったこと。

今は一切連絡をとってないのですが(息子はスマホを持たせたタイミングで元妻に番号教えたので、たまに連絡しているようですが私はノータッチ)、最後の方は電話のたびに少しけんかになり、本当に最後の時は、息子にあれこれ言うことに対して「この数年間、俺たちがどれだけ頑張ってきたかも知らないで遠いところから酔っぱらってたまに電話かけてくるのはもうやめて」と言って最後にしてもらいました。

このあと、いろいろ考えて「清算」という気持ちになり、初めて「許す」という言葉がすっと入ってきたのですが、今回、母親に対しての気持ちがまさにその時と同じ感覚なのです。

結局今の自分があるのは、母親のおかげでもあるし、元妻のおかげでもある。であれば元妻に申し訳ない気持ちがありつつ許したのと同様、母親にも今回倒れるまでになったことに対して申し訳ない気持ちと同時に許すことで何かが開けていくのではないかと思ったのです。

そう思ったことで関係性は少しずつ変わってきている気がします。しかし心の奥底ではまだきっと整理できていないんでしょうね。あとは父親に対しては変わらずどころか別の気持ちがでてきていたりと本当に複雑です。

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これから

今回のことがあって、noteの方向性は少し考えているところです。
ただ、やりたいこと、向かっていく方向は定まっているので、来週には復帰する予定です。
週末にワクチン接種2回目が控えているので副反応がなかったらですが(苦笑)

ただ、私はやっぱり誰かのために役に立ちたいという気持ちがたくさんあるので、自分の経験を踏まえての専門的なところにつなげての発信にはなるかなと考えているところです。

それ以外にも新たに発信したいことがあるのでそれとどう絡めるかとかいろいろ楽しんで考えています。
ということで復活の日まで楽しみにしていてくださーい(笑)

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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