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存在について(一如の雫)

  子供時代の私は、ずっと窓の外を眺めていた。
  特に好きだったのは土砂降りだ。地面を打つ雨のひと粒ひと粒にじっと目を凝らし、その水滴の瞬くような一生について、ひねもす想いを馳せていた。

  空いちめんに鳴り響く『ザーザー』から、無数の『ぽた、』を聞き拾う。
  (今思えば、紛うことなき愛の作業だ。)

  名付けられることも個として認識されることもなく、一瞬で大地に融けていく雨。そのひと粒ひと粒はまさしく"それぞれ"であり、その一雫は後にも先にも"これきり"なのだ。
  そんなことを考えながら、私は無数の雨を見届けていた。ほらまた、あっちにもまた。けれどもこれではあまりにはやい。次から次へ、雨から雨へ、瞬くあいだに次の命が降って来る・・・。

  生と死をひたすら儚んでいた、かつての私。
  今はもう、小手先の理屈ばかりが巧くなって、あの頃の純粋さには敵わないと諦めていた、けれど。



  昨晩。アパートの蛍光灯の下、弱りきった蝉が火花のような羽音を立てながらフラフラと飛んでいた。

  (・・ここまでして、一体何の為に飛ぶのだろう?)
  樹木を終の住まいとし、日がな一日、鳴き続ける。それが為に生きんとするこの情熱は、一体何処から来るのだろう?
  ゼンマイ仕掛けのラジコンさながら、瀕死の蝉をなお突き動かすこの情動、(のような何か)。
  その命の内奥には、何が潜んでいるのだろう?

  甦る少女時代の雨の追憶。開く扉、


  「渇愛(かつあい)」ということばを識った。
  蝉は鳴くことを欲し、風は吹くことを欲し、花は咲くことを欲する。この"欲する"というはたらき"そのもの"を「渇愛」という。
  渇愛ゆえに蝉は鳴き、風は吹き、芽は吹き、花は咲くのだ。
  そしてこれこそが世界が創造されていくエネルギーである、と。
 
  加えて私は思う。その渇愛の根源にあるのは「孤独」なのではないか。

  ビッグバンはまさに孤独の咆哮だった。何故なら、宇宙は暗く冷たく寂しかったから。自己を映す鏡を持たず、おのが響きを聞き取る存在もなく、独りきり。その孤独はやがて渇愛を生み出し、それは無辺大まで爆発することを"欲した"。そして飛び散った渇愛は宇宙のガスとなり、生物の素となり、そして今なお、種の繁栄や自己保存本能として機能している。まさに輪廻。
  138億年前の宇宙の大渇愛を祖先に持つ私も同じく、依然として孤独であり、ひどく欲望している命のひとつだ。
  (だから渇愛とは、本質や魂のようなものだと思う。)

 

  「蝉は鳴くことを欲し、風は吹くことを欲し、花は咲くことを欲する。」
  あらゆる生物が等しく所有している"欲する"という情動、渇愛。 そしてそれを引き起こす根源的動機はおそらく、孤独。

  ならば、たとい言葉や気持ちが通じなくとも、あらゆる命は「孤独」を分かち合えるはず。
  
  だとしたら私の命の意味とは、その寂しさを少しでも癒すことではないか。

  「私」を定義するもの。それは個性ではない。性格ではない。ましてや容姿ではない。私の唯一無二性は、この「立ち位置」にこそある。
  「私の代わりなど幾らでもいる」という誤解は、自らを個性や能力で測るという大いなる過ちによるもの。そもそも私の価値は「個」ではない。この私にしか見えない景色、社会、人間関係、苦しみ、悲しみ…その唯一無二の相関図に置かれていることそれ自体なのだ。そしてそれが"同時に"、命のかけがえのなさなのだ。

  かけがえのない存在が、関係性において見つけられ、尊ばれるということ

  ひいては、

  愛とは、没認識的に、相手のかけがえのなさを精一杯に歓び祝福すること

 『ザーザー』、
        『ザーザー』、

  関東は今日も雨。 


  私は、宇宙の孤独を引き継ぐ者の一人だ。
  私の渇愛が、他者と交流を持ったり文章を綴ることへの欲動となり、そして実際に物を書き、色んな人と知り合い、言葉を交わすという現在の愛すべき日々へと繋がっている。この交流のさなか、相手の立ち位置と私のそれが微妙に交差し、混じり合い、私という綾が織りなされていく手ごたえを感じる。けれどそこに私は居らず、在るのはそれぞれの命の俤(おもかげ)。

  天寿を全うした私の渇愛は何処へ還るのだろう。
勿論、世界を一如(ひとまとまり)と捉えるならば、この渇愛は根源たる宇宙へと返納されるだろう。そしてこの渇愛が雲を生み雨を降らし大地を耕し、巡り巡って新しい命を生み出すのだ。

  だからいつか私も、巡り巡って、降りしきる雨のひと粒に生まれ変わって、呆気なく消えていこう。
  降りたいから降る、という雨の渇愛に従い。

  輪廻は、ある。

  『ザーザー』、        
          『ぽた、』

  命は水のごとく。

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