アサギマダラ

よろしくお願いします。

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マガジン

  • 比喩の輪廻

    宗教、神話、歴史において繰り広げられた比喩は、現代に生きる私たちによって万遍も繰り返されていきます。此処は、その断片を拾い上げる試みの場所。

  • 仏教哲学まとめ

    仏教哲学を学んでいくにあたり感じたことや気付いたことを、その時々のキー概念を基に書き留めています。

  • 返納

    空気、光、水、食物、誰かの何気ない言葉や行動、優しさ。わたしを恵(めぐ)み、象ってくれた全ての"あなた"たちへ捧げます。

最近の記事

またね、の法則

観覧車は愛と思惟とを乗せて延々と廻り続ける。 「愛してる」 「綺麗な景色だね」 「今日はありがとう」 吐息は巡り、睦言は絶えることなく谺(こだま)する。 午後5時30分、広くくり抜かれた窓へ射し込む飴色のひかり。 雲は風の行方を追うように空を去りゆき、太陽はその円かさを一片も損ねることなく輝いている。 身の竦むような高さ、近くで軋むボルトの音、風に揺れる機体。 にも関わらず美しい。 にも関わらず美しい。 生きる歓び

    • 花を染める、あなたを彩る

      4月の晴天好日。突如春めいた空の下を歩きたくなって、私と友人は花見へ出かけた。真っ直ぐに伸びる目黒川のそばでは「あぁ性急な春」とでも云わんばかりに、染井吉野がその花を眠たそうに開いている。 (無理もない。つい先日まであの寒さだったのだ。) 満開の桜の枝と、蕾のままの枝と。 同じ桜の木でも咲き具合はばらばらだ。 近くのベンチに腰掛けた私と彼女は、川の流れをぼんやりと眺めつつ、互いの近況や最近読んだ本の感想なんかを語り合っていた。 少し風の強い日だった

      • 空暗く、誓い立つ。

        これはとある絵画展に足を運んだ、とある日の心象記録。 よく晴れた正午、地方都市の片隅に佇むギャラリー。 会場が開くや否や、私はチケットを受け取り漆黒の回廊へ歩みを進めた。 眼前に並ぶは、様々な画家が様々なタッチで描いためくるめく風景画たち。 それぞれの土地の匂いや湿度、気候、生い茂る草々。その何もかもが未知であるにも関わらず、どの景色もどの景色も懐かしさの琴線へ触れてくる。 そういうわけで、私は額縁に収められたイギリスの田舎町を私の鄙びた故郷を想い

        • 空葬

          学びとは、蒙昧と怒りを手放すいとなみ。 まっさらな眼で物事と向きあう為のこころみ。 しかし私の学びは私の生では完結しない。 無知が不安を呼び、不安が脅威を招き、脅威が怒りへ駆り立てる。 たとえば、眼の前に「汚な」くて「気持ち悪い」ものが落ちているとき。 手も触れず直ぐにでも排除したいと思う。許せないと思う。 けれどもそれが黴であれ糞尿であれ、生成の過程や材料を知ってしまえば、それはただ「そういう」物質に過ぎないのだと識る。 「汚い」という

        またね、の法則

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        • 比喩の輪廻
          4本
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        記事

          崩れるワルツ

          三角形は、外部の力の影響を受けづらい頑丈な図形であるという。 東京タワー、鉄橋、水分子構造、三位一体。世界のあちこちが三角形で溢れている。 ところで、命は「調べ」だという。畢竟ひとつのメロディーであるという。 ならば、かつての私の生はワルツであった。 簡潔で無駄のない、気高き3拍子。 そんなワルツの中に閉じ込められて、私は私のダンスフロアを独りきりでグルグルと廻り巡っていた。 床には決して陽の射すことがなく、リズムを刻めば刻むほど、孤独と厭世ばか

          崩れるワルツ

          融ける蛹

          『愛してます』 深夜2時の長電話。 友達だったはずの貴方の言葉が、私の世界を静かに照らした。 そして一瞬の戸惑い。 「愛」とはかくも気まぐれに、自力の及び難きところから、不意を突いて浴びせらる恣意の光であろうとは。 愛、それは原点回帰。 迷子の私の手を引いて、私自身へと立ち還らせる。 愛、それは彷徨える気持ちごと抱擁。 私という「み」を照らす暖かな陽の光。 み、身、実、ミ、命。 私の行為ではなく私という"場所"を愛していると。

          常世のヒビキ

          noteを読んで下さった方から素敵な海の写真を頂いた。 やさしく吹いているのだろう風が海面を撫で、幾つもの波を型取っている。波打ち際に揺蕩う泡のひと粒ひと粒からは、ぱちぱちと音が聴こえてきそうだ。 母なる海が吐き出す、生命の果実。 死とはつねに不死から生まれる。 さらあば常世の国よ、何処に。 あらゆる波紋のはじまるところ、 それはさいしょの風吹くところ。 そこは粒子のしたたるところ、 ゆめとうつつの合わさるところ。 そこがたぶ

          常世のヒビキ

          紅の花びら

          時はいにしえ、神と人とが交じり合う。 東征の折、ヤマトタケルとその婚約者ミヤズヒメは とある屋敷で再会を果します。 ふと見遣ると、ヒメの着物の裾には月経の血がついていました。 タケルはヒメへ歌を詠います。 真紅の花びら、はらり。 ミヤズヒメの着物の裾に、目にも鮮やかな春が来た。 日本海はいつも曇りがちで、湿気がちで、日当たりが悪い。 そう、ここが私の故郷。 中学に入学して間もない頃、私は制服のスカートを汚した。 灰色の生地の襞と襞のあい

          癒しの道

          私は今、泥濘を生きている。 後ろめたい人間関係の真っ只中で生きている。 私はずっと、癒やしの道に入れない。 家族。 それは現在進行形で私を捕え、呪縛し、私を責め立てるもの。 父から逃げ、弟妹は逃げ、終には私と母だけが残った。 そして安寧が訪れるや否や、これまでの結婚生活で受けた母の傷つきが、私を介して時々溢れだした。 『子供も産まずに好き勝手に生きてる弟も妹もあんたも苦労知らずだ。親から貰った恩を自分の子供に注ぐのが正しい人間の姿なのに

          "あなた"の深みへ

          私たちは皆、かけがえのない存在だ。 いかなる詭弁を弄されたとしても、それは覆されてはならない。 私は、正にそのために文章を書き続けている。 だから私たちは、互いを限りなく尊重しようとして、親から与えられた名前で積極的に呼び合い、時には囁き合う。 けれども私は思うのだ。いかなる呼び名で呼ばれようとも、私の最内奥に潜む魂には決して触れ得ない。わたしの名前を呼ぶ声、しょせんそれは海底から眺める遠い光のようなもの。 「名」は真に"わたし"ではない。寧ろ

          "あなた"の深みへ

          存在について(一如の雫)

          子供時代の私は、ずっと窓の外を眺めていた。 特に好きだったのは土砂降りだ。地面を打つ雨のひと粒ひと粒にじっと目を凝らし、その水滴の瞬くような一生について、ひねもす想いを馳せていた。 空いちめんに鳴り響く『ザーザー』から、無数の『ぽた、』を聞き拾う。 (今思えば、紛うことなき愛の作業だ。) 名付けられることも個として認識されることもなく、一瞬で大地に融けていく雨。そのひと粒ひと粒はまさしく"それぞれ"であり、その一雫は後にも先にも"これきり"なのだ。

          存在について(一如の雫)

          存在について(2.思いやりと死)

          『私、物件決めてきたから。』 突然、妹はそう言い放った。 母と妹と、私。旧びた賃貸アパートで3人暮らし。 青天の霹靂。 妹は続ける。 『お母さんに干渉されるの、いい加減鬱陶しいんだよね…。』 家族の反対を押し切り、1人で生活する。それは私が何年も燻ぶらせた挙句、やはり不可能だと判断し諦めたかつての願望だった。それを妹はいとも躊躇なく実現させたのだ。 『2人はもっと家賃の安い家でも探してそこに住んで。じゃあね。』 軽快なドアの音が、すっかり

          存在について(2.思いやりと死)

          存在について(1.生者の努め)

          存在とはどのようにして存在しうるのだろう。 お気に入りの音楽を聴いているとき、私は最早そこにいない。 "それ"について考える時、"そこ"に私はいる。 (そこ以外にはどこにもいない。) "それ"に依って考えられるとき、"そこ"に私はいられる。 (それに依ってしか、私はいられない。) 互いを映し合い、互いを想い合う。このことによってしか存在は存在出来ない。誰一人聞く者のいないメロディがメロディとして成立しえないように、私たちは誰かに再生されるのを待ち続ける

          存在について(1.生者の努め)

          過ぎし日が放射線状に我を結う。

          近頃、「時間」というものについて思いを馳せている。 というより、時間の「過ぎなさ」について考えると、胸が締め付けられるのだ。 いまの私は、人生を懸命に歩んでいる方だと思う。自分の努力をひけらかすのはみっともないが、何せかなり頑張っているので、与えられた素質以上の成果は得られているんじゃなかろうか。 ――そんな私の脳裏を時々掠める、時間の「過ぎてくれなさ」というやつ。これが私の憂鬱である。 中高生時代。当時の私はすべてにおいてやる気を失くして

          過ぎし日が放射線状に我を結う。

          天国の食堂

          2023年5月26日。 我が家のペット、りんちゃん(ミニチュアダックス)が18歳で旅立った。 良く晴れた暖かな正午。白のレースカーテンを風が優しく膨らませている。死の当日も、りんちゃんは銀色の毛をきらきら煌めかせ、いつも通り部屋を歩き回っていた。 ところが突然重い"てんかん"を起こし、バタバタと苦しそうにもがき出したのだ。震える脚が、幾度も幾度も宙を掻く。これまでも度々てんかんを起こすことはあったけど、今回は様子が違う。私は床に散らばった糞尿を片付けながら発作

          漏れ出づる意識

          他者は無意識の裡に互いを感染し合う。 そう、生きる為に。 常識、ネット書き込み、臓器移植、AIへのゴースト(魂)ダビング。 文明が行き着く先。思うにそれは、 "個"の喪失と引き換えの"死"からの緩慢な逃避、ではなかろうか。 ■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■   街へ繰り出すと、乱立する看板のなかから、今の私にとって重要な文字ばかりが都合よく目に入る。「フジ薬局」「三井住友銀行」「CA

          漏れ出づる意識