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人間関係について

 高校生の頃、友達はtwitterではたくさんの人からフォローされていて、実際いつもクラスの中ではリーダー的存在(これは小学校の頃から顕著だった)で人望があるというか目立つ存在だった。高校初期からある時まで、そんな彼が羨ましく思っていた。けど、その当時、彼が"つながっている"、私自身あまり交流がなかった人達と仲良くなりたい、友達になりたいかというとどうだったのだろうか。
 身の回りの誰かが自分よりも多くの人とオンラインだけでなく現実面でもつながっていているのは今となっては羨ましいと思わないと言えば、それは嘘になる。

 高校時代、フォロワーの数≒友達・知り合いの数とみる見方が自分の中に少なからずあった。その見方を基に、SNSというのがそれぞれの人がどのくらいの知り合いや友達がいるのかというのを可視化しているものだと思えた。この考えはまだ、自分の中に残っている。特にInstagramに関してはこういう見方が依然と強い。

 今は昔のように人が地元で働いたり、残り続ける人よりも都会またはその他の地方で働いたりする人が多いと個人的には思っている。また、転機が訪れたり、単身赴任によって、一時期または残りの一生を海外で過ごす人も昔(ここでいう昔とは戦後以降のこと)よりも増えているのではないだろうか。

  今・これからの世の中で社会人になり、生きていく中であなたが定期的に"現実で"交流し合う人は現時点のSNSのフォロワーの中でどのくらいいるのだろうか?。また、本当に大切な人はどのくらいいるのだろうか?。あなたが結婚したとして、その式に呼べる人はSNSでつながっている人の中にどれくらいいるのだろうか?。

  こういうのを考えると、「友達」ってなんだろう。どこから友達であるのだろう。色々考えてしまい基準がよくわからなくなってしまう。SNSがなかった昔はそういうのを考える必要なんて今よりもなかっただろう。今では「友達とは?」と問うような本もたくさんある。

 高校時代、フォロワー数という数字に踊らされていて、何かを見失っていたもしくは気づいていない自分がいた。今の私がそんな状況下にいる"彼"にアドバイスをしたとしても、"彼"は状況から脱却できたとは思えないだろう。多感な時期であるし、何かに憧れや羨望を強く抱いていた当時の自分を悟らせるのは難しいと思う。

 友達が多いに越したことはないかどうかはわからないが、ある程度の数の親友がいるからこそ、一人の時間が少なくなるというのはある。一人でいることが良いか悪いかは人それぞれだが、私は時として少なからず寂しい気分になる。SNSで人とつながっていても。


 


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