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“16歳の自分”を思い出し、娘と向き合うメルボルンの暮らし

メルボルンに移住して6ヶ月と4週が過ぎました。もうすぐハロウィンということで、デコレーションをしている家もちらほらあり、ウォーキングがてらチラ見しています。


自分にもあった16歳。どんな気持ちで過ごしてた?

最近、思うことがあります。それは、“娘との距離感”がいい方向に変化していること。気づけばもう16歳、こちらでは10年生、日本でいうところの高校1年生です。
このnoteで月曜日に更新しているセルフインタビューで、娘の高校生活について投稿しました。その記事では、娘に対して厳しい言葉が書かれていました。投稿後に寄せられたコメントに、“いろいろ経験しているだけで素晴らしい。今は見守ってあげるだけで大丈夫”、“人生ムダのことはない、多少は遊ばせてー“、厳しさの中にも愛がある”など温かいメッセージをいただき、私はよくよく考えました。そして、高校時代の友人からもらったコメントに、さらにうなづいたのです。
“自分の高校時代を思い出しなよー、いつも遊んで笑い転げたでしょ。それ、ムダであってムダじゃない。いまだに思い出す楽しい時間じゃん”。
友人からのメッセージを読んだ瞬間、私の高校時代がフラッシュバックしました。授業をサボって遊んだこともありました、ちょっとだけ休学になってしまったこともありました……。そうです、私は毎日笑い転げていました。友人の言う通り、それはまったくムダではなく、振り返ればいい思い出です。

親というフィルターを通さないでいいときもある

以来、私は娘からの相談ごと、ちょっとやっかいなリクエストにも“私が16歳だったら、どうしたい?“と考えるようになりました。そうしたら、そのほとんどが大したことではないのです。
例えば、黒髪からまたカラーリングをしたいとか、今週末、友だちの誕生日パーティで夜が遅くなるとか……。どちらの案件ももちろんオッケー、16歳の私だったらやりたいことですから。

女ふたり暮らしですが、娘との関係は良好です。何だかんだ言っても娘は私に相談してくれるし、頼ってくれます。親として正しいジャッジをしたいのでよくよく考えるあまり、厳しいこと、余計なことをつい言ってしまいそうになる……。ここがホントにもどかしいところです。そんな時に、16歳の自分を思い出すのです。“こんなこと言われたらツラいよな”、“それは言い過ぎでしょ”、もう余計なことは言いません。

近所のスーパーでの帰り道。車がないので重い荷物がある日はカートを使います。

SNS映えなんてしなくていい。スーパーに一緒に行く時間が愛おしい

以前の記事にも書きましたが、私はこのメルボルンでの3年間の暮らしは“子育ての最終章”としています。いつか振り返ったときに“楽しかったな”って思えるように、娘とのふたり暮らしを1日1日大切にしていきたいのです。

日本では旅をしたりショッピングを楽しんでいましたが、物価の高いメルボルンでは以前のようなことは到底できません。近所のスーパーに買い物に行ったり、カフェでお茶をしたり、夕食の時に一緒にYouTubeみて笑ったり、そんな何気ない日常がかけがえのない時間。SNS映えはしませんが、それでいいんです。

こんどの日曜日、娘と少し遠くの場所に行ってきます。また、ひとつ楽しい思い出が増えます。

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