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長生きすることの良さは何?

何かの折に浮かんでは、またすぐに消えていく、もはや定番となっている疑問「長生きは何がいいのか?」。
断っておくが、自殺願望や希死念慮の類ではない。純粋に知りたいだけだ。ずっと一本道を歩きながら「あの山を越えたら何がありますか?」と誰かに教えてもらいたくなる気持ちに似ている。
長生きの何が良いのか知らずとも人は生きられるようだ。生きることに答えは必要ないのかもしれない。むしろ、答えよりも疑問ばかりの大海を生きているようでもある。

長生きは何がいいの? そう、ずっと心に抱きながら誰にも質問したことはないし、誰に尋ねるのが適切なのかも分からない。
普通に考えれば、長生きした人に尋ねるべきことなのだろう。
しかし、躊躇してしまう。
答えの内容を恐れているのではなく、その人が自分の目の前で「うーん」と考え込んでしまった後に、余計なものを導き出してしまうかもしれないことへの不安がある。
だから、結局、自分に質問するだけになってしまう。
自問自答とは、単に問いかける相手が見つからないだけなのかもしれない。
 
「長く生きてると何がいいのだろう?」
そう考え続けてきて、近頃思い始めているのは、そういう疑問を持っていたことによって初めて気がついていくことがたくさんあったな、ということ。容易には解き明かせない疑問に引っ張られて、さまざまなことに目を向けることができたような気がする。カメラを持って歩いたから道端の草花にも関心を持つようになった経験と似ているかもしれない。
「命って何?」「医療って何?」「短命は敗北か?」「幸福って?」……同じように応えの出ない疑問も次々に沸き起こって、その度に行きつ戻りつしながら、知らなかったことにぶつかっては自分に問い戻されてきた。
疑問に対する答えそのものは分からなくても、その周辺のことが立体的に、関連付けられていろいろ見えてくる。ルービックキューブの完成へのプロセスのように。

などと充足感に浸りながら、もしかしたらこれが長生きすることの良さなのか? と思えてきた。
もちろん、勝手に考えただけで、答えなど分からない。
ああ、でも、そもそも答えの分からない疑問だったのだな! そんなことが分かったりした。
長生きすることの良さは、いろんなことが分かってくることで、もちろん知らなければよかったと思うネガティブなことも含まれたりするけれど、それでもせっかく生きているのだから知らないよりは知るほうを選びたいと思える人にとっては長生きは面白いのだろう。
そして、そもそも答えの分からない問いなのだと分かっていても、これからも「長生きすることの良さは何?」と考え続けながら生きていくのだろう、私は。

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