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黒いミニバンが運んでいるもの

二月に父が亡くなり、葬儀の手続きや、人がひとり死んでしまうと生じるさまざまなことを体験している。

これまでにも、祖父や祖母が亡くなっていたけれど、一緒に住んでいなかったし、まだ子どもだったので、実際の手続きなんかには関わることがなかった。そのため、今回のことは、悲しみもあるけれど「そんなふうになってるのか」と、単純なおどろきもあった。

一番初めにおどろいたのは、病院から葬儀場へ、父のからだを運ぶときだった。

父の葬儀は、町中にある葬儀屋さんに家族葬をお願いした。父と母の親族と、父の親友といえる人、おふたりくらいしか参列者はいないし、こじんまりとした葬儀でよいという家族の判断だった。

父は病院で亡くなったので、葬儀場へ移動しなくちゃいけない。でも、自分で動いていけるわけじゃない。もう、自分で歩くことはできないので、寝そべったかたちのまま、キャスターのついたベッドで運ばれることになった。

葬儀屋さんは病院の裏口に、車を準備してくれていた。

それは、黒いミニバンだった。ただ、特別な車ではない。色は違えども、知人が乗っている車種と同じだった。

父の身体(いわゆる死体)を、ワンボックスカーにのせるときの注意点として「お手紙」を必ず持っておいてくださいと、看護師さんに言われていた。

「お手紙」とは、死亡診断書のことだった。病院によっても呼び方はちがっているかもしれない。ただ、「死亡診断書」という具体的な名称は、たったいま、死に直面したばかりで悲しんでいる家族にとっては受け入れられない場合もあるだろうから、そう呼ばれているのだろう。

もっとも、わたしたち家族は「ああ、死亡診断書ね」と、名称は名称である、という、わりと現実を受け入れるタイプなので、看護師さんが「お手紙」と言ってくれるたびに、「お手紙って何?」「死亡診断書のことやん」と、繰り返していた。

その「お手紙」が、父の身体を移動させるためには、最も重要なのである。というのも、父の身体は、いわゆる「死体」だ。なんでもなく、普通に走っているミニバンに、死体が乗せられているのだ。万が一、検問とか警察に事情を聴かれるようなことが起きた場合「この死体は、どこに運んでいるんですか?」と、あらぬ疑いをかけられる恐れがあるという。そのため、父の身体と同じ車に乗る家族は、かならず「お手紙」を持っておかなくっちゃいけない。

へぇ。そんなことになってるのか。たしかに、ミニバンが追突事故などに遭遇してしまった場合(絶対にないとは言えない)、「お手紙」を持っていなかったら、ちょっとした問題が起きそうだ。

もっとも、その「お手紙」は、まだ医師が記載した死亡診断書の部分だけで、市役所に届ける死亡届欄は空白だった。死亡届は、葬儀場についてから、自分たちで記入した。

「お手紙」を大事にカバンにいれて、わたしはミニバンの助手席に乗った。

運転してくださる、葬儀社の人に「この車は、普通の車種ですか? それとも特別仕様なんですか?」とたずねたら、「普通の車種ですよ。最新型です」とおっしゃられた。そのミニバンにはナビもついていたし、ほんとうに普通の乗用車だった。

外から見る限りでは、その車が運んでいるものは、まさか死体だなんて、誰にもわからないだろう。



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