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町の全部がお祭りに染まること

「海外の風習を取り込んで、大騒ぎしているけど。もっと日本の風習とかも大事にすればいいのにね」

夫がめずらしくニュースを見て、意見している。何かと思えば、週末に渋谷の街で起きた暴動ともよべそうなハロウィンの騒ぎについて。

「みんな、なにか発散したいんだよね」「都会は息がつまりやすいし、息をつめていないとって思ってるから、いざ騒ぐぞ! となると騒ぎ方がわからないんじゃない?」

ハロウィンで仮装して騒ぎたいと思ったことは一度もない。けれど、「なにか、思い切り発散したい」という気持ちは分からなくもない。たぶん、都会には誰もが参加できる「お祭り」が少ないんだろうなと、常々思っているからだ。都会、といっても東京や神奈川に限ったことだけれど。

東京にも、もちろん大きなお祭りがある。浅草の三社祭りは日本三大祭りのひとつだし、他にもそれぞれの地域や神社などに根ざしたお祭りがあるだろう。

けれど、それらのお祭りはもともと地元の人が参加しているお祭りで、地方から来た大学生や就職のために都内へやってきた人たちにとって、かんたんに参加できるものでもないだろう。地域の人たちは「参加者大歓迎!」といっているだろうけれど、なかなかそのコミュニティに足を踏み込むには勇気が必要だ。それこそ、結婚などしてその地域で暮らしていくということでもない限り「地元のお祭り」に参加するのは、すこし壁が高いような気もする。

夏祭りだったり、秋祭りだったり、お祭りはいろいろあるけれど、都心の人にとっては「遠くの出来事」だ。せいぜい、利用する駅前に出店がでていたからたこ焼きでも買おうか、といった程度かもしれない。私が住まう町内でも「夏祭り」は開催されている。けれど、参加者のほとんどは町内会を仕切っている人たちばかりで、子どもや若い人たちは、どこか遠巻きに見ている。

地域の特性などもあるだろうし、伝統を受け継ぐという意味が込められたお祭りもあるだろう。すごく魅力的で、理想的なお祭りの姿がひとつある。2013年NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」で、主人公のめ以子の夫、悠太郎が役所に勤めていたとき、突然「今週はお祭りや! 仕事なんかやってられへん!」と、堅物の上司が仕事をほっぽり出して天神祭りの準備にはげむという場面が描かれている。

私の父は大阪生まれで、まさに天神祭りを心の底から愛している人だ。私が幼い頃に他界したけれど父方の祖父母の家は大阪の天満宮からほど近い場所にあった。私も毎年天神祭りを楽しみにしていたし、町全体がお祭りの賑わいで活気づいていた。大阪天満宮の境内にはたくさんの屋台がひしめいていて、大川沿いでは船渡御といって船の上で能や神楽を奉納していたり。夜は奉納花火が打ち上げられます。大がかりなお祭りだからこそ、町全体が関わらないと成り立たない、というのもあるだろう。

京都もたくさんお祭りがあります。「祇園祭」は道路自体が通行止めになるため、その通り沿いにある会社は、ほとんど開店休業状態。(飲食店は忙しいですが)それでも、「今日は祇園祭やし、仕事してられへん」というのが実情で、むしろ、そのあたりにお店を構えている場合はお祭りに参加しないと怒られるのかもしれない。

町全体が「お祭りだー!!!」という騒ぎになるもの。各地でもたくさんあります。青森ならば、弘前ねぷた祭り・青森ねぶた祭。福岡では、博多どんたくや博多祇園山笠など。もちろん、各地域で賑わいをみせるお祭りは、ここに挙げたような大規模でなくてもたくさんあるに違いない。

しかし。こういったお祭りは「その地域に根ざした人たち」が中心となって開催される。おみこしを担ぐのも、だんじりを引っ張るのも地元の人たち。そう考えたときに、地方から出てきた若者たちは主催者として参加できる祭りが都心部にはない。騒ぎたい、楽しみたいという気持ちだけが積み重なって、ハロウィンでの大騒ぎにつながってしまうのだろう。

じゃあどうすればいいのか、という解決策はすぐには提示できないのだけれど。フェスはお祭りに似ているけれど、参加しないと始まらない。そうではなくて、そこに住んでいるだけで巻き込まれて、いつのまにか参加してた! くらいの密着感が大切な気がする。オリンピックは良さそうなのだけれど、政治がらみの嫌なところが出過ぎてしまったこともあるし、準備段階では楽しみにくい風潮もある。始まってしまえばたぶん盛り上がるのだろうけど。
みんなで騒いだり、お祭りの雰囲気が好きなのだから、町ぐるみ、会社ぐるみで発散できるようなイベントが必要なのだろう。





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