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あと何回?とは、考えたくないけれど。

両親と離れて暮らしていると、久しぶりに会ったときに「いつまで元気でいてほしい」と願わずにはいられない。けれど、同時に「あと何回、こうした時間が過ごせるだろうか?」と、考えてしまう。

昨夜から、実家に帰省している。お正月には帰れなかったので4ヶ月ぶりくらいだろうか。

たかだか4ヶ月くらいしか離れていなかったのに。両親はまた年老いたように見える。

暮らしぶりが変わったわけじゃない。血圧の薬を飲んでいたり、湿疹がポチポチでていてお風呂上がりにチェックしたり。

昨夜は平昌オリンピックの開会式が行われていたので、テレビ放送を横目で見ながら「氷点下やのに半ズボンやて! 見てるほうが寒いわ!」とか「トンガってどこやろか? スーパーで輸入のかぼちゃがトンガ産って表示されてるねん」などと笑いあっていた。

そのあたたかい雰囲気の中でも「お父さん、入れ歯にしはるから、歯医者さんに通ってはるねん。二月から」とか「お母さんの検診の日は晴れてるのに、お姉ちゃんの年一回の検診の日に台風直撃」などと、さらりと通院の話がでてきてどきりとする。

私自身、あちこち病院に通っているのだから、両親も、姉も通院していることは、取り立てておかしなことじゃない。
けれど、離れて暮らしていると、知らないうちに毎食後に飲む薬の量や種類が変わっていることには気がつかなくて、食後のタイミングでギョッとする。

お正月とお盆くらいしか帰省しない場合、一年のうち一週間くらいしか両親と暮らさない。そう考えていくと、あと何日、親と顔を合わせて、笑い合うことができるだろうか?

何年か前に、両親と会える時間を計算してみましょう、というような本が流行ったことがあった。それを見たときに「もう少し、時間を作って帰省しよう」と考えていた。考えては、いたのだ。

けれど、現実的に考えて、平日は毎日仕事があり、土日には病院やら自宅の管理などがある。
私には、私の生活があり、どうしてもそれを優先してしまう。

両親が通院していたり、老いによる身体の不調はあるけれど、有難いことに、付きっきりでいなければ、というわけでもない。
「あんたは、あんたの生活があるんやし。旦那さんもいてはるんやから。自分の暮らしをせなあかん」と、母にも言われたことがある。

母から言われた、その言葉に甘えているわけじゃないけれど、私には私の生活があり、生活の中で優先順位をつけながら暮らして行かなくちゃいけない。

けれど、こうして時間がとれて実家に戻ってくると、ふと心にこみ上げる思いがある。
「あと何回、こうして笑い合うことができるかな?」と。
冷酷なことかもしれないけれど、事実として、いつか両親は死んでしまう。あと何回、笑いながらくだらない話ができるだろうか?

考えても仕方がないことだとは思う。答えなんて、出ないのだから。けれど、その悩みは心の中にズッシリとした質量をもって、少しずつ増していくのだ。

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