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室長とよばれた4月のこと

「今から1ヶ月のあいだ、みなさんに社会人としてのマナーや、基礎的な職務について教えていきます」

平成16年4月1日。配属先の職場で挨拶を終えるとすぐに、私たち新入社員は研修所へ移動することになっていた。

大きなトランクを引きずりながら、東京の、その当時は聞いたこともない場所にある研修所へ私は同期入社の子達と一緒に向かった。

1ヶ月もの間、その研修所で宿泊研修を行ったのちに、またそれぞれの配属先へ戻り、実際に仕事をおこなうことになっていた。

私は朝から憂鬱で仕方なかった。

もともと、就職活動に失敗して、大学卒業後の1年は派遣社員として過ごしていた。けれど、だらだらと付き合っていた彼氏とも別れたかったし、何もかもが嫌だった。無理をして一人暮らしを続けていないで、実家に帰ろうと思っていた。両親も「戻ってきて、実家の近くの市役所の試験とか受けたらいいやん」と言ってくれていた。私自身もそうするつもりだった。

「公務員試験の模試みたいな感じで受けてみるわ」と、なんとなく受験した日本郵政公社の試験に、なぜか合格してしまって、実家に帰るどころか、4月からの仕事を自力で見つけてしまった。「辞退しようかな」と母に電話してみたけれど「とりあえず受かったんやから、働いてみたら?」と諭された。電話を切ったあとに、私は涙がこみ上げてきて、ひとしきり泣いた。実家に帰るきっかけを、また、失ってしまった。

1ヶ月もの宿泊研修なんて、一体なんの意味があるのだろう? 私は集団で生活をするのが苦手で仕方なかった。全く見ず知らずの人と、1ヶ月も一緒に過ごさなくっちゃいけないなんて。考えただけでも、うんざりした。

片道二時間近くかけて、その研修所に到着した。スーツケースを引きずっていた右腕が、すっかりくたびれていた。


到着したら、すでに部屋割りが決められていた。研修所にたどり着く二時間のあいだに、同じ課の同期、まいちゃんとは気が合いそうでホッとしていたけれど、まいちゃんとは別々の部屋に振り分けられていた。

ひと部屋に、4人。2段ベッドが2つ置かれ、小さな机が各人に割り当てられているだけの狭い部屋だった。見ず知らずの3人と、これからこのせまい部屋で寝泊まりするのかと思うと、胸がズシンと重苦しくなった。

それぞれの部屋の扉に、氏名が書かれた紙が貼られていて、私の名前の前には、無機質なマルがつけられていた。まいちゃんの部屋の扉にも、紙は貼られていたけれど、まいちゃんの名前の前にマルはなく、他の人にマルがついていた。何となく、嫌な予感がしたけれど、どうしようもなかった。

荷物をいったん部屋に置いたあと、入所式のようなものがあった。所長だか、誰だかの挨拶。その後、寮でのルールやら入浴時の注意事項、休日は自宅へ一時帰宅してもいいが、その際の申請手順などを順番に説明された。

「各自の部屋の前に、名前の書かれた紙が貼ってあります。その名前の前にマルがついている人は、その部屋の『室長』です。部屋ごとに日誌などがありますので、そういったものを取りまとめたり、部屋でのリーダーとして働いてください」

面倒そうなリーダーの役割をはじめから与えられているなんて……。嫌な予感は的中した。けれど、ここでもまた、抗議の声を上げられるわけでもない。入所式を終え、その日は研修はないので、部屋へ戻った。

部屋に戻ると、同じ部屋で過ごす他の3人の女の子たちの姿があった。みんな初対面だから、モジモジとしていた。

高校を卒業したばかりで、東北地方から神奈川へ就職にきていたアイちゃん。短大を卒業したばかりの、エリちゃんとなっちゃん。みんな私よりも年下で、あいちゃんに至っては18歳。私とは5歳も離れていた。あとになって分かったことだけど、室長はその部屋のなかで一番年上の人が選ばれていた。

アイちゃんは実家が農業をやっているけれど、お兄ちゃんが跡継ぎだから、私は都会で出稼ぎして、実家に仕送りするんですという、めちゃくちゃ健気な女の子だった。エリちゃんとなっちゃんも、ハキハキとはしているけれど意地悪な印象もなくて、私は心底ホッとした。

2段ベッドのどの位置で寝るかをみんなで決めた。そのベッドの小さなスペースだけが、これからの1ヶ月、自分ひとりになれる場所だった。

これからの1ヶ月、大勢の人がいて、同じ苗字の人もいるから、下の名前で呼び合ったほうがいいねと話し合っていた。けれど、私だけはやはり歳が離れているせいか、ちゃん付けでも呼びづらいし、かといってさん付けなのもよそよそしい。「室長」と呼ぶのが呼びやすいと言われてしまい、4月1日からの1ヶ月、同室の3人からは「室長」と呼ばれることになった。


研修生活は、思っていたよりも気楽だった。アイちゃんのような、高校卒業してすぐに就職する人にも向けた、社会人としてのルールだとか、外部講師を呼んで、元JALのキャビンアテンダントの人にお辞儀の仕方を教わったりした。集団生活は辛いのだけれど、研修時間が終わると、同じ課のまいちゃんと、人気の少ない裏庭のベンチなどに移動して、静かに過ごしていた。

他の部屋には、仲が悪く、ケンカをしてる部屋もあった。また、一緒に研修所にいる男の人を好きになったとか、恋愛模様もあって、もめてる人もいた。同じ部屋の3人も、初めの印象通り、みんな控え目で、それぞれ意地悪な子はいなかった。

けれど、みんなそれぞれ、悩みを抱えているようだった。彼氏とうまくいっていないだとか、遠距離恋愛中だとか、家族と反りが合わないなど。みんな、ベッドに入って、それぞれカーテンを引いているのだけれど、声を押し殺して泣いていたり、夜中に、「そんなこと言っても、無理だよ」と電話で喋りながら部屋を出て行く子もいた。

私も研修所に来る直前に、彼氏と別れていた。私から別れたいといったけれど、研修所での暮らしが始まったばかりで、なかなか馴染めないでいた時に、どうしても寂しくなって一度だけ電話してしまった。しかし、「何の用?」と冷たい声が耳に響いて、「ごめん」といってすぐに電話を切った。そうして電話を切ったあとに、枕に顔を押し付けて、泣いた。みんなに聞こえないように、静かに泣かなくちゃと思ったけれど、涙がどんどん溢れてきて、どうしても止まらなかった。

ひとりのベッドのスペースで、それぞれの夜を過ごしているけれど、みんな「昨日泣いていた?」とかは聞かないでいてくれた。「話を聞いてほしい」と言われたら、3人でちゃんと聞いて、ただうなずいたり、意見を言ったりした。

はじめに最悪を想像していたせいか、思ったよりもその研修所での1ヶ月は過ごしやすかった。はじめに割り当てられていた室長の仕事も、大して難しい問題ではなかった。

一緒に過ごしている人が、夜中にすすり泣いていても、気づかないふりをして、ただ黙って見守ることが優しさになるんだと分かったことだけが、有意義な研修だった。

一緒の部屋で過ごした3人とは、何年かに一度だけれど食事をすることもある。いまだに私は室長とよばれているけれど、それすらも少し、誇らしい。



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