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セーターを着たくって、冬のお出かけが待ちどおしい

そのセーターに袖を通すとき、いつだって身体だけじゃなく気持ちまで暖かくなる。

特別で、お気に入りのそのセーターを編んでくれた人は「よしこさん」。本当に偶然だけれど、わたしの母の名前もよしこという。セーターに腕を通すとき、いつだって二人のよしこさんに想いを馳せる。

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「気仙沼ニッティング」という編み物の会社について知ったのは、ほぼ日刊イトイ新聞の、ひとつのコンテンツでした。

「ほんとうにほしいと思う一流のセーター」、これをしっかりとつくりあげること!
つくる側も買う側も、両者がわくわくと心を躍らせる、
「うれしくてすてきなセーター」が真ん中になければ、
プロジェクトはきっと前に進みません。(ほぼ日刊イトイ新聞より一部抜粋)

東日本大震災が起きて、大きな傷を負った気仙沼の町。ただ、一時的な消費だけを考えるのではなく、新たな産業として根付かせようとする目的があって設立されたニット制作の会社です。

はじめにこの記事を読んだとき、「面白いプロジェクトが始まったな」と単純に感じました。ニットが発売されたら、一度手に取ってみよう。プロジェクトの開始が発表されてから、数ヶ月後の2012年12月。気仙沼ニッティングのファーストモデル「MM01」が数量限定の抽選販売として発表されました。

オーダーメードの、アラン編みのカーディガン。

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*こちらの写真は2020年1月13日に東京にある気仙沼ニッティングのお店で撮影したMM01。現在では6色から毛糸の色を選んでオーダーできます。

手編みのニットを着用したことがある人は「確かに!」と感じていただけるかと思うのですが、手編みのセータには魔法がかかっています。セーターの暖かさ以上に、愛情と優しさに包まれていて、着るたびに守られているような感覚があります。(時にはそれが重い愛情としてコメディタッチで表現されることもありますが)

冒頭で少し触れましたが、わたしの母も編み物をする人でした。手編みのセーターは編んでくれませんでしたが、冬の夜、ふとんから少しはみ出る肩が寒いだろうと、肩のサイズにぴったり合わせたネックウォーマーのようなものを編んでくれたり、マフラーなんかもさっと編んでくれていました。

自分のためだけに作ってもらえる、身も心も暖かくなるもの。手編みのニットには優しさの魔法が込められ、気仙沼ニッティングのニットも例外ではありません。

気仙沼ニッティングのファーストモデルが発表されたのち、少しづつアイテムが増えていきました。オーダーメードの「MM01」に加え2013年には「エチュード」というレディメイドのセーターも。ただ、レディメイドとは言え手編みのセーターです。わたし自身、手に取ってみてみたいなあと思いながらも、なかなかチャンスがありませんでした。

ようやく手に取ることができたのは2015年9月。

この時、初めて気仙沼ニッティングのセータに出会うことができました。

いくつかのセーターやカーディガンに袖を通し、迷いに迷ってエチュードの「冬の海」という色をお願いしました。エチュードはレディメイドですが、このときはその場で持ち帰れる数がなかったのか、あらためて自宅に配送されてきました。

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それから、わたしの冬のお出かけには、たいていエチュードが一緒。実家に帰る時にも、お友達と会う時だってお気に入りのエチュードが一緒でした。まるで、小さな子供がぬいぐるみをぎゅっと離さずに抱えながらお出かけしているように。エチュードを着ていると、なんだか安心するのです。

実家に着て帰ると、父にも、母にもセーターを褒められました。父には「ええ色のセーターやな」と。母には「これ、手編みやな? キレイに編まれてるやん」と。着て帰るたびに、同じように褒められて、その度に嬉しくなりました。

2020年1月13日には「KNIT OWNERS' DAY2020」と称して、東京・北参道にある気仙沼ニッティングのお店でニットオーナーの集いが催されました。

ニットオーナーへの感謝を込めて、という催しにわたしも参加させていただきました。

はじめに社長の御手洗瑞子さんが乾杯のご挨拶をされたのですが、目の奥がじわっと熱くなりました。わたしは、ただ一枚セーターを持っているだけです。それでも、気仙沼で編まれたセーターが、こうしてたくさんの人にときめきを与えていることに感動しました。

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美味しいお料理の数々と。

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気仙沼ニッティングのセーターを着たミッフィーちゃん。

お店から溢れ出さんばかりの人が集まって、みなさん、思い思いのセーターを着ていました。帰り際に同じ電車に乗った素敵なおばあさまは「この冬に買い求めてね、このカーディガンに袖を通してお出かけしたのは今日が初めて」とのこと。ご自身も以前はニットを編まれており、今でもハンドメイド小物を作っていらっしゃるとのこと。ひと駅だけご一緒しましたが、ユニコーン柄のカーディガンがとてもお似合いでした。

気仙沼ニッティングができたばかりのころは、それこそ東日本大震災の被災地を応援しよう、という気持ちがなかったかと言えば嘘になります。ただ、手編みのニットが持つ力、デザインの力、その人のためだけに作られた特別な一着。長く着ているセーターはメンテナンスします、という大切に扱う気持ち。こうしたすべての要素が、多くの人の心に、じわっと暖かく広がっているのでしょう。

セーター自体は、安価なものではありません。それでもこつこつ貯金をして「次の冬にはあのセーターを着てお出かけしたいな」と思わせてくれます。セーターを着てお出かけしたいから、冬の訪れが待ち遠しくなる。そう思わせてくれるセーターを、これからも作り続けてほしいです。


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