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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 番外編の2

前回のお話は、以下URLから。


番外編その2(2007年8月16日)

(倉敷ー岡山ー松山ー伊予大洲ー宇和島ー窪川ー高知ー阿波池田ー徳島ー板野ー高松ー岡山)

8月16日の行程

EX2.1 

 倉敷の銭湯で汗を流した後、倉敷から23時55分発の岡山行の普通電車に乗る。

 倉敷からは、8月7日に筒石駅で作ってもらったきっぷを使って四国を回る。今回の最長片道切符の旅では、経路の関係で一度入ったら出ることのできない四国には立ち寄れない。しかし、五能線のときと同様に、立ち寄ってはいけないわけではあるまいと、僕は四国特別編と題して番外編を組むことにしたのである。限られた時間を有効的に使いたいのと、宿を兼ねて、岡山からは臨時快速ムーンライト松山号に乗る。しかし、列車が岡山駅を出発するのは午前3時10分と、まだ3時間ほどあるので、友人から教えてもらったインターネットカフェへで時間を潰すことにした。

 駅から歩いて数分のインターネットカフェへと入る。僕自身、インターネットカフェを利用するのは初めてであった。低収入かつ不安定な雇用のためにインターネットカフェを宿代わりにせざるを得ない若者が多く存在するという。ニュースなどではそんな彼らをネットカフェ難民などと揶揄している。

▲ 岡山駅の発車案内

 2時半頃までにはインターネットカフェを後にして、岡山駅へ戻った。昼間の暑さが嘘のように涼しい。すっかり閑散としてしまっている改札口を通り、12番線へと向かった。ホームにも人の姿はなく、人のいない都会の駅はこうも寂しいものかと、先月の新大阪と同様、感じるのだった。

▲ 快速ムーンライト高知・松山号

 3時10分発の快速ムーンライト松山号は、EF65形電気機関車が客車を6両牽いて入線した。6両の客車のうち、前寄りの3両が高知行きの臨時快速ムーンライト高知号であり、後寄りの3両が松山号である。僕の乗るグリーン車は最後尾6号車であった。

▲ 12系のグリーン車は珍しい

 大阪方面からの乗客らでほぼ満席であったが、この時間のこと、車内は静まり返っていた。そっと席に着くと、列車は岡山を出発した。すぐさま車掌さんがやってきて車内改札をしていく。僕は、リクライニングを倒して眠りについた。

▲ グリーン席は快適だった

 7時半までグッスリと眠ることができた。普通車の座席では辛いものがあるが、グリーン車のそれでは快適であった。眠るならやはり楽な体勢が一番である。願わくば寝台列車のごとく横になりたかったが、グリーン座席でも十分であった。

▲ とろ~りたまごときざみじゃこてんのぶっかけうどん

 7時45分、松山駅に到着した。松山は快晴であった。6両繋いでいた客車が3両になっていた。ムーンライト高知号が別れてしまったためである。僕は、改札を出て駅そば屋に入った。朝食にと「とろ~りたまごときざみじゃこてんのぶっかけうどん」を食す。半熟玉子を箸で切って、黄身をうどんに絡めて食べると、とても旨かった。冷たいので、のど越しも良く、僕は汁まで飲み干した。

EX2.2 瀬戸内海は美しい

 うどんを食べて腹ごしらえできたが、松山から乗車する宇和島行の普通列車の発車までは1時間程度しかない。それでは道後で朝風呂というわけにもいかないので、駅の外をぶらっとしてみたりして時間を潰す。

▲ 松山駅

 三角屋根の駅舎の玄関が特徴的な松山駅である。駅舎の前はバスやタクシーの乗り場を備えたロータリーとなっている。その向こうの県道19号上には伊予鉄道の併用軌道、つまり、路面電車の線路が敷かれている。松山駅の前は丁字路になっていて、南北に走る道路と東側、松山城方面に抜ける道路が接続するが、県道19号は北から南下して、ちょうど松山駅の前で東側へと抜けるL字型に設置されている。その県道の中央には伊予鉄道の併用軌道、つまり、路面電車の線路が敷かれている。松山城の方からガタンゴトンと唸るようなモーター音を響かせて1両の小さな車両が交差点をカーブしてやってきた。

 時間になったので、改札口を抜けて3番線へ跨線橋を渡ろうと階段の方へ進みかけるが、ちょうど駅弁が売られているのが目に入った。この先昼食の調達が困難だろうと思って、あな子寿司を買っておく。

▲ 普通宇和島行き

 9時11分発の普通宇和島行はキハ54形の1両編成であった。カラーリングが邪魔をするのか、一瞬わからなかったが、よくよく見ると、北海道で稚内から乗った車両と同形式だ。しかし、中に入ってみると、北海道のそれとは似ても似つかぬ構造で、こちらはロングシートが車内に並ぶシンプルなものだった。

▲ 坊っちゃんスタジアム

 坊ちゃんスタジアムを横に見る。松山出身の正岡子規は野球に造詣が深く、坊ちゃんスタジアムの最寄り駅である市坪には「の・ボール」の愛称が付く。正岡子規がbaseballを「のぼーる」と訳したとする説は誤りで、正岡子規の幼名が「升(のぼる)」であったことから雅号を「野球(のぼーる)」としたことによる。

 伊予市駅までが電化区間であり、そこから先は非電化区間となる。そして、人家の数も急に減って、辺りは田園地帯が広がり出す。

 向井原駅に着く。単線で非電化ながら、高架駅という高規格な構造になっている。ホームが一つしかない無人駅だが、予讃線の運行系統上の重要な分岐駅となる。

 予讃線は、向井原から瀬戸内海沿いを回って伊予長浜を経由する。そこから肱川に沿って伊予大洲へと向かう。地図を見ると、瀬戸内海側に出るために遠回りをしている。かつては、特急しおかぜ号を含めたすべての列車が、瀬戸内海側に出て運行されていた。しかし、単線で路盤も良くないから特急列車などは高速運転ができず、所要時間が掛かっていた。そこで、向井原駅から伊予大洲へ、瀬戸内海側を迂回しないで良いようにショートカットする路線を建設した。その際、元々あった内子線を組み込んだため、向井原~伊予大洲間のうち、向井原~内子間が予讃線、内子~伊予大洲が内子線という変なことになっている。

▲ 青一色の瀬戸内海

 この宇和島行は迂回する旧線へと進む。この路線から瀬戸内海を望むのは格別で、きょうみたいに夏晴れの日は所要時間は掛かっても乗りたい路線である。

▲ 下灘駅

 伊予上灘から下灘、串、喜多灘と瀬戸内海沿いを行く。瀬戸内海は穏やかである。その上、海は北側に見えるので、太陽の光がちょうど照らされて青が映えている。

▲ ウィンドサーフィン

 伊予長浜からは肱川に沿って走る。河口から遡っていくのである。車窓を眺めると、肱川ではウィンドサーフィンに興じる人の姿が見られた。水量が豊富で川幅も比較的広いのだろう。

EX2.3 予讃線山線区間

▲ 特急宇和海5号

 伊予大洲からは、10時45分発の宇和島行特急宇和海5号に乗車した。自由席は空席も多く、難なく座ることができた。

 北海道でもそうだったが、四国の特急は地域間輸送を担う性格を有するため、短距離区間での乗車は比較的低減された料金で利用することができる。また、いわゆるローカルな区間であっても、そのような性質を有しているがゆえに本数も多い。ダイヤ改正の度に本数が削減されるとは聞いてないので、一定の需要があるのかもしれないし、沿線自治体からJRに対して本数維持と引き替えに何らかの補助が出ているのかもしれない。

 八幡浜、卯之町と、愛媛県西部の田園地帯を行く。しかし、徐々に勾配を上がり、トンネルを抜けて山道へと入っていく。トンネルを抜けると、右側の車窓にみかん畑の緑色した山肌と青空が車窓に映った。そのみかん畑の向こうには宇和海をなす法華津湾が見えた。高速で通過する特急列車からなので一瞬だが、車窓に映る景色は素晴らしい。四国の車窓の十指に入ると思う。

 北宇和島駅で左側から単線と合流する。窪川方面へ向かう予土線であり、僕はこれから予土線の列車へ乗り継ぐことにしている。特急宇和海5号はこの分岐駅に停車はしないので、僕は終点の宇和島まで行き、そこで乗り継ぐ。きっぷの経路が予讃線から予土線へ乗り継ぐようになっているので、北宇和島・宇和島間は経路から飛び出して乗車することになるのだが、これまでも何度か出てきたように、旅客営業取扱基準規程第151条によって、区間外乗車が認められるのである。

 11時27分、終点の宇和島駅に到着した。僕は、3番線へ急いだ。

EX2.4 予土線

▲ 清流しまんと号

 宇和島駅からは11時29分発の窪川行の普通列車に乗車する。キハ32形を先頭にして、後部に貨物車のような車両を連結している。これが観光用トロッコ列車の元祖である「清流しまんと号」である。

▲ あな子寿司

 北宇和島駅から予土線に入る。窪川行の場合、清流しまんと号のトロッコ車に乗車できるのは、十川から土佐大正までの区間だから、しばらくは先頭の一般車にて時間を潰さねばならない。そこで僕は、松山駅で買っておいたあな子寿司を開いて少々早めの昼食とした。

 あな子寿司を買っておいたのは正解で、伊予大洲でも宇和島でも買う機会がなく、おそらくはこの先、窪川でも調達は時間的に無理であろう。そうなると、高知駅となるわけだが、高知には午後3時頃の到着とあって、それでは辛い。

 松丸を過ぎてしばらくすると、左手の車窓に川が見え始めた。知らない人はこれを四万十川だと思うかもしれないが、四万十川の支流である広見川である。列車は川を下るようにして、予土線の中核駅である江川崎駅まで並行して走る。

▲ 夏の青空は気持ちがいい

 江川崎を出ると、今度は車窓の右手に川が現れる。これこそが正真正銘の四万十川である。ところが川の流れは今度は逆になって、川上りする。実は、広見川と四万十川は江川崎で合流するが、四万十川は南へ向けて流れる。一方、予土線は地図上では東西に伸びる路線だから、今度は四万十川の上流へ向けて走るのである。

▲ 沈下橋では川遊び

 土佐大正から後部のトロッコ車両へ移動する。一般車は自由席だからどこでも座れるが、トロッコ車両は指定席である。トロッコ車両は、貨物車を改造したもので、テーブルと木製ベンチが設置されている。車内は満席だった。

▲ 河原でバーベキューをする若者たち

 土佐昭和を過ぎて鉄橋を渡ったとき、下を覗くと若者らがバーベキューをしていた。こちらが手を振ると、彼らも手を振って返してくれた。土佐昭和から土佐大正までは、蛇行を繰り返す四万十川を横切って線路が敷設されたために、トンネルと鉄橋が連続する。トンネルに入ったときの涼しさは気持ちよく、天然のクーラーは、トロッコ車内に入る風となって清涼感を増す。

 土佐大正に到着して、トロッコ列車の乗車は終わった。一般車へと戻って再び車窓に目をやる。あと数駅で窪川へと至るが、相変わらず車窓には四万十川の流れが映る。窪川は海に面した街ではないが、太平洋までは僅かの距離に位置しており、四万十川の上流が実は海からほど近い場所を流れている。日本の川は、多くが比較的勾配の急な山を源流にしているために流れが速く、海までの距離も短い場合が多い。ところが、四万十川にあっては海の近くまで行っているのに蛇行を繰り返してはのらりくらりと流れている。この違いは、実は四万十川の勾配の緩さにあるという。

▲ 眼下に線路が見える

 家地川を出るとトンネルに入った。そこを出ると、左手にトンネルから出てきた線路が近づいてきた。これは、土佐くろしお鉄道の中村線の線路である。高知県の南西端に位置する宿毛とを結ぶ路線で、予土線も実はここで土佐くろしお鉄道中村線に合流する。その中村線は、予土線との合流地点付近のトンネルが面白い形状をしている。そうはいってもトンネルの入口外観のことではなく、線路の敷設の仕方である。急勾配を緩和するために中村線の線路は輪を描くようにして敷設しているのである。僕が8月8日に上越線で体験したループ線と同様だ。そして、あのときと同じくして、眼下に中村線の線路を見ることができた。

 予土線との合流地点、川奥信号場を過ぎると、勾配を下っていく。こちらは直線的に勾配を下っていく。谷間の若井駅を出てしばらく走ると、終点の窪川である。

EX2.5 土讃線の海区間をいく

▲ 特急南風20号(高知駅到着後に撮影)

 窪川駅で南風20号の特急券・グリーン券、しまんと4号、剣山10号の特急券を買う。発券作業に手間取って時間を要したため、13時55分発の南風20号は既に入線してしまっている。カード利用なのでサインして急いでホームへと向かう。南風20号に乗るやドアが閉まった。車内へ進むと、半室がグリーン室となった構造で進行方向右側に1人掛けの席が、同左側に2人掛けの席が並ぶ。乗車率が高くなるのは高知駅からだとばかり思っていたが、案外空席は少なかった。

▲ 土讃線の車窓

 これまで土讃線には何度か乗ったことがあって、その度に感じるのは、土讃線の区間によって車窓の雰囲気の違いが3つあることだ。一つは多度津駅から塩入駅までの香川県の田園地帯であり、高松などに近い分、田園地帯といえども鄙びた感のしない風景が続く。二つ目は塩入駅から高知駅までの山岳地帯である。香川県から徳島県の山中を越えて高知平野へ至る区間は、山々が迫る渓谷美に圧倒される。そして、三つ目が、高知から窪川へ至る末端の区間であり、高知平野の中を進むが次第に太平洋を臨む区間を行くようになる。いわば海線区間である。そういう見方をすれば、土讃線は海も山も田園も兼ね備えた変化に富む路線といえそうである。

▲ 土讃線の車窓

 さて、その海線区間だが、窪川付近は山の中にあるので海はまだ見えない。土佐久礼駅まで来ると、ようやく海が見えだした。黒潮の踊る太平洋である。僕の座る1人掛けの座席はちょうど太平洋側なので車窓を眺めるには都合が良い。水平線の向こうに島影が見えないからか、同じような透明感のある紺碧をしていても、車窓に映る海洋は瀬戸内海とは全く違う表情を見せていた。何という広大さなのだろうか。

▲ 土讃線の車窓

 そして、須崎湾に沿うようにして走り、列車は須崎を目指す。実のところ、海が見えるのはここまでで、後は田園地帯の中を行く。何が海線区間かとお叱りを受けそうだが、山間を走り、急に海が見え出すときの感動は大きく、そう考えると、海が見える区間とそうではない区間はセットなのだと思う。

 伊野駅辺りから高知平野に入ると、急速に人家が目立ってきた。車窓左側に見える道路沿いには、土佐電気鉄道の専用軌道も見える。しかし、肝心の路面電車の姿は見られなかった。車窓には人家と人家に隙間が見えなくなるほどに街並みが広がってきた。左側には工事中の高架線が見える。列車は減速し、まもなく高知駅へ到着した。

EX2.6 土讃線の山線区間をいく

▲ 特急しまんと4号

 高知駅では南風20号の前に高松行のしまんと4号を連結するため、5分停車する。僕は、そのしまんと4号へ乗り換えた。しまんと4号で阿波池田まで乗るが、だとするなら南風20号に乗ったままでもいいように思う。ところが、旅客営業規則第57条第2項第5号に「徳島・高知間の特別急行列車の停車駅相互間を乗車する場合であつて、阿波池田駅において出場しないで乗継ぎとなるとき」は、1個の列車、つまり、通しの特急料金となると規定されている。今回の場合、南風20号を阿波池田まで乗った場合であってもさして料金的には差がないのだろうが、上記規定のきっぷを使ってみたかったので、しまんと4号に乗り換えたのである。

 15時ちょうどに高知駅を出発した。土佐山田駅までは高知平野の中を行くが、そこを出るとエンジン音を唸らせて勾配を上がり、車窓は山のそれに一変する。

 途中、新改駅を通過するが、ここはその勾配のきつさゆえにスイッチバックの駅となっている。篠ノ井線の姨捨駅と同様である。その引き込み線を横に、特急列車は高速で駆け抜けていく。

▲ 土讃線の車窓

 穴内川が眼下に見えるようになると、いよいよ山が両側に壁のようにしてそびえ立つ。深緑の川の色がその深さを表しているようであり、そして美しい。

 橋上の駅である土佐北川を通過し、トンネルへと入る。これを出ると、再び穴内川を渡り、その流れを目にする。まるでトンネルが幕間のようで、次々に展開する場面の移り変わりは、僕の目を楽しませてくれた。

▲ 土讃線の車窓

 列車は、大歩危駅に到着した。車窓に見える川は穴内川が合流して吉野川になっている。この辺りは、駅名が物語るように古来より断崖が多く難所とされていたところである。しかし、人の歩みが及ばないところにこそ、長年の自然による造形美が作られるのである。ということは、現在は幾分かその造形美が失われているということになるわけで、些か複雑な感じもする。

 徳島自動車道の高さのある橋梁を下から見上げると、まもなく阿波池田である。山々の影が伸びてきていた。

EX2.7 徳島線

 JR四国の路線名を見ると、面白いことに気づく。香川県と愛媛県を結ぶ予讃線や、香川県と高知県を結ぶ土讃線のように旧国名の頭文字を組み合わせて路線名とするパターン(他に高知県と愛媛県を結ぶ予土線、岡山県と香川県を結ぶ本四備讃線がある)と、高松と徳島という両端の都市から頭文字を取った高徳線があるが、徳島県内で完結してしまう路線はそのような理由から命名することはできないので、主な地名をもって路線名としている。徳島と海部を結ぶ牟岐線(途中に「牟岐駅」がある)、池谷駅から鳴門までを結ぶ鳴門線、そして佐古と佃をむすぶ徳島線である(路線中に徳島駅はないが、徳島県を走ることから命名されたのだろう)。

▲ 特急剣山10号

 阿波池田から乗車した特急剣山10号は、その徳島線の特急列車である。この列車の2号車には「ゆうゆうアンパンマンカー」というイベント車両が連結されている。かつてグリーン車と普通車の合造だった車両を改造して子供向けのプレイルームを設置した車両だ。どうしてアンパンマンなのかというと、原作者のやなせたかし氏が高知県の出身であり、JR四国がそれにあやかって四国内を走る列車の車体にアンパンマンのキャラクターを配するなどしているのである。

▲ プレイルーム

 僕なぞは、プレイルームで児戯に興じる年頃でもないが、2号車の座席はグリーン車時代のものをそのまま使い、普通車指定席としているから、僕は2号車を利用することとした。車内は小さな子供が走り回り、家族連れが多い。僕だけが浮いてしまっているようで肩身が狭い。

 リクライニングが深く倒れるので、僕はそれに身を任せるようにしていると、いつの間にか眠ってしまっていた。昨夜は睡眠時間も短かったし、ここのところの強行軍がたたって疲れていたのだろう。それでも、下車駅の手前で目が覚めるのだから、我ながら大したものだと思う。

 徳島線は一つ手前の佐古駅までだから、僕の使用するきっぷでは佐古~徳島間を経路からはみ出してしまっている。しかし、いつものことながら、旅客営業取扱基準規程第151条により区間外乗車が認められる。それも特急剣山10号が佐古駅を通過するためであって、佐古駅に停車するならば僕は寝過ごしていたことになる。

 17時24分、徳島到着。

EX2.8 高徳線の新しい車両

 徳島はすでに帰宅する人が多い。特に制服を着た高校生らの姿が目につく。そういった彼らの日常に紛れ混む非日常の旅人は彼らにはどう映るのだろうか。いや、認識されるはずもない。

▲ 普通板野行き

 徳島からは、17時37分発の普通板野行に乗車する。新造されたばかりの車両で、無骨な感じの印象がするJR四国のディーゼルカーにあって、デザインは都会的である。

 板野から先は、徳島からの特急で高松まで向かうことにしている。ならば、徳島から乗ればいいわけだが、新車にも乗ってみたいし、終点の板野には後続の特急も停まるからと、この列車で行くことにしたのである。

EX2.9 高徳線の特急

▲ 板野駅

 板野駅で30分ほどホームのベンチに腰を掛けて列車を待つ。徳島の郊外にあり、辺りには人家も見られるからそれなりに利用客は多いようである。さっき、高松までの自由席特急券を買うために駅舎へ行ったが、この時間、窓口は閉まっていた。

▲ 特急うずしお26号

 18時42分発の高松行特急うずしお26号に乗る。徳島からの乗客が高松方面へ帰るのには、時間帯からして打って付けの列車だから、自由席の混み具合が気になったが、入ってすぐのところの席が空いており、難なく確保する。

 高徳線は、高松と徳島とを結ぶ路線である。特急列車が16往復設定されていることからもわかるように、都市間輸送の需要はあり、また、徳島側、高松側双方にベッドタウンを擁するから、近距離輸送にも強みのある路線であるといえそうだ。

 さらに四国の北東側を結ぶ路線であるから、淡路島や小豆島に囲まれた播磨灘を眺められそうであるが、実のところ海が見えるのは両県境付近の、阿波大宮と讃岐相生の間くらいのものである。

▲ 夕日に照らされた播磨灘

 県境は峠であり、そこから下るときに播磨灘と海縁の集落を俯瞰して見ることができる。夕日に照らされた海の向こうの雲が薄い茜色に染まっているのが美しい。今朝は、松山から海や川などを見て急ぎ足で回ってきたが、その一日もまもなく終わるのだ。夕焼け空を見ると、そう感じてしまう。

 高松市内に入ったときには、すっかり夜になってしまっており、僕は疲労感を感じながら車窓に映る人家の灯りを眺める。あの家では寛いでいるんだろうなと、恨めしくさえ思う。19時31分、高松に到着。

EX2.10 本州へ戻る

 高松駅の改札を出て、駅弁屋を覗く。この時間はもう駅弁も残り少なく、五目寿司というのを買った。それを鞄に詰めて、今度は向かいにあるみどりの窓口へと向かう。マリンライナーでは座れた試しがないので指定席を取るつもりであるが、以前にグリーン車は乗車済みだし、パノラマ席は岡山行は後ろ向きだからと、普通車に決めた。

 ほとんどのマリンライナーには、高松寄り先頭車にグリーン車指定席と普通車指定席の2階建て合造車を連結している。目玉となるのは、運転席背後の平屋部分に設置された「マリンパノラマ」というグリーン席であり、その他は、2階席がグリーン席、1階席が普通車となっている。

▲ 快速マリンライナー60号

 19時43分に高松を出発したマリンライナー60号は静かに走り出した。車内改札を終えて、五目寿司を食べる。今夜こそは夕ごはんにありつけたと安心する。しかし、この辺り特有なのだろうか、岡山の祭りずしにせよ、何となく酢飯が甘い感じがする。

▲ 讃岐 五目ずし

 坂出を出て、瀬戸大橋を渡る。夕方までなら瀬戸内海を眺めることもできたろうに、今は灯りが点々としているだけである。これもこの景色なのだと思うが、夜の海は本当に暗いと感じた。

 岡山には20時36分に到着した。駅前にある「ホテルグランヴィア岡山」へと入る。ベルボーイに荷物を運んでもらう。ベルボーイのいるホテルは、甲府の談露館に泊まって以来である。

 一息ついて、僕は昨夜行った倉敷の銭湯へ行った。余程気に入ったようで、閉店間際までじっくりと汗を流した。おかげで身体はすっかり軽くなった感じで、グランヴィアではグッスリと眠ることができた。


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