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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第12日目

前回のお話は以下URLから。


第12日目(2007年8月7日)

高田ー直江津ー筒石ー糸魚川ー南小谷ー松本(ー新島々ー)松本ー姨捨ー長野ー高崎ー越後湯沢

8月7日の行程

12.1 天気回復

▲ 高田駅

 ホテルを7時45分頃に出ても、7時56分発の直江津行きには余裕で間に合う。比較的ゆっくりとした出発だが、こういうときは何か隙のようなものが出て、例えば忘れ物のようなことをしでかすものだが。

▲ 普通直江津行き

 昨日の夕方以降は天気が悪かったが、今朝の高田は昨日の朝と同様に爽やかな朝だった。高田を7時56分に出た341Mは、信越地区ではお馴染みの115系電車である。が、この時間帯にしては意外にも乗車率が低かった。ボックスシートを陣取って朝の窓外を眺める。

 春日山を出ると、左から北陸本線の線路が接近する。それが合流すると終点の直江津である。住宅の建ち並ぶ中に広い操車場と駅が特徴である。

12.2 北陸本線

 直江津駅で朝食にと名物駅弁の鱈めしを買う。この鱈めしは、直江津駅前のホテルが調製しており、四角い容器に鱈の料理が満載の駅弁である。僕にとっては、以前から買う機会を逸して、ようやくありつけた駅弁でもあった。

 最長片道切符の経路は、直江津から北陸本線へと入る。北陸本線は、JR西日本の管轄路線だから、最長片道切符の旅の中では、3社目の路線を行くことになったわけである。

▲ 普通富山行き

 6番線から8時13分発の普通富山行きが出発した。419系という北陸本線でのみ見られる珍しい車両だ。この車両は、元々583系という寝台特急用の車両であった。国鉄時代、寝台列車の整理に伴って余剰となった車両を普通列車用に改造したのである。北陸本線は交流電化区間と直流電化区間が併存する路線だから、高価な交直流用車両を新たに製造するよりも、元々交直流両用であった車両を改造する方が経済的だというわけである。当時の国鉄も赤字が膨らんでいたので、新造する余裕はなかったのだ。その419系も福井県側では、新しい521系車両が導入され始めたことで、いよいよ引退する動きとなっている。なお、余談だが、419系には中間車を改造したものがあり、それに運転台を付けたため、断面が垂直になっている。元寝台車のために屋根は高いから、その形状から「食パン」などという人もいる。

 さて、直江津を出て北陸本線に入る。車内には既に何人かが乗っており、誰もいないボックスシートはなかった。私は進行方向に対して右側のボックスシートに座った。茶髪の若者が目を瞑って音楽を聴いていた。

 ここは直流電化区間である。しばらくもしないうちにトンネルへと入った。それを抜けると右側の窓には青い日本海が姿を現す。再びトンネルへと入り、轟音を響かせる。これを何度か繰り返すうちに、列車はトンネルの中で減速を始めた。ゴーッという音にかき消されて車内アナウンスは聞こえにくかったが、トンネルの中にある駅、筒石駅に到着した。

 ひんやりとして、それでいて湿気を感じる狭いホームを行き、制服を着たお年の召した男性の元へ向かう。僕はホームから出て、地上へ上がる通路へと入る。列車が出発すると、再びトンネル内に音が響く。その男性は安全確認をしてから金属製の扉を閉めた。すると、その音は小さくなり、やがて消えた。

「もし戻ってくるんだったら、荷物置いて行くと良いよ」

 その男性の申し出に甘えて、僕は身軽になって上へ急いだ。

12.3 トンネルの駅

▲ 階段を昇っていく

 待合室からの階段を上る。56段あって、そこを上りきるとやや上り傾斜のある通路を行く。左手に下りホームへ下りる階段が見えるが、僕はまだその先の上り階段へと向かう。224段の階段を上りきると地上で、駅舎に到着する。眩しいくらいに明るい。

▲ 筒石駅

 出札窓口へ赴き、途中下車印を押してもらい、きっぷを購入する。筒石駅は、トンネル駅という構造上の問題により、安全面を考慮して係員を常駐させている。そして、駅舎においては出札窓口も開かれてきっぷの発売もされている。現在ではすっかりお目に掛かることもなくなった補充片道乗車券なるきっぷまで発売するのだから、鉄道ファン、中でもきっぷ蒐集家には有名な駅となっている。僕がここで途中下車したのも、それが目的である。

 僕は、この最長片道切符の旅で四国を通ることはない。それは、同じ経路を二度以上通ってはならないという片道切符の性質上、一度入ったら出られない四国を経路に含めることができないからである。しかし、JRでこれほどの旅をしていて、四国にだけ寄らずに行くというのも申し訳ないような気もする。根室や五能線へも寄り道したのだから、四国にだって寄り道したって良いはずだ。そこで、僕は、四国一周のためのきっぷを購入することにした。青春18きっぷを利用して四国を回ってみることも考えたが、特急列車に乗ることも考慮して普通乗車券を買うことにした。そうであれば、補充片道乗車券を持って旅に出たいから、したがって筒石駅を選んだというわけである。

 しかし、ここからが大変であった。補充片道乗車券は手書きによる発券だが、計算自体は経路数が少ない場合などは機械で計算することができる。そこで、発駅を倉敷、着駅を宇多津として、経路を「山陽線、宇野線、本四備讃線、予讃線、五郎別線、予讃線、予土線、土佐くろしお鉄道、土讃線、徳島線、高徳線、予讃線」のきっぷを窓口の男性にお願いしてみたのだが、これが経路として成立しないのである。近隣の駅にも問い合わせてもらったりと、発券に時間を要すも計算上はエラーが出るのである。これでは埒があかないと、結局「倉敷→若井」と「窪川→倉敷」の2枚に分けて発券することにした。窓口の男性には「高くなっちゃうけど良い?」と恐縮されたが、どうにもならないので「いいですよ」と応えた。この窓口の男性には奮闘してもらい、本当にお世話になった。支払いを終えると、「入坑・入場証明書」なる紙片を頂戴した。

 再び階段を下りていく。280段を下りると、荷物を預けた待合室で、さっきの係員が待っていた。少し話をした。最長片道切符の作成を郵送依頼して申し込んでくる人もいるが、これが一番難儀だという。一から手計算によって切符を作らねばならない手間、これは仕事の範疇だから百歩譲るとしても、その後代金の支払いがなく、連絡も付かず、残ったのは切符だけということもあるようだ。そういうことがあると、実際に代金の支払いと引き渡しが終わるまで気が気でない思いをするという。

「気をつけてね」

 初老のその男性は、そういってホームへのドアを開ける。直江津方からゴーッという音が聞こえてくると、次第にトンネル内に光がじんわりと広がり、轟音も大きくなった。10時05分発の普通高岡行きが到着した。419系であった。係の男性にお礼を言って、列車に乗り込んだ。すぐにドアが閉まって、轟音の中へ包まれていく。

▲ 普通高岡行き。これが食パンだ

 長い長いトンネルを抜け終わると能生駅。久々に外の明るさに眩しく思う。トンネルを二本抜けると、外を走り、浦本、梶屋敷と止まる。窓外は曇っていた。梶屋敷を出てまもなく、車内の灯りが消えた。ここが直流電化区間と交流電化区間の境界で、性質の異なる電気を交わらせないために電流を流さない区間を設けているのだ。そこを通過するときは電力の供給がなされないから、列車は惰性で走り、室内灯は消える。しかし、その区間は僅かに数十メートルのことだから、すぐに車内に灯りが点る。既に列車は交流電化区間に入っていたのである。

 まもなく糸魚川に到着した。10時25分のことである。

12.4 大糸線

▲ 糸魚川駅

 糸魚川駅は、北陸本線の他に松本方面とを結ぶ大糸線が分岐する。糸魚川の南には日本屈指の山岳地帯が広がるから、糸魚川から姫川に沿って南下する大糸線は、急勾配の続く山岳路線となる。最長片道切符のルートも糸魚川から大糸線へ分岐して南下していく。

 僕は、4番線ホームに停車中の首都圏色と呼ばれるタラコのような朱色をしたディーゼルカーへと乗り込んだ。エンジンを2機も搭載したパワーのあるキハ52形という形式の気動車で、単行運転が可能なように運転台が前と後ろの両方についている。実は、このタイプの車両は、7月17日に米坂線で乗車した列車にも連結されていたのと同じである。日本全国を見ても、岩手県の山田線と岩泉線、花輪線、新潟県と山形県に跨る米坂線、そしてこの大糸線のみとなる。しかし、山田線、花輪線は2007年度中にも、米坂線は2008年度中にも車両が置き換えられるので、それ以降はここ大糸線のみに残ることになる。昭和のローカルな風情を感じられるものが徐々に減っていくのは寂しいが、退くときがくるのは必然であり、経年劣化あるいは時代にそぐわなくなったものに要請される道というものだ。時代の流れとはそういうものである。

▲ 普通南小谷行き

 10時43分、糸魚川を立席が少し出るくらいで、座席はすべて埋まるという程度で出発した。糸魚川駅の構内をゆっくりとした速度で進み、北陸本線を右に見ながらそして徐々に離れていく。左へとカーブして、進路を南へととり、千国街道こと国道148号に沿って走る。北陸自動車道の下をくぐるとトンネルへと入り、トンネルを出ると姫川に到着した。この辺りは、まだ姫川の流れを見ることはできないので、直江津で買った鱈めしを遅い朝食として食べることにした。

▲ 鱈めし

 頸城大野、根知と止まり、千国街道の下を何度かくぐると、右側車窓に姫川が姿を現した。姫川に架かる鉄橋を渡ると発電所が見え、小滝駅に到着する。ここから先は、姫川に沿って走るから車窓に川を見ることができるが、護岸工事による人工構造物が目に付く。大糸線は、何度となく姫川が暴れて水害を被っている。もう10年以上前になるだろうか、大雨で2年ほど不通となり、それ以降、河川改修が行われた。その関係で、姫川を見れば両岸に護岸工事が施されているところが多く、自然の造形美を目で楽しめない箇所があり残念に思うが、それも地域の脚を安全にそして安定的に担保するためには致し方あるまい。

▲ 大糸線の車窓

 それでも、姫川の流れはすばらしく、それを演出しているのは姫川の両岸にそびえ立つ峻険な山々で、これが姫川の良さを見せているのだろう。というのは、この辺りは、北アルプスの北辺で標高3000メートル前後の山が並ぶ山岳地帯である。それが、一気に日本海へとなだれ込むかのようにして高度を下げていくのだから、山々の斜面は急で険しい。まさにV字谷の様相で、姫川の流れも急だ。姫川の急な流れは北アルプスが作り出したものであり、むしろ姫川の造形美は北アルプスとセットなのだと思う。

 したがって、キハ52形も急峻な山岳路線を行くのだから、エンジンを唸らせて上っていく。エンジンを唸らせている割にスピードが出ないのは勾配がそれほど急だということの証左である。

 小滝を出ると平岩までが長い。姫川に沿って走り、トンネルに入る手前で長野県へと入る。昨日から新潟と長野を行ったり来たりしている。速度も遅いから余計に長く感じたトンネルを出ると、また川に沿って走る。短いトンネルを抜けて鉄橋を渡ると平岩駅である。平岩駅は新潟県に位置する駅だから、また新潟県に戻ってきた。

 しかし、すぐに長野県へと入り直し、また長いトンネルを行く。そのトンネルを抜けると視界が広がる。二本の道路橋が川の上で交差する珍しい光景を見て北小谷駅に到着。さらに列車は勾配を上がって中土に。そこを出ると、糸魚川を出てからちょうど60分後の11時43分に終点の南小谷駅に到着した。

12.5 大糸線 2

 南小谷では13分の乗り継ぎ時間があって、駅の外へと出てみる。生憎の曇り空だから寂しい感じもする。すぐに改札を通りなおして跨線橋を渡る。3番線に停まっている松本行きの普通電車に乗り込む。東北で乗った701系とよく似ているが、こちらは直流専用のE127系である。ふと、後ろを向くと糸魚川から乗ってきた朱色の気動車が出発していくのが見えた。結構な乗車率である。

▲ 普通松本行き

 11時56分、松本行きが出発した。通勤形で車両の中央部分だけ、片側がボックスシートとなっている変則的な座席配置だ。僕は、連結付近の横向きのシートに腰を掛けた。

 大糸線は、南小谷からもさらに南へ続くが、南小谷から南はJR東日本の管轄となる。遠回りすると、県を行ったり来たりするが、JRの会社間でもそうだ。

 白馬駅から乗客が急に増えた。しばらく走ると、僕の後ろの窓外には湖が見え出す。青木湖である。

湖が美しい

 身体をねじってカメラを構えて撮影すると、隣のついさっき山から下りてきたばかりだという初老の山男が、「旅行かい?」と聞く。「そうだ」と応えれば、「同じカメラかい?」と聞く。見てみると、その山男と同じカメラである。「山はどうだったか」と、今度は僕が質問をする番で、「すばらしい景色を見ることができた」のだそうである。僕は、大糸線の列車で随分と登ってきた感じだが、彼はようやく下界に下りてきたという感じだった。湖の上の空は青空が姿を見せていた。

▲ 北アルプス

 信濃大町で少し停車するというので入場券を買いに行く。発車時間になったので戻るが、一向に発車をしない。アナウンスを聞くと下り列車の遅延のために上り列車が発車できないのだという。大糸線は、単線だから、下り列車が到着するまでは発車できないのだった。

 5分ほど遅れて信濃大町を発車した。2両編成の電車は徐々に混みあって、穂高駅を出る頃には通勤電車並みに満員になった。このような状況になればお年寄りも立席を強いられる。僕から少し離れていたところに立っていたおばあさんに声を掛け、席を譲った。おばあさんの家族連れの女性らからお礼を言われ、恐縮した。

 北松本駅には遅れを回復して定時到着だったが、下り列車が遅れたため、結局終点の松本駅には2分遅れての到着であった。それでも、まだ間に合うと、荷物棚から大きな荷物を引きずり下ろしてホームへと出るが、多くの山男山女に行く手を阻まれ、中々進めない。同じホームでの乗り換えにもかかわらず、僕は、新島々行きの普通電車がゆっくりと松本駅を後にするのを見送らねばならなかった。

12.6 新島々へ寄り道

 松本電気鉄道新島々行きの普通電車に乗り損ねたので、40分近く待たねばならない。着駅精算しても良かったが、松本駅の外に出て途中下車をする口実を設けるために新島々までのきっぷを買いに行った。窓口でマルス券にして購入しても良かったが、随分と並んでいるし、券売機で購入することにした。

 しかし、時間はまだたっぷりとある。松本の街へ繰り出しても新島々行きには間に合いそうにないし、予定をさらに遅らせるときょうの宿泊地である越後湯沢にはかなり遅い目の到着となる。できることなら早いうちに投宿はしたかったから、これ以上の遅れを生じさせたくはなかった。

 そこで僕は、もう一度大糸線ホーム(もっとも松本電鉄と共用してるホームだが)へ行き、そこにある立ち食いそば屋を訪ねた。松本駅のそばは旨いと聞いていたが、中々その機会を得ることができなかったのである。今朝は遅めの朝食だったから、昼食としてもそろそろ良い時間であった。

▲ 冷やしそば

 冷やしそばを注文する。盛りそばとは違って、普通のそばを冷製にしたもので、天かす、大根おろし、ネギ、きざみ海苔、高菜の漬け物の他、トマトが一切れ入っていたのには驚いた。

▲ 普通新島々行き

 14時50分、松本電鉄新島々行きの電車が出発した。車両は、元京王線で使われていたものを再利用している。地方の民鉄ではよく見られることである。30分ほど揺られながら新島々へと行く。新島々とは珍しい名前だが、これは島々駅の上高地へのバスターミナル機能を移転した際に付けられた名だという。島々駅の名前の由来は、島々駅のあった集落が島々であったためである。なお、島々駅は新島々からさらに奥に位置する松本電鉄の駅だったが、20年以上も前に台風被害により廃駅となっている。

▲新島々駅

 新島々は上高地への玄関口の様子で、鉄道の駅というよりもバスターミナルであった。鉄道は、その横へ肩身を狭くして到着した。

 新島々駅では、補充片道乗車券や硬券の入場券、乗車券などを買う。折り返しの時間が短いから、切符を買い終えると走ってホームへと急ぐ。車内に入ると、往路よりも乗車率は高く、ほとんどのロングシートは上高地帰りの観光客で埋まっていた。僕の着席を待っているかのように、一つだけポツンと席が空いているので、そこへお邪魔する。

▲ 普通松本行き(松本到着後)

 15時28分、乗ってきた車両で松本へと戻る。周りは、山へ登ってきたような格好の人ばかりだから、僕は浮いているようである。

 今度は、29分で松本へと戻った。そろそろ日も傾き始めて、昼が終わろうとしていた。寄り道を終了して、松本駅へと戻る。

12.7 本編へ戻って

 最長片道切符のルートは、松本から篠ノ井線を長野方面へと向けて進む。16時13分発の普通長野行きに乗車する。余程遅れることがあれば特急(ワイドビュー)しなので一気に長野へ行くのだが、ここはかつて三大車窓と称された姨捨駅の眺めを無視してはならないだろう。きょうは、大糸線では曇り空であったが、今はすっかりと晴れてしまっている。この天気だと狩勝峠のような残念なことにはならないだろうから、須くは行ってみるべきだ。僕は、そう考えて、姨捨へ行くことにした。

 この列車、1543Mは茅野からの電車なので、既に乗車率は高かったが、松本駅で大半が入れ替わったので、結果、僕はロングシート部分に座ることができた。客層も、観光客よりもビジネスマンの姿が目立つ。田沢、明科、西条、坂北と停まり、ぐんぐんと勾配を上がっていき、何とも神々しい名の印象がある聖高原に着く。次の冠着を出ると、トンネルに入るが、そこを抜ければ勾配は下りに掛かる。

 列車は本線から外れて姨捨駅の構内へと入る。姨捨駅は、本線から外れたところにあるスイッチバックの駅だから、列車は一旦、引き込み線のようにして設けられた姨捨機構内へと入るのである。姨捨駅を出発するときは、もと来た方向へバックして、長野を目指すのである。ちなみに、松本行きだと、一旦松本寄りの引き込み線へ入った後、バックして姨捨駅構内へと入る。出発するときは、そのまま松本方面へと向かうのである。大曲駅は、列車の運行経路上、もっといえば線路の敷設の仕方による駅の構造上の問題、すなわち平面上の問題でこまち号がスイッチバックをしたが、姨捨駅の場合は地形上によるものであっても、勾配が関係している縦の問題による違いがある。

 姨捨で下車したのは、僕だけであった。

12.8 日本三大車窓

 姨捨駅付近からの車窓を眺めたことは何度もあるが、姨捨駅からこの景色を眺めるのは2度目のことである。それも、一度目は朝靄の中で遠くまで眺められず、がっかりとした気分で姨捨を後にした。今回は、どうだろうか。乗ってきた列車がバックして、元来た方向へ去ると、向かいのホームには貨物列車が停車していた。

 早速、跨線橋を渡り、向かいのホームへと行く。青々とした水田と広がる善光寺平、夏を感じさせる入道雲など、以前に見たときとは違う景色であった。これこそ僕が期待した風景である。早速、写真を撮影する。ファインダーを通してみると、より絵としての善光寺平を感じることができる。日本三大車窓と謳われただけのことはある景色だった。

 ベンチに腰を掛けて景色を眺める。遠くの方に長野新幹線の高架橋が見えたが、新幹線が通る気配はない。既に通ってしまったか。そうしていると、ホームの下に敷設されている本線に、先ほど乗ってきた列車が通過していった。ほどなくして、貨物列車も出発し、駅は僕だけになった。それから20分ばかりベンチに腰を掛けていると、松本行きの電車が背後に入線した。しばらく停車時間があると見えて、乗客が急いで降りて、この風景を撮影する。僕はその一瞬の喧噪を横目で見ながら、じっと黙って過ごす。

 松本行きの電車を見送って、姨捨駅を出た。姨捨駅の奥にある踏切を渡ると、姨捨公園の入口がある。姨捨公園からも善光寺平を眺められることは知っていたから、そこを訪れるつもりだったが、どうやら工事で入ることはできないようだ。工事用のフェンスで遮られていた。

 再び姨捨駅に戻って駅舎の中を見て回る。掲示板には今年4月28日付けの日経新聞に「訪ねる価値のある駅」の見出しで掲載された記事の拡大コピーが張られていた。ランキングで10傑が掲載されて、1位が門司港駅で、姨捨駅は第2位だった。

 姨捨からは、17時59分発の439M列車に乗る。長野行きの普通電車である。一旦、松本寄りへバックして、引き込み線に入ってから本線へと入る。姨捨からは、そこから眺めた善光寺平へ向かって下りにかかる。大きく弧を描くようにして、列車は長野へ向かって走る。稲荷山を出て篠ノ井から信越本線に入って長野へ到着する。18時30分である。

12.9 混雑するあさま号

 長野駅のみどりの窓口へ行く。何人もが列をなして、動く気配もない。相当な混雑であり、人が集中している。夕方の長野駅とはこんなものなのかと思いながらも、駅前の郵便局のATMへ行き現金を引き出す。そのATM前にも若い女性が多くたむろし、出入りにも事欠く。

 長野駅へ戻り、みどりの窓口にある券売機で新幹線の指定席を予約する。窓口は混雑しているが、指定席券売機は空いていた。

 19時05分発のあさま582号はグリーン車、普通車指定席とも満席であった。やむを得ず、自由席特急券を買い、改札を通る。夕食にと駅弁を買うことだけは忘れずに「鮭の押寿司」を購入する。それを持って13番線へ急いだ。既にあさま582号は入線しており、僕は先頭の1号車に乗り、一番前の2人掛けの通路側を押さえた。

 発車間際になって、自由席は益々乗車率が高くなり、空席を求めて通路を行ったり来たりする。デッキと隔てる自動ドアが開くと、デッキにも客がいて、何人かは座り込んでいた。お盆の時期にはまだ早いので、どうにも様子がおかしいと思って、周りを見ると、若い女性の比率が高い。何やら紙の手提げ袋を持ち、団扇を持っている。耳をそばだてて様子を伺っていると、どうやら長野で関ジャニ∞のコンサートがあったようで、それで人が多かったのである。

 夜となった長野を発ち、東を目指す。どこをどう走っているのか、路線図の上ではわかるが、窓の外は漆黒の闇の中でわからない。50分で高崎に到着。最長片道切符の経路において、初めて関東地方へ足を踏み入れた。19時55分、高崎に到着。

12.10 最後は、結局新潟県

 使用した特急券などはすべてもらうようにしている。旅の記念にもなるし、資料にもなるからだ。後できっぷを見返して、あのときああだったなと記憶を呼び起こすのである。高崎駅でも同様に乗車記念に長野からの自由席特急券をもらった。その際、併せて途中下車印も押してもらったが、改札口の駅員さんは「お」と一言声を発して、券面の領収額欄の右上にポンと押した。

 改札を出たついでに駅のコンビニで水などを買い、そして越後湯沢までの自由席特急券を買って再び改札を通る。駅弁屋が見えたので、つい覗くと名物の鶏めしが売られている。そしてつい買ってしまった。長野で駅弁を買っていたことなど、すっかり忘れてしまっていて、ホームへ上がってからそれを思い出したが後の祭りであった。

 20時13分発のMaxたにがわ427号は、E4系でグリーン車以外は全車自由席の16両編成だった。JR東日本では、全車2階建ての新幹線をMaxという愛称で運行している。E1系とE4系がそれだが、前者は12両編成、後者は8両編成である。JR時刻表では、「8両編成で運転」、「12両編成で運転」、「16両編成で運転」と注意書きがあって、16両の場合はE4系を2編成連結して運転する。また、どちらのMaxでも指定席車は通常通り3列×2列のシート配置だが、自由席となると基本的に3列×3列のシートで1人分の占有面積は通常のものより小さい。ところが、このMaxたにがわ427号ではグリーン車以外はすべて普通車自由席なのだから、普段は指定席として使用している座席を自由席として利用することができるのである。

 どれだけ乗車率があるのかと思ったが、ガラガラであった。前から見渡すと2階席には僕一人であった。適当なところに座って、高崎で買った鶏めしを開ける。そぼろと鶏肉の美味しい弁当だった。

 まもなく終点の越後湯沢に到着するというアナウンスで荷物をまとめて車内を移動する。一番後ろには海外から帰ってきた雰囲気の若者が横になってグッスリと眠っていた。どうやら僕一人ではなかったようだ。20時44分に越後湯沢に到着。駅前にある「ホテルやなぎ」へチェックインした。

 ホテルやなぎは越後湯沢界隈にしては珍しくビジネスホテルの趣のあるホテルであったが、温泉を引いていた。汗を流して、長野駅で買った鮭の押寿司を開く。箱を見てみると、直江津駅前のホテルセンチュリーイカヤが調製したもので、長野の駅弁ではなかった。鶏めしを食べてそれほど腹も減ってはいなかったからか、あるいは疲れていたからか、食は進まなかった。


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